形が壊れていく時代に

文学・芸術

これは380回目。時代が変わるとき、それまでの形が壊れていきます。しかし、どんなに時代の形が変わっても、一貫して変わらないものがいくつもあります。その一つは、義かもしれません。私利を離れ、なんの得にもならないのですが、なすべきことを貫徹することです。

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時代の形は、安定を求めたとき、いわゆる「形骸化」してしまう。それは国家、社会、企業、家、サークルやクラブ、なんについても言えることだ。

だから、経済学者のシュンペーターが言ったように、常に「創造的破壊」によって時代は蘇る。

やはり経済学者のケインズも、その根源を「アニマルスピリッツ」と呼んだ。

これらは皆、安定期が長期に及んだ後に、必然的に起こるさまざまな弊害を打破するためのダイナミズムだ。今の日本が求められている姿勢だろう。

逆に、乱世が終息し、安定軌道を構築していくときにはどうだろうか。不要なものは、現実主義によって、容赦なく切り捨てられていく。

たとえば、幕末、長州の奇兵隊などはその典型的な例だろう。用済みとなった武装集団は、国民皆兵による近代的軍隊を組織する必要から、切り捨てられた。

西郷隆盛の西南戦争は、過去の時代の「最後の残り火」が消された瞬間だったのだろう。

では、近代明治国家は本当に、幕末や、江戸時代より「優れた時代」になったのだろうか。優れていたかもしれない。が、それも結局形骸化し、魂を忘れた近代日本は、大東亜戦争で木っ端微塵に破滅するという大失態で幕切れとなったではないか。

時代が変わるときというものは、結局同じことが繰り返されているようだ。

では、奇兵隊の断末魔の悲痛な叫びも、西郷の「ちょしもたー」の一言も、ただ現実に切り捨てられただけの、無益な死だったのだろうか。

歴史の表面づらでは、そうだろう。ただの、時代錯誤であり、時代に取り残された者たちの、最後のあがきにしか見えないかもしれない。

しかし、逆に考えてみればその価値や意味が初めてわかる。もし、近代明治国家の揺籃期に、お役御免となった奇兵隊が起たなかったら? もし、西郷が、あのままのうのうと郷里で百姓と私学に専念し、いわば世捨て人で幸せな晩年を送ったとしたら?

個々の人間の幸せとはなにか、という観点からは、それも良い。そのかわり、日本は今や、ただの節操の無い、二流国家に成り下がっていたに違いない。

彼らが無謀な異議申し立てを死と引き換えに貫いたことで、日本という国は、かくもだらしない戦後国家になってしまった今でも、国としての佇まいを辛うじて遺しているのだと想う。彼らは、時代が変わっても、何が大事か、「それを忘れるな」と歴史の裏ページに刻みつけていったのだ。戦争末期の、戦艦大和の無謀にして無益な水上特攻もそうだろう。

わたしたちの中には、そうした多くの、「切り捨てられていった」人たちの、渾身の「かたみ」が残されており、今となってはもはや無言の告発によって「これでいいのか」と、わたしたちがふと立ち止まり、それを思い起こさせる大事な契機となっている、とそう想うのだ。

そういう過去の時代を生きた人間の矜持(きょうじ)たるものを、劇的に描いた映画がある。1962年昭和37年公開の『切腹』だ。

仲代達矢主演の映画だが、原作者や監督は、「武家社会の虚飾と武士道の残酷性」を暴き出し、サムライ精神への強烈なアンチテーゼを込めた。

海外の評価は、それを古典的な悲劇、滅びの美学として評価した。

どちらも一面の事実だと想うが、作品というものは、作者の意図とは別の命が育まれていくものだ。新しい価値を伴って独り歩きし始めるのである。わたしにはこの映画が、形骸化しつつある組織へ、次代の人たちへ、「忘れてはならぬこと」を刻みつけていった一人の老浪人の矜持を示した名作に思える。

単純な、過去の武士社会や武士道の「くだらなさ」や、滅びの美学にとどまらない、どんな時代にあっても曲げてはならないものを、訴えて逝った者たちの意地がそこに見える。その意地を示すものが一人もいない国であれば、今頃日本などとっくに滅んでいることだろう。

戦国も終わり、徳川幕藩体制が堅固なものとなり、社会は安定し、膠着化していた。

過去、血煙の中を生き抜いてきて、敗者のがわにたっていたために、いまやただの浪人に成り下がっていた主人公。老いさらばえて、しかも極貧の主人公には、病身の娘を承知で娶ってくれた、有り難い義理の息子がいた。

義理の息子は、三人が極貧から抜け出すために、決して褒められたことではない行為に及ぶ(押しかけ切腹詐欺、とでも言おうか)。貧すれば鈍す、なのだが、武士が不要になりつつあった時代だけに、同情には値する。

彼が門前払いを食い、恥をかけばそれで済むていどの話だったが、それを逆手にとって、被害者側の大藩の江戸家老は、あまりといえばあまりの仕打ちで、残酷な死に様を彼に強いたのだ。

組織のため、体面のため、幕府のお咎めを免れるため、といえばそれまでだ。しかし、大事なことを見失った組織論は、ただの非道でしかない。

老浪人はそこで大藩の江戸屋敷に単身乗り込み、戦国の世の本当のサムライの意地というものを、見せつける。

泰平の世になり、人としての道を大きく踏み外し、それを組織や法や体面のために正当化する者たちに、時代が変わっても「忘れてはならないもの」を身を挺して見せつける。

なんのための泰平であったのか。なんのための組織であり、法であったのか。それを思い知らせて、果てる。

わたしにはただのアンチ武士道、滅びの美学の賛美では終わらない、製作者たちの意図を遥かに超えた「時代」というものの必死の訴えを、この映画に感じ取ったのだが、間違っているだろうか。

あの映画のテーマは、決して膠着化し、金属疲労を起こした武家社会ではない。ましてや、恨みをはらし、正義に殉じようとしただけの復讐潭に終わってもいない。

時代設定を超えて、もっと大事なことをフィルムは訴えている、とそう想うのだが。



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