酒とバラの日々

文学・芸術


これは304回目。依存症ということです。酒、賭博、タバコ、セックス、ゲーム、なんでもありうるのでしょう。なにも嗜好品に限った話ではありません。抜け出そうとして、なんども元に戻ってしまう蟻地獄のような世界です。

:::

1962年制作、アメリカ映画に「酒とバラの日々」という名作があった。
コメディアンで知られるジャック・レモンの鬼気迫るアル中の演技は、今でも語り草だ。
妻のリー・レミックがアルコールで身を持ち崩していく有様に至っては、切なさが限界を超える。

夫婦は、お互い、酒を媒介にしなければ心を通じ合えない関係になっていく。いや、実は心を通じ合わせようというより、ただ、生活を共有しているだけのことなのだが。

テーマ音楽(同名、The days of wine and roses)がオスカー・ピーターソンの名曲だけに、地獄に落ちていくシーンの繰り返しに、どうにもやるせなくなってくる。

愛してる人のために自分も酒をあおるシーン、授乳を諦めて飲むリー・レミックの表情、妻の惨めな姿に耐えられず、結局自分も飲んでしまうジャック・レモン。

「しらふのときには、世界が汚くみえるのさ。」

仲がいいのか、ただの悪循環で傷をなめ合っているだけの関係なのか。

映画では、もともと「酒好きの夫には酒が飲めない妻はつまらない」 という事で 彼女のアイスクリームに無理やり酒を注いで、妻を酒好きにさせていくのが発端になっている。二人はやがて酒浸りになっていく。

失職、セラピー通い、脱走まがいの家出、妻の父親の植物園での厚生、やっぱり酒に舞い戻る、自分はアル中ではないと頑として言い張る妻がまた出て行く・・・アルコールに溺れた夫婦が、結局すべてを失いながら、最後の一滴のような愛を見つけては(愛と信じただけなのかもしれない)、必死に現実に立ち向かおうとする。

自己嫌悪、そのたびに自己再生を誓う。
ところが、そのためにウソをつきまくり、自分を憐れみ、ときに正当化し、かけがえのない人を裏切り続ける。

「ママは治るの?」
と、子供が言う。
「必ず治るよ」
そう、父が言う。
カメラは、妻に焦点を当てる。その向こうには、バーの看板が見える。・・・

だんだん破滅に向かいながら、二人の心の中には、そこに酒と薔薇の日々がそこにあった、そういう記憶だけは確かに残っていく。しかしそれは「不安」という代名詞でしかない。

光を見たければ、光の中に飛び出すしかない。

光の中に出たいのだ。しかし、それよりも闇の中にいるほうがもっと心地よいのを知っている。

救いのないラストシーンは、人間の心の中の闇といったような次元では、とても処理できない重さがある。

アル中の恐怖を描いたというだけでは、とても納得できないやりきれなさが、鑑賞後に残る。

アル中というテーマを使っているものの、実は人間と運命という蟻地獄のような関係が執拗に描かれるプロットは、どこかガルシア・マルケスの「百年の孤独」にも通じる。

わたしにとって、あなたにとって、抜け出し難い輪廻とはなんだろうか。



文学・芸術