たった一つの真実

文学・芸術

これは152回目。かつてマーク・トゥエインは、創造の頂点に人間を置くことを拒否すると言ったことがあります。それどころか、人間を「最も下等な動物」と分類しています。 人間は赤面する動物です。赤面するのは人間だけです。赤面するようなことをするのは人間だけだからです。まるでわたしです。

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しかし、そんな人間だが、はっきりしていることは、なにがあってもすべては受け継がれていくということだ。罪深いこと、輝けること、懐かしいこと、あらゆることだ。

文明というものが存在する限り、わたしたち人間の営みはあますことなく、静かに深く、受け継がれていく。

宇宙から見ればこのちっぽけな惑星に、それも塵ほどのものでしかない人間という存在だが、心が震えるほど尊く心に染み入るたった一つの真実とは、この営みが永遠に音もなく受け継がれていくということだ。

何も新しいものはない。科学が進歩しても、それは人間の存在そのものに何の影響もない。人間は最後まで人間として、喜び、哀しみ、心を打たれ、そして幻滅を繰り返していく。

「進歩などない。ただ変貌するだけだ。(ピカソ)」

ここにわたしが大事にしている詩が一つある。会田綱雄の『伝説』という詩だが、本人は「これは詩ではない」と述べていた。1990年に逝った詩人だが、わたしがこの詩に出会ったのは70年代後半、大学在学中のことだった。

会田は、ちょうど生没年がわたしの父親と同じくらいであり(大正2年生まれ、平成2年没。父親は同年生、平成4年没。)、そういうイメージもわたしの中ではダブる。一般に、「残酷な生命の条理を自然の中に溶解し、原罪意識を夢幻的な物語として構成する特異な個性の詩人」と評される。

この世に生を受けたものは、やがて死んでいく。みな等しく、そしてやさしく、互いの生命を食い合いながら生き続けていく。

笑いは砂の数ほど零(こぼ)れるだろう。涙は星の数ほど流されることだろう。しかし、生きとし生けるものすべては、ひたすら無名のドラマを数限りなく演じては、生き死にを繰り返していく。

それ以上の真実はない。正義も、虚構も、栄華も、無残さも、すべてその真実の前には沈黙し、言葉を失う。

命の連鎖というもの、わたしたちの存在というものの原風景を、この『伝説』という詩は、ささやいている。

会田は、リルケの「詩は体験である」という言葉を引用して、この詩の背景や、時代、人間たちのことを語っている。

1940年の冬。25歳の会田は、志願して軍属となり、南京の特務機関(スパイ)に入った。そこで1937年の南京戦の目撃者たちから、生々しい思い出話を聞いた。

そして、「戦争のあった年にとれる蟹(上海蟹)は、とても美味しい」という話を聞いたのだ。中国人のたくましさというべきか。心の底に重くのしかかる『伝説』である。

しかし、戦争中であるにもかかわらず、会田が付き合った南京の中国人たちが蟹を食べる姿を見たことはなかった。市場でも蟹をみることがなかった。不思議なことである。あれほど、浙江省は蟹が名物であるはずなのに。多くの戦死者を呑み込んだ揚子江で、肥え太った蟹だったはずなのに。

1942年、会田は、特務機関から除隊し、上海に赴いた。友人と二人で居酒屋の並ぶ通りを歩きながら、蟹売りに初めて出会ったという。

友人は、生きたままの蟹を縄で縛ってもらい、それをつるして居酒屋に入り、茹でてもらった。二人はともに蟹を食べたのだ。

その蟹は大きく、美味しかったという。しかしそのとき会田は、その友人に、「南京の蟹」の話はしなかった。

大陸で、戦争とはいえ、はかなくも死んでいった人たち、出会った人たち、会田の目の前を通り過ぎて行った多くの人たちの影、憎しみ、感激、やさしさ、そして残酷さのすべてが、おそらくこの『伝説』という詩の中に込められている。

時の流れの先に、背景は忘れ去れられても、詩そのものが、『伝説』として語り継がれている。

『伝説』~会田綱雄 (出典:『鹹湖』1957年 緑書房刊)

湖から
蟹が這いあがってくると
わたくしたちはそれを縄にくくりつけ
山をこえて
市場の
石ころだらけの道に立つ

蟹を食う人もあるのだ

縄につるされ
毛の生えた十本の脚で
空を掻きむしりながら
蟹は銭になり
わたくしたちはひとにぎりの米と塩を買い
山をこえて
湖のほとりにかえる

ここは
草も枯れ風はつめたく
わたしたちの小屋は灯をともさぬ

くらやみのなかでわたくしたちは
わたくしたちのちちははの思い出を
くりかえし
くりかえし
わたくしたちのこどもにつたえる
わたくしたちのちちははも
わたくしたちのように
この湖の蟹をとらえ
あの山をこえ
ひとにぎりの米と塩をもちかえり
わたくしたちのために
熱いお粥をたいてくれたのだった

わたくしたちはやがてまた
わたくしたちのちちははのように
痩せほそったちいさなからだを
かるく
かるく
湖にすてにゆくだろう
そしてわたくしたちのぬけがらを
蟹はあとかたもなく食いつくすだろう
むかし
わたくしたちのちちははのぬけがらを
あとかたもなく食いつくしたように

それはわたくしたちのねがいである
こどもたちが寝いると
わたくしたちは小屋をぬけだし
湖に舟をうかべる
湖の上はうすあかるく
わたくしたちはふるえながら
やさしく
くるしく
むつびあう

とてもわたしには、これほど重厚な思いを詩につづることはできない。もっとも、詩がわかるようになったら、人生おしまいだ、とも言うが。



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