人体の驚異

文学・芸術

これは350回目。60兆個の細胞によって構成される人間の体というのは、まさに脅威のかたまりです。その人間一人のDNAは髪の毛の4万分の1の細さなのですが、全部を引っ張り出してまっすぐ伸ばすと、1044億kmになるそうです。

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なんと、これは、地球と太陽の距離1億5000万kmの700倍に相当する。つまり、人間一人の中には、地球と太陽を350往復する長さのDNAがあることになるのだ。そのDNAが持つ情報量は、じつに1000ページの百科事典1000冊分にも達する。

長いと言えば、血管もそうだ。血管の長さは10万kmだという。地球の外周がおよそ4万kmだから、二周り半することになる。心臓は一日に8トンの血液を送り出しているわけだが、人間の血液が心臓を出て、また戻ってくるまでにかかる時間は約25秒だそうだ。血液のすべてが体中を回っているわけではないが、平均的に考えると血流の速度は、時速216kmになるという。つまり、新幹線並みに速いということになる。ちなみに、くしゃみは時速160km。咳は100kmだそうだ。

新陳代謝もものすごい。人間の肌は1カ月で生まれ変わり、骨は3カ月で新しい細胞と入れ替わる。ここまで書くといかにも科学的な話のように見えるが、私のことだから、それでは済まないことは読者もよくお分かりのはず。そう、話はオカルトに発展するのだ。

この驚異的な人体だが、記憶は脳がつかさどると従来考えられていた。確かにそれはそうなのだが、どうもそれだけではないらしい。というのも、アメリカで恐るべき移植例が過去報告されている。これを「記憶転移」という。臓器移植によってドナー(提供者)の記憶の一部が、移植を受けた側(受給者)に移るという現象である。もちろん、科学の分野で正式に認められたものではない。

ただ通常、移植を受けた側がドナーの家族と直接、接触することは移植コーディネーターや病院から固く禁じられている。そのため、「記憶転移」の確認が得られた例はきわめて少ない。つまり、科学的に蓋然性(がいぜんせい)があると認められるだけのサンプルが少なすぎるのだ。

一つの例がある。1988年にアメリカ人女性のレアは、コネティカット州のエール大学付属病院で心肺同時移植手術を受け成功した。ドナーは、バイク事故で死亡したメイン州の19歳の少年だということだけが、彼女に伝えられていた。

ところが、術後数日すると、彼女は自分の嗜好・性格が手術前と違っているのに気づいた。苦手だったピーマンが好物になり、ファストフードは嫌いだったのに、ケンタッキーフライドチキンのチキンナゲットを好むようになった。歩き方も男っぽくなり、以前は静かな性格だったのが、非常に活動的な性格に変わった。しかし、決定的なのは、夢の中に出てきた少年のファーストネームを彼女は知っており、彼がドナーだと確認した。

ドナーの家族との接触は拒絶されたが、メイン州の新聞の中から、移植手術日と同じ日の死亡事故記事を手がかりに、少年の家族と連絡を取ることに成功。対面が実現し、少年のファーストネームが夢で見たものと同じだったことが証明された。好みは彼女に起こった変化と同じだった。

もっと驚くような例がある。1989年、ミシガン州の自動車事故で、夫婦のうち夫のデビッドが死亡。妻のグレンダだけは重傷を負ったが生き残った。デビッドの心臓は、ヒスパニック系のカルロスという青年に移植されたが、術後、カルロスの口からは、どういうわけか「コパスティック(copacetic)」という意味不明の言葉がついて出るようになった。

2年後、グレンダはカルロスと面談に成功。この「コパスティック(copacetic)」という言葉の謎が判明した。今日のアメリカではほとんど使われない俗語で、強いて言うのなら、「二人はいつも順調」という意味だそうだ。いわば、二人だけの暗号というわけだ。ちなみに、カルロスはスペイン語しか話せない。おまけに、菜食主義者だったカルロスは肉料理を好むようになり、ヘビメタ好きが50年代ロックを聴くようになった。

さらに、どうにも反論できないような例としては、若夫婦のうち夫のほうが亡くなって、青年に心臓移植されたケースがある。やがて青年は、まったく意味不明の数字とアルファベットの羅列を書くようになった。自分でも、なぜそれがすらすら出てくるのか分からない。

結局、ドナーの奥さんと面談することが叶った。そして、その意味不明の数字とアルファベットを見せたところ、それは学生時代、恋人同士だった二人の間で交わされた暗号文だと判明した。単純な仕組みだが、二人だけが知る事実だった。そのアルファベットの羅列を読むと、銀行名や口座、パスワードなどであることが分かった。

驚くべきことに、その銀行には生前、ドナーの夫が彼女のためにつくっておいた貸金庫があり、そこには彼が貯めていた現金が入っていた。この例などは、二人以外には知りえない情報が、移植を受けた側に継承されたということになる。

いったい、細胞そのものが記憶するのか。それとも、細胞の中にあるDNAは一種のメモリーのような役目を果たすのか。つまり、ドナーの生前の記憶がDNAに凝縮されていて、生体の受給者に移植された後も有効に機能するということなのだろうか。いかんせんサンプルが少なすぎるために、決定的な答えはまだ出ていない。だが、人間の記憶はいったいどこに存在しているのか、興味のつきないテーマである。



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