あらためて、クールジャパン

文学・芸術

これは277回目。ちょっと前まで外人たちが日本で買う、人気商品のリストが、あちこちのネットで花盛りになっていました。最近でこそ、ややトーンダウンしているものの、その中身を見るにつけ、実に驚愕するようなものが多いのです。

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たとえば、中国人だが、もちろんTOTOのウォシュレットや、象印の炊飯器など、いろいろ株式市場的には、インバウンド・ブーム初期の頃の売れ筋で、あまりにも有名になった。ドン・キホーテの大阪・道頓堀店では、外人の売上げ高比率が50%に近いというが、売れ筋は、抹茶のチョコレート、洗顔料、パックなどの化粧品、セラミック製の包丁、魔法瓶の水筒などだということだった。それらはさておき、意外なモノを挙げていこう。

その後、中国人の間での売れ筋は、日本のシャンプー、胃薬という回答が多くなっていった。あとはマスク(これは、中国人だけではない。オーストラリアや欧州人にも大人気だった。意味不明。)そして、目薬が非常に人気になったそうだ。おそらく中国ということであれば、空気汚染が悪化しているので、そうした背景があるのかもしれない。

寒い北欧の人の間では、「使い捨てカイロ」が馬鹿受け。いまでも大絶賛らしい。お土産として誰にあげても、大喜びだそうだ。同じく北欧人に、とても人気があるのが、「するめ」だそうだ。これは意外感がある。シュールストレミングなどを食しているくらいだから、するめの臭さなどどうってことない、ってことだろうか。なら、「くさや」はどうなるんだろうか?

わたしが子供のころ、よく庭に炭で火を起こして、大島産の「くさや」を焙っては、こまかくちぎり、夕食のおかずにしたものだ。庭であぶる仕事はいつもわたしが役だった。醤油にたっぷりつけて食い、口の中に広がる酸っぱいようなしょっぱいようなあの味は忘れられない。匂いがまた良いのだ。(今の人は、臭いというかもしれないが)

万国共通で人気があるのは、「ポケットティッシュ」だという。そもそも外地では、高いのだそうだ。そして、鼻が痛くならない高給ティッシュは最高だという。

お菓子の類いは、ほぼ向かうところ敵無しのようである。「うまい棒」を嫌いな子供は世界中どこにもいない、とさえ言われる。「煎餅」は、ほとんど日本独自の域に達しているが、洋式菓子(ポテトチップスその他)と同じく、抜きん出て日本品が重宝されている。

実用的とはとても思えない類いで、ダークホース的な人気を得ているのが、「ガラスの浮き玉(漁具、ブイに使ったりするもの。)」である。小さいやつを風呂にでも浮かべたり、金魚鉢に入れて見たり、花を活けたりするときに使ったりと、どちらかというと日常生活のアクセサリー的なものだが、これがまた発想としては、外人には驚異的なものに映るらしい。

実は、そうした「ハード」だけではない。人気がぐんぐん上がってきているのが、居酒屋だそうだ。ああいうスタイルは、日本独特のものらしく、自分の国にあったらいいのに、と思う筆頭のクール・ジャパンだそうである。

彼らが日本で驚異に思うもののひとつに、(観光客ということではないが)新聞配達というものがある。雨の日も、雪の日も、毎日未明に配達されるこの日本の商習慣というものは、絶句するらしい。

さらに生活習慣だが、レストランでも、居酒屋でも、どこでも女性が支払いをしている姿が、信じられないという外人が多い。とくに白人である。海外では家庭内でお金を支配しているのは、男であり亭主であるというのが普通だ。が、日本では女房が管理している。この現実が、彼らには天地がひっくり返るサプライズなのだそうだ。

味覚という見えない価値でも、意外と思うケースがある。たとえば、キューピーのマヨネーズだが(味の素派もいるだろうが、わたしが知ったのは、キューピー製のことだったのであしからず。)、この美味さに言葉を失ったアメリカ人が、youtubeなどで激賞している。マヨネーズがここまで美味くなると、いったいだれが想像したか、という調子だ。

しかし、わたしなどは、コンビニ文化全盛という今、どんどんモノが画一化されていき、実に味気なくなってきている毎日を感じる。そういう意味では、外人がたくさん来てくれることで、本来のクール・ジャパンが掘り起こされて、化石に息を吹き込んでくれるというのも、もしかしたらとても良い日本文化の活性化につながるかもしれない。

たとえば、お菓子を売るいわゆる「駄菓子屋」だが、昨今とんと見なくなった。ごくごくたまに見かけたりする。豆菓子専門だったりする店が比較的目に付くような気がするが、どうだろう。あの駄菓子屋は、大きな地球儀状のガラスの球体(地球瓶)の中に、駄菓子がわんさと入っており、それを量り売りしてもらったものだが、あのガラスの容器を製造する業者が今は皆無だそうだ。従い店主に言わせると、これが壊れればもはや無いという。

地球瓶2

画一化は、経済合理性である。それで大変なメリットを享受しているわれわれだが、一方で別の多くの大事なものを失っている。まさに「昭和」を失いつつあるのだ。「昭和」の文化が良いというつもりはないが(懐かしいのはやまやまだが)、明治という時代を誰ももはや体験していない日本人ばかりであるから、シンボリックな意味ではこの「昭和」の掘り起こしが一つのクール・ジャパンの宝庫であるかもしれない。

ワタミなどは、大変苦戦しているようだが、デフレ時代に一気に伸ばした業態が、ここへきて逆風にさらされている観がある。牛丼チェーンなどにもその衝撃波が及んでいる。それこそワタミなど、外人向けに特化した「日本の現色文化」そのものを、真正面から打ち出した居酒屋などやったら、結構行けるのではないかと思ったりもするがどうなのだろうか。

そもそも、白人連中には「米」文化がない。日本では米が余るわ、安くなるは、TPPで打撃を受けるわ、と三重苦、四重苦が待っている。年間の総生産額ベースでは、畜産品、野菜ともに2兆円超だが、なんと米は1兆円台である。完全に日本の農業において、米は主導権を失ってしまっている。

とすれば、外人に米を大量に食わせることを考えるのも一法だ。パンなどばっかり食ったら、太るだけだ。意外に米は太らない。とくに、冷や飯は、「なんとかスターチ」とかいう成分が分泌されるため、実は太らないのだそうだ。そう考えると、おにぎりというのはよく考えたものだ。大陸には、「おにぎり」は存在しない。冷や飯を食う文化習慣が歴史的に存在しないからだ。

外人に人気の煎餅然り、「米」文化をもっと工夫して、外人が大好きな食い物に変貌させてやるのは、日本の米農業活性化の突破口になるかもしれない。量が無理なら、質で価格を上げるしかない。

盲点となるのは、魚だろうか。だいたいからして、米以上に外人は魚を食わない。これを食わせるようにするのだ。これは、米以上に工夫が必要かもしれないが、養殖という技術では突出した日本である。連中に大量に魚を食わせ、肉のシェアを奪うというのは、おそらく日本にしかできない芸当であろうから、やる価値はある。(中国人はもうとっくに、大量にマグロを食い始めているので、かなり迷惑なことになっている)

しかし、日本に来ていなくても、すでに自国にいるときから、強烈な日本ファンという若者が、世界中(とくに先進国)で激増しているらしい。その鍵は、やはりアニメなのだ。そして、これはモンスター級の文化的インパクトを世界に与えていく可能性があり、現実に与え始めているようだ。

もともと日本の漫画は、12-13 世紀(平安時代末期~鎌倉時代初期)の作とされる『鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)』は、その描写と風刺性から日本マンガの原点とも言われている。
当時は他にも数々の絵巻物の名作が生み出されたが、それらの肉筆絵巻はごく限られた人々が楽しむに過ぎなかった。

地球瓶3

時代は下って、江戸期、享保年間( 18 世紀初頭)に、版画技術の発達と町人文化の隆盛により戯画が商品として流通するようになり、葛飾北斎による『北斎漫画』等の戯画本や、浮世絵の一分野としての戯画・風刺画が数多く生み出された。それらの中には、現代のマンガに通じる表現も見られる。

江戸末期以降、西洋の風刺漫画に影響を受けた風刺漫画雑誌の出版が始まった。これらは近代的印刷技術の普及により広く民衆の中に広がっていき、社会的影響力も増した。大正期以降には現代マンガと共通する表現手法が定着し始めるが、第二次世界大戦中の物資不足と情報規制により、マンガは一時的な衰退を余儀なくされた。

戦後になると手塚治虫をはじめとする多くのマンガ家が、赤本(駄菓子屋等で販売された廉価なマンガ本)や貸本といった媒体で作品を次々と発表した。その後 1959 年に『週刊少年マガジン(講談社)』、『週刊少年サンデー(小学館)』が同時に創刊され、連載マンガのしくみが確立された。

戦後、大小いくつかのプロダクションにより再開された動画としてのアニメーション制作は、1956 年の東映動画(現東映アニメーション)、1962 年の虫プロダクションの設立により大きな発展を遂げる。ちょうど昭和30年代初頭である。オリンピック開催を控えて、日本の戦後復興とともに、漫画が飛躍的な成長を始めたことになる。

手塚治虫により設立された虫プロダクションは、1963 年からテレビアニメ『鉄腕アトム』の制作を開始した。これは毎週 1 回 30 分の連続放送アニメという世界にも例のない方式で、制作時間の制約というハンディを逆手にとり、今日の日本アニメの特徴ともいえる様々な見せ方の工夫がなされた。

昭和38年にテレビで放映された、初期の動画アニメーションの黄金期を築いた傑作は、以下の通り。

1月 鉄腕アトム 手塚治虫

アトム

10月 鉄人28号 横山光輝

アトム2

11月 エイトマン 桑田二郎

アトム3

11月 狼少年ケン 伊東章夫

アトム4

現在、日本のマンガは、雑誌、コミック単行本を合せて約 5,000 億円の市場である。マンガ雑誌は雑誌発行部数の 28%、売上で 18%を占め、コミック単行本は書籍出版部数の 73%、売上で 28%にも上り、2005 年は初めてコミック単行本の売上が雑誌の売上を上回った。

海外各国・地域のメディアコンテンツ市場については、世界全体の市場規模は約 120 兆円といわれ、そのうちアメリカが半分に迫る約 50 兆円、日本は約 10%の 12.8 兆円とされている。その中で、突出した伸びを見せているのが、日本の漫画(アニメーション)である。

海外で「アニメ」といえば、はっきりとディズニー作品や各国のアニメーションと区別されている。「アニメ」とは、日本アニメのことをさす。多くのアニメが海外で放送や映画公開、DVD 発売されており、日本のアニメ業界が海外から得る権利収入は約 200 億円といわれ、放送や映画公開、DVD 発売の海外収益の 10%をライセンス収入として得ているとすると、日本アニメの海外市場は2,000 億円程度と考えられる。

ここに驚くべき、革命を日本のアニメは起こしているのだ。これまで日本のアニメを海外に翻訳出版するとき、横文字文化に配慮し、版下を逆に印刷して「左とじ」にしていた。が、ところが、近年、海外に急増してきているファンの「本物を見たい」という強い要望を受け、日本のマンガと同じ装丁である「右とじ」のマンガ翻訳本が増えているのだ。

これは、有史以来、横文字を左から右へ読み進める「左とじ」の本でのみ読んできた欧米において、ひとつの文化革命ともいえる現象である。日本マンガは大きな文化的転換を、欧米の出版産業に与えようとしているといえる。先般、「ジャポニズム~世界に与えた衝撃」で北斎が、いかに西洋文明に天地がひっくり返るような意匠世界における革命を引き起こしたかを書いたが、今回はその比ではないかもしれない。

アメリカにおける日本マンガの売上は 2005 年には約2億ドル( 250億円)近くに達し、2002 年に約 5000 万ドル( 60 億円)~約 6000 万ドル( 75億円)であったところから約3倍に成長した。強烈な伸びは、なにもインバウンド消費(来日外国人消費)だけではないのだ。日本は、どてっ腹を世界にものすごい勢いで押し出している。

アメリカの日本マンガのファン層は 100 万人に及ぶ規模に達しようとしており、そのうちの女性が 60%を占めるといわれる。

フランスのアニメファンは 1990 年前後に少年で、現在はマンガファンや宮崎アニメファンと、2000 年以降のテレビアニメでファンとなった子供やファミリー層、また最近のブームでマンガ・アニメのファンになった青年や大人層が存在している。これらのファン向けに、パリには日本マンガ専門店、日本アニメ・ゲームの専門店が軒を連ねるエリアができている。

フランスで放映された、「キャプテンハーロック 3D(松本零士)」などは、視聴率70%を記録し、あらゆる番組をなぎ倒した。フランスで『キャプテンハーロック』は超国民的伝説アニメらしい。

日本にきている多くの若い外人観光客も、けして奈良や京都といった古い文化財に惹かれているわけではなく、家電にそれほど消費欲求があるわけでもなく、ひたすらこの日本の本物のアニメ文化に触れたいという層が、極端に急増している。

アメリカ、フランスはおろか、トルコ、ハンガリー、ポーランド、スウェーデン、あらゆるところから、日本のアニメ・フリーク達が日本へ殺到してきているのだ。驚くべきことに、かなりの割合で、彼らは日本語が上手い。

単に単行本、動画にとどまらず、アニメの派生商品は、キャラクターグッズはもちろん、いわゆるコスプレなどのコミュニティー組成によって、驚愕的なスピードでインターワールドな人気膨張を続けているのだ。

こうなると、イデオロギーも、宗教も、言語もすべてを乗り越えて、生理的に日本シンパを増殖する上では、核弾頭より、援助資金などより、遥かにインパクトがあるかもしれない。どうも、わたしたちが思っている以上に、世界のとくに若い世代にとって、日本はクールらしい。



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