彼はなにを生きたのか?

文学・芸術

これは410回目。

フランスの詩人アルチュール・ランボーの話です。世界に星の数ほどいる文学者たちのうち、もっとも理解不能な、しかし最も激しいインスピレーションを稲妻のように与える詩人の一人が、このランボーです。

:::

みんなが彼を探そうとしたが、いつもそこに彼は不在の人だった。

1871年、ランボーは、彼の天才性を見抜き、世に送り出し、しかも同性愛の相手であった詩人のヴェルレーヌと恋愛沙汰の末に仲違いをした。

1873年、ブリュッセルのホテルで、激しく言い争った挙句、ヴェルレーヌが6連発式ルフォショー銃で、ランボーを撃った。ランボーは一発が右腕に命中し、治療のため入院。ヴェルレーヌは監獄に入れられた。

いさかいのあった当時、29歳のベルレーヌは妻帯者でランボーは18歳だった。口論の末、激しく動揺したベルレーヌは「別れ方を教えてやる!」と叫び、ランボーに向けて発砲したとされる。

(ヴェルレーヌ=前列左と、ランボー=その隣)

ランボー

ところが、ランボーは20歳で詩を書くことをきっぱり止めてしまい、さまざまな仕事を転々とした後に、アフリカで商人になる。武器商人である。

ランボーは16歳で彗星のように出現し、スキャンダルとともに消え去った。その後は、いつも居場所不明の謎の詩人として名声だけがパリで独り歩きをした。本人自分の詩人としての名声にはまったく無頓着だった。

・・・

俺は夢みた 十字軍
話にも聞かぬ探検旅行
歴史を持たぬ共和国
息づまる宗教戦争
風俗の革命
移動する種族と大陸

俺はあらゆる妖術を信じていた
俺は母音の色を発明した

Aは黒、Eは白、Iは赤、Oは青、Uは緑。

俺は子音それぞれの形態と運動とを整調した
しかも、本然の律動によって
幾時(いつ)かはあらゆる感覚に通ずる詩的言辞も発明しようと
ひそかに希うところがあったのだ

(「言葉の錬金術師」ランボー)

確かに詩の中には、将来彼が夢見た砂漠の幻影が見え隠れしている。しかし、なぜ詩を捨てて、武器商人にまでなっていったのか、その軌跡はこれまで多くの人が解析しようとして、いまだにこれといった定説がなく、実際評価もばらばらだ。

ただ、あまりにも鮮烈な衝撃を誰にも与えたことは確かだ。彼の『理性を、平然と狂わせろ。』という名言とともに。

昭和の評論界を代表する小林秀雄は、その『考えるヒント』の中に、ランボーとの出会いを書いている。あまりにもよく知られている話だ。

・・・僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何の準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。・・・豆本は見事に炸裂し、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様に思われる・・・

ランボーの一撃を食らった人たちは、みな似たような衝撃に覚えがあるはずだ。

いったいどんな詩人なのだ? どういう感性、どういう精神、哲学をもった男だったのだ。輝かしい文壇での栄光と、パリ・コミューン崩壊への絶望、ブルジョワ文化への蔑視と、名声への無関心、同性愛、倫理や理想などとはまったく無縁の金儲け・・・どれもこれも、つながるようでばらばらにわたしたちの脳裏に飛び込んできては、ますますランボーという一人の特異な人物像は迷路にはまり込む。

1883年9月23日付の書簡はこうなっている。

・・・9月23日にキャラバン46で、ラクダ42頭分の牛の皮革を発送します。10月20日には、山羊皮5千枚をキャラバン48で発送する準備をしています。おなじキャラバンがおそらくオガディンの羽根と象牙を送ることになります。われわれの踏査隊が9月末にそこから最終的に戻ってくるのです。われわれはイトゥー・ジャルジャールに向けて小規模な踏査隊の派遣を試みました。これは有力な首長への贈物といくらかの商品を運びます。われわれにもたらされた情報によりますと、これらの部族のもとにしっかりした基盤にもとづいた交易を立ち上げることができそうです」

いかにも商社マンの連絡通信である。

このときランボーはラクダ100頭のキャラバンを組織し、2000丁の小銃、60000個の弾薬筒をエチオピアのメネリック王に売りつけようとする。この王の従兄弟は、後のエチオピア皇帝ハイレ・セラシエの父である。

過酷な土地での行脚と過酷な交易活動。ついに、体を壊した。右足に腫瘍ができて悪化し、どうにもならなくなり、フランスに戻って入院。右足を切断までしたが、甲斐なく死ぬ。事実上の野垂れ死にである。1891年11月10日、37歳だった。

ランボーの詩には、感傷というものが微塵も見られない。情緒的な詩は無いのである。痛烈に歌い上げており、読者をも黙殺している。

もちろん選ばれた人のための詩でもない。自分自身のためにも謳っていない。

平たくいえば、彼の生き様そのものだったと、つまらない解釈で片付けるしかないくらい、詩というものをどこかに置き去りにした「詩」なのである。

終生無神論者だったランボーも死の直前に妹イザベルの願いをいれて、クリスチャンへと回心している。

37年の生涯のうち、たった4年だけ詩人だった男の、壮絶な生き様というものは、未だにわたしの中では、謎のまま残っている。



文学・芸術