翼の先にあるもの~飛行機の話

文学・芸術


これは91回目。飛行機のお話です。夢のある代名詞の一つであるはずの飛行機ですが、偏執的に調べれば調べるほど、なんだか怖くなってきた自分がいます。

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「飛行機」という言葉は、森鴎外がその「小倉日記」で、「飛行機の沿革を説く」と書いており、これが、日本における「飛行機」という記述のもっとも古いものだといわれている。

この飛行機、知ってるようで、意外に常識とは違うことが多い。近年エアバスがのしてきているものの、ひところは、飛行機といったらボーイングだった。

たとえば、製造技術に関していえば、最大手のボーイング(シアトル発祥)は、もとも造船をしていた。これが飛行機製造に切り替わり、造船業時代の、とくに曲線技術が、航空力学に応用されているらしい。飛行機というものは、文化的、あるは技術的に船の延長上にあるといってもいい。

また、船というのは、必ず左側に入り口がある。これは、右利きが多かったため、操縦士が接岸しやすいように、左側に入り口がつくられたためだ。この船のルールが飛行機にも流用されて、左側に搭乗口があるという。

しかし、安全面に目を転じてみると、いろいろ知らなかったことに気づく。たとえば、一機につき装着されている18個のタイヤだが、空気ではなく、窒素が充填されている。気圧の差で、タイヤの膨張による破裂の恐れが無いことや、非引火性ガスのため発火の恐れがまったくないためだ。

また、ジェット機とプロペラ機では、後者のほうがエンジン停止しても滑空して不時着できるから安全だ、といったような「神話」が長いこと流布されていた。しかし、飛行機は、ジェットエンジンの場合、上空で停止しても、浮力だけで30分は飛び続けることができるそうだ。たちまち滑空してお陀仏というものでもないらしい。ならば、プロペラ機と同様に、滑空して不時着が可能だろう。一種の都市伝説化したことで、あたかもジェット機は危険といったようなイメージが出来上がってしまったのだろう。

わたしなども、80年代の中国国内移動に、よく中国民航を使ったものだが、当時まだプロペラのアントノフ(ソ連製)が現役で飛んでいた。中国のジェット機のメンテナンスに非常に不安を覚えていたので、アントノフだったときには、やけに安心したものだ。旧式でも、プロペラであるからエンジン停止をしても、滑空して不時着できると信じたのだ。

恐ろしいのは、むしろ燃料タンクの位置だろう。一般的な常識では、胴体の中に燃料(ケロシン、灯油に似たもの)が蓄積されているとおもいがちだが、実は翼の中に蓄えられているのだ。だから、不時着などで機体が一気に燃え上がったりするのは、胴体部分からではなく、翼からなのだ。だとすると、大差ないかもしれないが、なんとなく翼から離れた座席にしたいなどと思ってしまう。

知れば知るほど、だんだん怖くなるのが飛行機だ。たとえば、このほかにも製造工程に、意外に知られていない事実がある。ふつう、金属や樹脂によって飛行機の大部分が組み立てられているわけだが、当然接合部分にはボルトやナットが使われていると思うではないか。

ところが、そうでもないのだ。とくに翼などは、ボルトやナットが使われていない。接着剤で接合しているのだ。もし仮に、定員500人乗りのジェット機で、ボルトとナットで代用して製造した場合には、なんと自重が多すぎて、一人の乗客も乗せられなくなってしまうのだそうだ。燃料を70%入れただけでも、飛ぶことすらできなくなってしまうという。

この関連でいえば(つまり、軽量化が命)、ジャンボジェット機の外壁の厚さはどのくらいだとお思いだろうか。なんと、1mm(ミリ)未満だそうだ。いきなり、飛行機に乗れなくなるような自分を感じている。

しかし、ロケットにしろ、飛行機にしろ、とんでもないものを人間は作り出したものだ。窓外に広がる世界の規模や自然の造形は、壮大にして荘厳。およそ人間存在など、ゴミのようなものでしかないことを思い知らされる。科学技術を使って、空を飛ぶという妄想を現実のものとした人間が行き着いた先は、一体何なのだろうか。



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