公案~わかったようなわからないような。

文学・芸術

これは263回目。わかったようなわからないようなお話です。禅問答、公案と言っても良いでしょう。とっつきにくい公案は星の数ほどありますが、わたしでもわかりそうな、簡単なものをちょっと垣間見てみましょう。

:::

こんなものは、どうだろうか。

〇風鈴
「ここに風鈴が鳴っている。」
「美しい音色です。」
「ここに風が流れている。」
「とてもよい心地です。」
「さて、それでは何が風鈴を鳴らしているのか?」
「風でしょう。」
「風はただそこに流れているだけだ。」
「では、風鈴自体でしょう。」
「風鈴はただそこに在るだけだ。」
「では、なにが風鈴を鳴らしているのですか?」
「おまえの心だ。聴こうと思わなければ、何も鳴ってなどいないのだ。」

〇死に絶えるもの
「瞳がまばたきする間に、蝋燭(ろうそく)の灯は消えてしまいます。肉体はいつかは滅びます。」
「太陽は死ぬか?」
「死にはしませんが、しかし、夜は輝きません。」
「輝いているさ。どこかでな。お前が見ていないだけだ。この世に死に絶えるものなど何一つない。」

〇阿弥陀
「どんなに修行をしても、わたしにはなかなか悟りを得られません。」
「おまえが阿弥陀になるのではない。阿弥陀のほうからやってくるのだ。」

〇森で木が倒れる
「けっして自分を偽るな。飾り立てようとするな。森で木が倒れる。森の大きさとざわめきの中で、人の耳には聞こえない。しかし、木は倒れるのだ。」

〇調和
「わたしはもう誰も信じることができません。」
「人の心には善と悪と両方がある。信じるとは、その人の善い心を励ますことだ。それによっておまえは、もっと素晴らしいものを手に入れることができる。」
「それは何ですか?」
「愛だ。」
「愛とは何ですか?」
「それは調和だ。響き合うことだ。」

イメージが沸いてきただろうか。悪く言えば「こじつけ」良く言えば「臨機応変」とも言える。とんちなどを使わず、あるがままの自然の姿を示す行(ぎょう)であるともいえる。

禅宗はそもそもが経典などを持たない仏教だった。書物などに教えを残していないからこそ、自分達のアイデンティを弟子に教えることが出来ず、それが禅問答に繋がっていたのだと推測される。結果禅宗では、経典がない代わりに「伝灯(でんとう)」を重視するようになった。

こんなのもある。

「長い間師匠は教えをいただいてませんが、そろそろお願いできないでしょうか?」
「わたしはおまえがここにやって来た時から、教えている。」
「それは一体どんな教えでしょうか?」
「おまえが挨拶をすれば、わたしは応えている。おまえが粥を持ってきたら、合掌して受け取っている。これ以上何を教えるのだ?」

要するに、平たく言えば、当たり前のことを当たり前と思うな、ということにでもなるのだろう。普段から当たり前だと思っていることに、人は感謝がなかなかできない。しかし、そこは禅問答。そう解説してしまったら、実は台無しだ。しかも、正解がいくつもあるのが禅問答だからだ。

達磨と弟子の慧可(えか)の問答は有名である。

「私は、不安でどうしようもありません。どうか私の心を落ち着かせて下さい」
「不安に思うその心を、ここに取り出してみろ。そうすれば安心させてやる」
「心を取り出すことはできません」
「それでもう、おまえの不安はなくなったな。」

似たようなものに、こんな公案もある。

「私は、今、一切を捨てつくしてしまい、何も持っていません。私は、どうするべきでしょうか。」
「捨ててしまえ」
「捨ててしまえといわれても、もう何も持っていないのです。何を捨てるのですか」
「その、すてるべき何もないという心を捨てるのだ。」

すっとぼけたような、一つ間違うと、それこそただのとんちに堕してしまいかねないようなこの禅問答だが、共通しているのは「気」である。「気」の持ちようとでもいうべきか。どんな公案でも、気合、気迫が言葉の合間合間に感じ取れないだろうか。緊張感といってもよい。油断すると一瞬で切り殺されてしまう、居合のような緊張感がある。

「気」というのもこれまたわからない代物だ。禅問答風に例えてみれば、言わば、駅から出発する新幹線のようなものだろうか。助走を始める新幹線を見て、みなさんは「気が満ちている」と思わないだろうか。あの静かな、しかし圧倒的な迫力。それが「気」だとわたしなどは思っている。・・・何を書いているんだか。忘れてください。



文学・芸術