日曜日には鼠を殺せ~合理性を度外視した選択というもの

文学・芸術


これは123回目。義というべきでしょうか。古い言葉で言えば「矜持(きょうじ)」とでも言うべきなのでしょうか。イデオロギー、信仰、利害損得、恩の貸し借り、そういったなんらかの合理性をすべて度外視した選択や生き方(死に方)というものがあります。ここでは、二つの映画を比較しながら考えてみたいと思います。

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たとえば、関ヶ原合戦において、石田三成に加勢した大谷吉継(よしつぐ)のような例だろうか。

人徳の差、軍事経験の差、物量の差、総合的に考えて、盟友・石田三成に、「おぬしには勝てぬ」と何度も挙兵を反対したが、結局、大谷は負けを覚悟で西軍に与する。

もともと、大谷は徳川家康とも親しかった。あれほど敵のいない好人物も、なかなか珍しいのだ。その大谷が火中の栗を拾ったわけだ。

しばしば映画では、こうした生き方を描いた名作がある。1964年の「日曜日には鼠を殺せ」がそうだ。フレッド・ジンネマン監督、グレゴリー・ペックやオマー・シャリフ、アンソニー・クインという往年の名優を揃えた作品だ。モノクロである。

主人公マヌエルは、スペイン内戦に破れた元共和国軍の英雄だ。時は第二次大戦前夜、ナチスの支援を受けたフランコ将軍のファシスト党政権に、主として共産主義者、自由主義者、民主主義者たちが人民戦線を組んで内戦となった。それに破れたのだ。

マヌエルは、フランスに逃亡し、スペインとの国境の町で20年にわたり、自堕落な廃人同様の生活を送っていた。

そこにパコという少年がわざわざスペインからピレネー山脈を超えて、マヌエルを訪れてきた。パコは、昔の戦友の子供だ。その戦友は、マヌエルが亡命先のどこに潜んでいるか、当局から尋問された。拷問もされたが堅く口を閉ざして、マヌエルの居場所を明かさずに死んでいったのだ。

パコは、かつての英雄、マヌエルに「憲兵隊長を殺して、父の仇を討ってくれ」と懇願する。マヌエルは嫌悪感を露わにして、邪険にもパコを追い返そうとする。周囲からマヌエルがいかに英雄だったかを聞いていたパコは、現実のマヌエルに幻滅する。

しかし、その実マヌエルは、スペインにいる母が重病だという知らせに、一目会いたいと悩んでいたのだ。マヌエルをつけ回す、スペイン本国の憲兵隊長は、きっと危篤の母に会いに来るとにらんで、罠にかけようとたくらむ。マヌエルの母はそれを察し、息子に会わずに死んでゆくことを覚悟しており、「罠があるので会いに来るな」と伝えるように、最期の願いをフランシスコ神父に託す。

フランシスコ神父とマヌエルの対話が、この映画の中盤のクライマックスを形成している。フランシスコ神父はファシスト側の陰謀をもらした罪で大きな危険をおかしたことになる。

フランシスコ神父にしても、ためらいなくマヌエルの母の秘密を伝えたのではない。マヌエルは「教会の敵(共産主義者)」であり、「法の敵(反乱者)」なのだ。こんな非国民に手を貸してよいものか、実は大いに迷っている。

神父が、もともとはルルド巡礼の旅をしていたのであり、途中、マヌエルの居場所に向かったのも、たまたま列車の時間に間に合わなかったにすぎない。こうした偶然がいくつもかさなり、まるでなにか定められた導きであるかのように、神父をマヌエルへと導いていく。

その結果が、神父をして、のっぴきならない「反乱者への加担」という、自分自身が弾圧されるような窮地へと、自ら追い詰めていく。そして、それは最終的に、自堕落で無為な生活を過ごしていた、かつての英雄マヌエルの自己犠牲を引き出すのである。

多くの未完成で、迷い、途方にくれる人間たちを使って、全体としてはあたかも「見えざる手」が計画したかのように、劇的なドラマ展開になっていく。

結局、マヌエルは母が死んでしまったことも、ファシストたちが罠を張っていることも承知の上で、それでも敢えて単身国境を超える。

マヌエルが死を覚悟して旅立つ場面、山越えの際、レストランの若いウェイトレスの姿に目をとめ、カメラの視線が女の足元から腰、胸、そして顔へと舐めるように移動するカットがある。この世の生に対する、最期の郷愁を表現した静かな、しかし感動的なカットだ。

マヌエルは銃撃戦に倒れる。何故あえてこのような無謀な行動に打って出たのか。マヌエルのかつての戦友の一人も、「自分も当然同行する」とついてきたが、さりげなくマヌエルは彼を追い返して、一人でピレネー山脈を超えて行ったのだ。

マヌエルは、自分に憲兵隊の罠があるという秘密をバラした神父が、一人でその責めを負うために帰って行くことを、見過ごしにできなかったのだ。それを支えたのは、彼の共産主義的な普遍的理念ではない。彼は、人民戦線の戦士として帰って行くのではないのだ。そのような理念から言えば、まったく無意味で無謀な行動だっただろう。

マヌエルと神父は、実は最後まで意見が剃り合わない。むしろ対立していたといっていいくらいだ。神父になるきっかけとして、その父親が内戦で殺されたことであることが明らかにされる。それに対して、「彼は共和国の兵士ではない」とマヌエルは吐き捨てるように言ってのける。神父は「そんなことに何の違いがあるのか?」と鋭く言い返す。

カトリックの信仰も、共産主義の理念も、ともに普遍的価値を掲げるものとして、それぞれが自身の絶対性を主張し合い、けして譲ることがない。二人の関係は、結局最後までその調子なのだ。それではなぜ、マヌエルはそれでも、無謀な行動に出ようとしたのか。

マヌエルは神父が同じロルカの出身であることを聞いて、「ロルカの男」とつぶやいている。スペインの郷土文化として、ロルカの男は決して裏切らないのだ。マヌエルを最後に支えたのは、普遍的理念よりもとずっとずっと古く、より地縁的な、そして伝統的な倫理だ。

マヌエルから見れば、フランシスコ神父の誠実さもカトリックへの強い信仰によるものではなく、むしろ「ロルカの男」としての不退の倫理から来ていると感じたにちがいない。

マヌエルはそれに対して、自分もロルカの男として応えなければならない。そのことは、作品の最後に解放された神父が、マヌエルの遺体が運ばれて行くのを見守る場面でわかる。

憲兵隊長が「お前がバラして、罠だとわかっていながら、こいつはどうして帰ってきたのだ?」と自問するとき、神父には、それが自分に対する義を尽くす「ロルカの男」なりのやり方なのだ、と身にしみる場面だ。

この作品は、けして普遍的理念が無意味だといっていない。それが無力だとも言っていない。しかし、それらが本当に生きた力を発揮するためには、その地にねざした、古い説明不能の強固な倫理が支柱なのだと訴えている。さもなければ、普遍的理念などというものは、しょせんただの暴力や、抑圧する装置に終わってしまうということだ。

原作の表題は、Killing a mouse on Sunday(日曜日に鼠を殺す)である。「日曜日(安息日)にネズミを殺したかどで、月曜日に猫がつるされる」という詩の一節だ。

ファシストを殺すマヌエル(猫)は、「人殺しはいけない」と綺麗ごと公言する偽善者たち(ファシスト)の手で虐殺されていくのである。ポイントは、ファシストを殺す動機が、コミュニストやトロツキストやアナキスト、自由主義者、民主主義者による憎しみではなく、ただその人間としての、あるいは男としての本能によることが示唆されていることだ。ちょうど、猫がネズミを狩るような本性である。

それに対して、映画の原題はBehold a pale horse(青白き馬に乗れ)である。もちろん聖書の「黙示録」の一節だ。青白き馬に乗ってやってくるのは、「死」である。

同じようなテーマを、もっとストレートに表現した映画の傑作がある。サム・ペキンパー監督の「ワイルド・バンチ( 1969年)」である。これも、ウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナインなど、名優が出演している。

ほぼ同時代につくられた映画だが、こちらはカラーである。また、ペキンパー特有の、スローモーションカットによる、衝撃的な銃撃戦や殺戮のシーンで、後の映画界のアクション・カットに絶大な影響を与えた傑作である。

映画「マトリックス」も、クエンティン・タランティーノの映画も、ジョン・ウー監督も、この「ワイルド・バンチ」が無ければ、生まれなかっただろうと言われる。

時は1913年、こちらは第一次大戦前夜だ。テキサスの国境の町で、銀行強盗をしたパイクら4人は、昔の仲間が賞金稼ぎで敵方に回ったため、失敗する。この映画序盤の銃撃シーンも、例のスローモーションカットで、のっけから観るものに衝撃を与える。

アメリカ西部の開拓時代はとうに終わり(フロンティアの消滅)、ビリー・ザ・キッドや、ジェシー・ジェームズ兄弟など、西部の無法者たちの時代も終わろうとしていた頃の設定だ。

時代が変わったのだ。アウトローの時代は終わったのだ。老年を迎え、強盗から足を洗おうとしていたパイクたちは、最後に大金を稼いで引退しようとしていた。それが、失敗したのだ。

ほうほうのていで、国境を超えて、メキシコに逃亡する。仲間の一人エンジェルがメキシコ人なので、土地勘があったのだ。しかしアメリカの追跡隊は執拗にパイクたちを、メキシコ領内にまで追ってくる。

当時のメキシコは、1910年から始まった革命で、国内は混乱を極めていた。中央政府は形骸化し、各地方には、私兵を備えた軍閥が割拠していた、いわば無法地帯だったのである。

パイクたちは、思い余って国境一帯を牛耳っていた軍閥・マパッチ将軍が支配しているアグア・ベルデに逃げ込む。そこで、パイクたちはは、1万ドルの報酬でアメリカの軍用列車から武器を奪うようマパッチ将軍から依頼される。

これを最後の仕事にしようと、パイクたちは列車強盗を成功させる。当然マパッチ将軍の裏切りや罠を予想しており、パイクたちは収穫物を小分けにすることで、身の安全を図った。しぶしぶマパッチ将軍は報酬を払ったが、そこで悶着が起きる。

エンジェルが、武器の一部をひそかに、反マパッチの革命軍に横流ししていたことが露見するのだ。エンジェルは捉えられ、拷問される。最終的には処刑されることは火を見るより明らかだ。なにしろ「法的」には、エンジェルは外国人(アメリカ人)ではなく、メキシコ国民だからだ。

パイクたちの心には、このまませしめた大金をもって、逃亡し、安泰な老後を暮らしたい。牧場をもって一生を静かに終わりたい。そういう想いがよぎる。

エンジェルは運が悪かったのだ。そもそも、義侠心など出して、腐った軍閥を倒そうとしている革命軍に、武器など横流ししなければ良かったのだ。身から出た錆(さび)さ。そうした思いで、エンジェルを見捨てようとする心を励ます。

彼らは、その日の午後、娼婦たちを抱いた後、焼き付くような昼下がりのひだまりに、なんとなく集まる。パイクが言う。「やろうぜ。」

エンジェルの拷問を出し物にしたお祭り騒ぎに酔いつぶれ、シエスタで眠りほうけているマパッチ軍の砦に、パイクたちは乗り込む。エンジェルを奪い返すのだ。自分たちは、もはや老境に入ろうとしているが、エンジェルはまだ20代の若さだ。しかも、昨日まで一緒に命をかけてきた仲間じゃないか。・・・劇中、そんな言葉は一言も語られないが、彼らの瞳は、そう語っている。彼らは機関銃座(ガトリングガン)を奪い、たった四人で、二百人を越す軍閥を、あたりかまわず殺戮し始める。

エンジェルは、乱戦の中でマパッチ軍に殺害され、四人の憤怒は頂点に達する。延々と凄惨な大量殺戮、銃撃戦の20分にも及ぶクライマックス・シーンが、スローモーションカットを織り交ぜながら劇的に演出される。

終盤、パイクに致命傷を与えたのは、皮肉なことにさっき抱いた娼婦が背後から撃った一発だった。四人は、大量のマパッチ軍の死体の山を築きながら、全滅する。この男、女、子供、老人を問わず、問答無用で「公平に」殺戮が繰り広げられるクライマックス・シーンは圧巻である。

この映画「The Wild Bunch(ならず者たち)」という作品は、アメリカ映画史上、西部劇というジャンルに最後の引導を渡した映画と言われる。日本流に言えば、そのテーマは「滅びの美学」ということにでもなるのかもしれない。そこには、西部劇の定石であった勧善懲悪という概念は、葬り去られている。ただ、無意味な死が余韻を残しているだけだ。

この映画の空虚なラストシーンは、メキシコの民謡「ラ・ゴロンドリーナ」の哀切な歌声の中で、ならず者たちの子供っぽい表情を一つ一つ思い出すようにフラッシュバックさせていく。

「ワイルド・バンチ」と、先述の「日曜日には鼠を殺せ」は、そのプロットの構成において、非常によく似ている。描いているテーマには多様性はあるものの、核心部分では共通しているように思える。

時代設定といい、登場人物の置かれている立場といい、最終的な動機といい、よく似ている。死ぬ前の「禊(みそぎ)」のような女性というものとの関わり方などは、「日曜日・・・」では、マヌエルがウェイトレスに指一本触れず、最後までストイックだが、「ワイルド・・・」では即物的に娼婦を抱くという違いはある。ただ、どちらも今生きている最後の「証(あかし)」を女性(母性、命)に求める視点は、同じである。

「ワイルド・・・」は、「日曜日・・・」の5年後に製作されていることから、もしかしたら、ペキンパーは、ジンネマンの作品にヒントを得ていたかもしれない。

人間が、なんの得にもならず、しかもそれを選択しなくても済む道が、十分に開けているにもかかわらず、それでも選ぼうとする究極のものとはなんだろうか。この二つの作品が、それを示している。



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