座右の銘
これは335回目。28日(土曜日)の日経新聞「NIKKEIプラス1」は、「新年に誓う四字熟語」というテーマでした。みなさんは、どんな言葉を思うでしょうか。座右の銘というものをお持ちですか。
:::
「NIKKEIプラス1」で取り上げた「新年に誓う四字熟語」の、第一位は、「心機一転」だった。
気持ちを切り替えるということなのだろう。なるほど第一位になるのも、なるほどと思える。
第二位は、「悠々自適」だそうだ。忙しいときこそ心穏やかに、理想の境地だ、といったコメントが付されていた。これも、なるほどと思う。
第三位は、「泰然自若」。第二位の「悠々自適」にも通じるものがありそうだ。
第四位は、「一期一会」。新たな出会いへの心構えなのだろう。
第五位以下は、「前途洋々」、「不言実行」、「不撓不屈」、「七転八起」、「一念発起」、「油断大敵」と続く。
四字熟語という問いかけであるから、比較的日常生活になじみのあるものが多いようだ。
しかし、水を差すようなつもりは毛頭ないのだが、どうだろう、来年は「子(ね)」で十二支の一番最初に戻るのだから、ここで単に一年とはいわず、十二年、いや一生の座右の銘も考えてみたら。
「座右の銘」というのは、そもそもなんだろうか。
「座右」とは「自分が座ったときの右側」をさす。「銘」とは石や器に歴史上の人物の言葉を記したもので、現代で言う「紙」のようなものだ。
昔の中国の高位の人たちは、「銘」に自分が尊敬する過去の人の言葉を記し、自分の右側に置いていたと言われている。たとえば、皇帝にとっての「右側」というのは、自分がもっとも信頼する補佐役などを座らせる場所なのだ。
いろんな言葉があり、人によって自身の自戒の訓であったり、モットーであったり、理想であったりと、さまざまだ。しかし言葉だから、魂が宿る。ある意味、自分の分身と言っても良い。
そうなると、あまり文章のような形式では、「しまらない」。そこで、四字熟語であったり、漢字数文字ということになると、「すわりがよい」ということになるのだろう。
一つだけとは限らない。自戒の訓であるとしたら、複数あっても不思議ではない。わたしなどは、そうしたたぐいで、欠陥だらけ、叩けば埃しか出てこないような人間だから、結構そうした銘がある。
大死一番(たいしいちばん)
三界自在(さんがいじざい)
万代不易(ばんだいふえき)
草莽崛起(そうもうくっき)
・・・
現実のわたしの姿からは、ほど遠いものばかりだ。反対といってもいい。だから、座右の銘ということになるのだろう。
ただ、ひねくれものなので、もしわたしが普通に「座右の銘」は何ですか、と聞かれると、たいていの人が用いる四字熟語では答えない。
三昧(ざんまい)
この二字。それだけである。キリスト教徒なら、「愛」一文字かもしれない。男気に感じる人は「誠」一字かもしれない。
しかし、考えてみれば、英語のそうした言葉だっていいのかもしれない。たとえば、ジョン・レノンが言った・・・
Starting over・・・(最初からすべてをやり直そう)
これだって、いいじゃないか。粋ではないかと思う。
意外に英語を持とうという人が少ないのかもしれないが、探せばいくらでも名言がある。
以前、このNOTEで取り上げた日系二世部隊「第442連隊戦闘団」の標語も心に残っている。
Go for broke(当たって砕けろ)
似たようなものには、こんなのもある。
We go one,
We go all.
ふつう、直訳すれば、みんなが一つになって、団結する、という意味になるが(一致団結)、わたしはやや違う、意訳でこの言葉を考えている。
みんな一つになれる。
やれば、きっとできる。
英語の正確な意味からしたら、違うのであろうが、しかしわたしはそういう意味でこの言葉に思いをいたすのだ。
さてさて、みなさんならどんな座右の銘をお持ちになるだろうか。
わたしは、最近、歳をとってきたからか、できるだけ単純なものでありたい。
それが、・・・
である。
つまり、「まる」。「円」である。禅ではこれを「円相」と呼ぶ。
円窓とかいて、己の心を映す窓とも言われる。始まりも終わりもなく角に引っ掛かる事もない。円の流れ続ける動きは、仏教が教えるとらわれのない心、執着から解放された心を表わしているという。
わたしからは、遠く及ばない世界だ。だから、これがいつも座右にある。