世界の三大スープ って何だと思う?
これは105回目。息抜きです。人間はランキングをつけるのが好きです。日本人も、江戸時代以来、何でもかんでも番付表をつくったものです。俗に「世界の三大スープ」と言われるのですが、それはフランスのブイヤベース、中国のフカヒレスープ、タイのトムヤムクンというのが通り相場のような気がします。ほんとうにそうでしょうか?
:::
まったく、わたしは同意できないのだ。だいたい、こういう常識というものを、頭から疑ってかかるひねくれものなので、「世界の三大スープ」などといわれると、理由も聞かずに、全否定するのがわたしであると思っていただいてよい。
「世界の三大スープ」というからには、要件がはっきりしていなければならない。ポイントは、わたしは二つだと思っている。最大公約数的に、好まれるということ。そして、もう一つ(ここが大事だ)、飽きないということだ。
先の三大スープを、毎朝食わされてみるがよい。まずたいていの人が、2日目にはもう飽きる。だれが毎日トムヤムクンを毎朝食えるというのだ(わたしはトムヤムクンが好きなのだが、毎朝は無理)。タイ人ですら、毎日食ってる人間などまずいないではないか。(毎日ということでは、辛くないトムヤムガイやトムカーガイのほうが多いだろう。)
確かにフカヒレは美味い。が、やはり飽きるのだ。飽きないということでは、中国人の定番スープといったら、普通は酸拉湯(スアン・ラー・タン)のほうだろう。これは酸味と辛さが強いので、わたしは大好きだが、やはり「世界の三大スープ」に持ち上げるには、いささか抵抗があるのだ。あくまでわたし個人の好みでしかないように思えてならないからだ。
ブイヤベースにいたっては、美味いのはわかるが、毎朝となると、もうウンザリである。論外だ。重すぎるのだ。
わたしに言わせれば、先述の二つの要件を満たす世界の三大スープというのは、フランスのコンソメスープ(ブイヨンではないのだが、百歩譲って、ブイヨンでもよい。)、アメリカのチャウダー、そして日本の味噌汁である。反論は許さない。この三つに決まっているのだ。
コーンスープと言いたいところだが、世界中結構どこにでもオリジナルのコーンスープがあるので、ちょっとこれは除外してみる。
コンソメというのは、マギーのブイヨンがあまりにも有名になってしまったので、あれだと勘違いしやすいが、そもそも牛肉・鶏肉・魚などからとった出汁(ブイヨン)に、脂肪の少ない肉や野菜を加えて煮立てる。それをコンソメという。だから実は違うものなのだが、当たらずと言えども遠からず、ではある。
あの、完成したコンソメは、透明度百パーセントの琥珀色でなければならない。濁っているコンソメは、絶対に許されないのだ。黄金色とはあのことだ。あの透明度を出すには、見た目のシンプルさとは違い、実に手の込んだスープである。
かつて、わたしが絶叫するほどその美味さを痛感したのは、パキスタンのカラチに出張にいったときのこと、ホテルのレストランで朝食をとった折に注文したコンソメだった。なにしろ、東南アジアからインド圏まで、ひたすらパンチの効きすぎたスパイシーな食い物ばかりを食わされてきた後だけに、このときのコンソメは、天地がひっくり返るほど美味いと思った。(正確には、オニオングラタンスープだったのだが、ベースはあくまでコンソメであった)
美味しいコンソメは、まず毎朝出されても、おそらく飽きるという人が少ないのではないだろうか。もちろん、好みで真逆といってもいいくらい、濁ってしまったベイクド・オニオン・スープに仕立てても良いのだ。ベースはコンソメだ。意外に、コンソメはそこから派生したスープのバリエーションが多いのである。
さて、もう一つは、アメリカ大陸で生まれたチャウダーだ。魚介類、じゃがいも、ベーコンなどを、生クリームや牛乳で煮込んだ具だくさんのスープだ。ご存知、二枚貝(clam)を入れるとクラムチャウダーだし、スイートコーンを入れるとコーンチャウダーになる。要するにチャウダーである。
もっとも、一般に知られているクラム・チャウダーのようなものは、ボストン・チャウダーだ。マンハッタンでは、トマトベースのチャウダーが一般的だとよく言われるが、本当のところはわからない。一応、ここでは牛乳や生クリーム仕立てのボストン風のチャウダーとしておこう。
これも、飽きないタイプのスープだろう。要するに、フランスのコンソメにしろ、アメリカのチャウダーにしろ、家庭料理の「定番」ということだ。この家庭における「定番」で勝負しようではないか。美味くて、飽きないのだ。
となったら、もう残りの一つは、味噌汁に決まっているだろうが。世界三大スープとは、コンソメ、チャウダー、味噌汁と答えは100年前から決まっているのだ。
味噌汁には、味噌にそもそもとんでもない種類があり、具の違いでまったく際立った違いがでてくるわけで、朝一発目に胃に入れるものとしては、世界を探してこれだけ「飽きない」「美味しいと誰もが思う」スープは無いと言い切れる。実は、ネギをぶつ切りにして、やや生っぽい状態で食す、単純な「根深汁(ねぶかじる)」がこの三大スープに値するものだろうと信じている。
もっとも、美味しい、これは絶品だと思うスープというのは、世界にたくさんある。ただ、個人的には好きなのだが、これまで絶品だと思えるようなものに出会ったことが不思議とないのが、ロシアのボルシチである。料理に詳しくないが、基本的に一般的なミネストローネなどと、いったいどう違うのかよくわからない。
要するに、ボルシチはビーツ(豆)が入っていて、サワークリームを使うということで、ミネストローネではサワークリームは普通使わないという程度の差でしかないらしい。いずれも好きなのだが、「これは凄く美味い」というチャンスに遭遇したことが、どういうわけか無いのだ。わたしの舌がおかしくないのであれば、間違いなくおいしいし、好きなのだがそこそこのスープだということなのかもしれない。ちなみに、ボルシチはもともとロシアではなく、ウクライナの料理だ。
個人的には好きなのだが、というものの一つに韓国の参鶏湯(サンゲタン)がある。これも、出てくればわたしなどは小さな歓声を挙げるのだが、よく考えてみれば、九州あたりでよく食する、鶏を使った「水炊き」とどう違うのだ、と思ってしまうのだ。なら、なにも韓国料理でなくて、純然たる九州のあの白濁した水炊きで文句ないではないか。漢方などの薬草が煮込まないだけ、むしろあっさりでいてこってりという感じだから、比べてしまえば、はるかに水炊きに軍配をわたしは挙げてしまう。
アジアとか、ヨーロッパとか、歴史の長い、古い伝統文化の根付いた地域では、美味しいスープがいろいろあるのだが、かといって三大スープを持ち上げるほどの「汎用性」の高いものがあるか、と言われると個性が強すぎて、かなり好き好きでばらけてしまうのではないだろうか。
所変わって、アメリカというのは、英国と同じくまったく料理が不毛の地域だというイメージが強いがそうではないのだ。先述のチャウダーなどは、誰が食しても満足のはずだ。冬場、立ったまま、クラッカーやチーズといっしょに、カップに入ったクラムチャウダーを、ふうふう言いながら食べてみるがいい。そこそこの腕だとしても、かなり美味いと思うはずだ。
それ以外にも、スープということでは南部地域に多い「ガンボ」は、世界三大スープという要件には該当しないものの、美味いかどうか、という点では、間違いなく美味い。
アメリカというと、どうしてもファストフードにばかり目が行ってしまいがちなのだが、このガンボは、ルイジアナ(ディープ・サウス)発祥の、いわばフランス植民地時代の料理の名残だ。野菜もたっぷり、濃厚でスパイシーなスープだ。オクラのとろみが効いているので、日本人にも好まれるはずだ。肉や魚介を使って作るのだが、アメリカ南部の代表的な郷土料理なので、本来は世界三大スープに持ち上げたい気持ちはあるのだが、やはりグローバルに最大公約数の支持を獲得できるか、と言われるとやはり「飽き」が難点になりそうだ。
ちなみに、このガンボ。日本人には一段と身近に感じるはずなのは、ライスを乗せるというところだろうか。これで、1セットランチになるわけだ。日本で、このガンボが食えるところがあるか、よく知らないが、一度試して損はない。トマトベースであったり、そうでなかったりとバリエーションはあるものの、基本的にライスにかけて食べるスープストックというものなので、日本人は好きなはずだ。
しかしこのガンボ、しょせん旧フランス植民地時代の産物ではないか(クレオール料理)、やっぱり純然たるアングロサクソンの料理はまずいのだ、という偏見が多いと思うのである。しかし、本場英国でも、(ローストビーフが美味いなどと、一度も思ったことがないわたし)、庶民の食するフィッシュ(タラのから揚げ)&チップスは店によっては、かなり美味いし、今回取り上げているスープでも、もっとも家庭料理然としたスコッチブロスなど、けしてあなどれない「飽きなさ加減」がある。
「スコッチブロス」は、NHKの連続テレビ小説「マッサン」の中で、エリーが作ったりしたので、覚えている人も多いはずだ。大麦・ライ麦などを煮込んだ、非常に単純なスープだが、悪くない。アングロサクソンは味音痴だとは、わたしは思わない。
イスラム系のところでは、「孤独のグルメ」でも紹介されて有名になった「ハリラ」ということになるだろう。モロッコの国民食だ。牛肉と豆や野菜がたっぷりはいったとろみのあるスープだ。ラマダン(断食)明けの体に優しいスープだ。クスクス(小麦粉から作る粒状の食べ物)などと一緒に添えて食しても、絶品である。
わたしはスープが好きなのだ。そこの料理そのものより、その国をある意味代表する定番がスープだ。だから、まず、まずいものというものは無い。ノルウェーの「フィスクシュッペ」、冷製スープの代表であるスペインの「ガスパッチョ」など、いくらでもあるのだ。絶品ということでいえば(飽きたとしても)、いわゆる海老を煮込んだ「ビスク」もわたしは目が無い。
思えば、わたしが一番最初に食した舶来モノのスープということでは、横浜駅東口にあった古い崎陽軒本店の食堂だった。昭和30年代後半、父親に連れて行ってもらったのが初体験である。このときはじめて、コーンスープ(中華風だが)というものを食したのである。これが衝撃であった。洋モノでは、横浜駅西口(当時のうら寂しい風情の西口だ)にあったジャーマン・ベーカリーのハンバーガーとコールスロー。そして、この崎陽軒旧本店ビルのコーンスープが、わたしにとっての「文明開化」だったのである。
わたしは、料理というものは、料理そのものより、まずはほとんどスープで決まると信じている。この世界のフード・シーン。日本でも、駅や空港ターミナルには、「スープ・ストック・トーキョー」のようなスープ・チェーンが増えてきているが、スープ好き(流動食好き)のわたしとしては、いい時代になったと大変喜んでいる次第。