ロシアより愛をこめて

文学・芸術

これは229回目。ロシアという国は、どうしても日本人にとっては馴染みにくいようです。やはりソ連時代の歴史が、日本人にはとても苦い思いを起こさせてしまうからでしょう。ところが、帝政ロシア時代というと、日露戦争という不幸な関係はあったものの、総じて悪い印象がありません。この、なんともわかりにくいロシアという国ですが、小説を通じて多少ともイメージをつくってみましょうか。

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そこで、小説として、意外にすんなりあのロシア革命というとんでもない混乱の渦に慣れ親しみ、一通りのドラマティックな事実の流れを理解できそうなものを選んでみた。なにしろロシア革命であるから、いずれも長編になってしまう。

三つの長編小説がある。

・静かなドン(ミハエル・ショーロホフ)
・ドクトル・ジバゴ(ボリス・パステルナーク)
・鎧なき騎士(ジェームス・ヒルトン)

(映画「静かなドン」)

(映画「ドクトル・ジバゴ」)

読者の好みに合わせて選べばよいのだと思うが、その中身についてざっと見ておこう。

まず、パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」からだ。はっきりいって、ロシア革命を背景にした上流階級中心の恋愛モノだという認識で良い。

ボリス・パステルナーク、1890-1960年は、帝政ロシア時代にユダヤ人家庭で生まれた。

「ドクトル・ジバゴ」は、主人公の医師のユーリー・ジバゴと恋人ラーラの運命を描いた大河小説だが、1957年に完成している。米ソ冷戦下時代だ。

ロシア革命を批判する作品であると考えられたために、本国のソ連での公刊を拒否された。密かに国外に持ち出され、同年にイタリアで刊行され、世界的に知られることになり、世界の文学史上はもとより、社会的に大きな事件として報道された。

翌年にはノーベル文学賞がパステルナークに授与されることになったが、KGB(ソ連秘密警察)とソ連作家同盟による反対運動の末、受賞すれば亡命を余儀なくされると考えたパステルナークは『母国を去ることは、死に等しい』と言い受賞を辞退した。

(ボリス・パステルナーク)

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ソ連共産党は、この「ドクトル・ジバゴ」は、『革命が人類の進歩と幸福に必ずしも寄与しないことを証明しようとした無謀な試みである』と非難した。ソ連政府にとっては、
『ロシア革命は人類史の大きな進歩である』という見解に疑問符をつけることは許しがたいことだったのだ。

やがてパステルナークは1960年に肺癌で死んだが、その後、自宅から持ち物すべてが、「文字通り」外に投げ捨てられ、パステルナークの事績はことごとく抹殺される運命となった。

パステルナークの最後の言葉はこうだったそうだ。

「私はよく聞こえない。そして目の前は霧で覆われている。でもそれは晴れるだろう。明日は窓を開けるのを忘れないでくれ。」

彼の死の直前にロシア正教の司祭が最後の秘跡を与えた。その後、家族のダーチャ(夏の別荘)でパニヒダ(神送礼)が行われた。わずか一紙に、小さな葬儀広告が出されただけだった。

しかし何者らかによる手書きの葬儀日時の通知が、モスクワ地下鉄中に張り出された。その結果、何千人もの追悼者がモスクワの市民墓地に葬られたパステルナークを訪れた。
「ドクトル・ジバゴ」がソ連で刊行されるのは、1987年まで待たなければならなかった。

対照的なのが、ショーロホフの「静かなドン(ティキ・ドン)」である。この小説は、いろいろ紆余曲折を経ているのだが、結果として「ドクトル・ジバゴ」のノーベル賞辞退の後、そのノーベル賞を受賞している。

ショーロホフは、スターリンとも親交があっただけに、この「静かなドン」は共産主義礼賛の小説かと思いきや、まったく違う。ここに謎がある。しかもショーロホフは、ソ連政府によって一貫して高く評価された作家である。

「静かなドン」は、ロシア革命に投げ込まれたドン川流域のコサック農民たちの、同族争う悲劇を描いた小説である。主人公は直情径行、正義と人情に厚い熱血漢である。

つまり、それ以前の18世紀の小説であったら、文句なしのヒーロー、美女と結婚してめでたく終わるキャラクターだ。しかし、ロシア革命という歴史の大混乱の中で、同族相争い、革命派になったり、反革命派になったりで、結局、追いつめられて撃ち殺される直前で終わる。ショーロホフも、主人公の死ぬところを見たくなかったのかもしれない。

(ショーロホフ)

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「ドクトル・ジバゴ」が、二人の男女を中心軸にして、ロシア革命の動乱の中を、運命に翻弄されながら、シベリアや、極東へと流れ流れていく有様を追っているのに対し、「静かなドン」は、主人公のグリゴーリー・メレホフが、平和でのんきなコサック集落の生活に飽き足らず、隣家の主婦アクシーニャと不倫・駆け落ち・出奔するところから始まる。

時は帝政時代。貴族の館で下男として働くが、第一次大戦がはじまると兵士として前線に送られ、現地で衝撃を受ける。戦友から社会主義的な思想を吹き込まれていく。

これで目覚めたグリゴーリーは、帝政に不信を抱く。一時は赤軍(共産軍)に身を投じて士官にまで出世する。ところが休暇を取って故郷に戻っているうちに情勢は急変。

ドン地方の赤軍はコサックの反革命部隊に大打撃を受け(もともとコサックは、親ロシア皇帝派であった)、幹部を含めて多数の共産党員が捕虜となり、大きな公開処刑が行われる。

グリゴーリー自身も赤軍に身をおいていれば処刑されたであろうが、休暇で帰宅中だったために紛れることができ、故郷のコサックたちとともに反革命の立場でこの公開処刑に立ち会うことになる。

この後、グリゴーリーは大部分のコサックの世論に従う形で、反革命の立場に翻意し、将校として今度は赤軍と戦うことになる。一時は赤軍に対して優位に立ったものの、次第に勢力を強めていく赤軍の前に劣勢が明らかになって行く。

末期には南部に展開していた旧権力者階級の率いる白衛軍(白軍、ロシア帝政復活を目指す)と合流するが、旧権力者階級は革命が進行したこの時点に至ってもコサックたちを対等な話し相手としてみなしていないことがわかり、グリゴーリーおよびコサックたちはその態度に非常な幻滅を感じる。

やがて、戦局が不利になると白衛軍の幹部たちは黒海から外国に退去してしまう。グリゴーリーは船に乗る一歩手前で考えを変えて踏みとどまり、再び赤軍に身を投じる。しかし、ころころと立場を変えたこともあって、最後には赤軍からも信用されなくなったグリゴーリーは、見つかれば殺されることを覚悟で故郷の家へ辿り着く。

「ドクトル・ジバゴ」が完全に歴史・恋愛ロマンで彩られているのに対して、「静かなドン」は、かなりリアリズム中心の、重厚な仕上がりになっている。

不思議だというのは、これがスターリンの愛読書だったということだ。ショーロホフ自身、このスターリンの支持を受け、ソヴィエト作家同盟の大ボスであり、彼が承知しなければ、ソ連で作家になることはできかったくらいの人物だ。

先述のあらすじを書いたように、とてもではないが、共産主義礼賛の小説とは言えない。確かに、反革命派の末路もきっちり描いているが、それにしても全編を通じて繰り返される、夢と失望の繰り返しは、暗澹たる革命の様子を見事に活写している。

政治や社会を知らない人間が、こうした激動の革命に巻き込まれるとどうなるか、実にうまく書いている。最初登場した人間が途中で死んでも、その後は一切想い出すら、何も出てこないという、非情なまでにドライな書き方がされて、革命や戦争とはこういうものかとつくづく思い知らされる小説だ。

作中では資本主義陣営・社会主義陣営など様々な政治的立場の人物が登場はするが、どの政治的姿勢をとるべきであるとかいうことには一切触れられていない。確かに、政治的な思索や議論がなされている場面はある。それでも、それらの考えは正しいという前提でもなければ、物語が進行していくにつれいとも簡単に現実に裏切られていくのである。その意味で、明らかにこの「静かなドン」は、当時この小説が書かれた時代にはありえないほど、政治的な中立性を固守している。

下手をすると、(いや下手をしなくても)ロシア革命に懐疑的で、誹謗とすら避難されかねないこの内容の本を、スターリンが好んだというのは、どういうことなのだろうか。また、「ドクトル・ジバゴ」のノーベル賞受賞が葬り去られた後、この長編がなんとノーベル文学賞を受賞しているのだ。

主人公たちの恋愛に主眼を置いて、その出会い、行き違い、再会、別れ、悲劇、再会を繰り返す内容に比べ、はるかに具体的にロシア革命の実相に迫ったリアリズムであるから、ソ連体制に対する本質的な「危険度」で言えば、間違いなく「静かなドン」のほうが、危険な本である。

このように、一連の、「ドクトル・ジバゴ」と「静かなドン」を巡る因縁には、多くの謎がある。しかし、その後少しずつ明らかになってきた事実からは、どうもショーロホフは、コサックたちの悲劇に泣いていたらしい、ということが近年わかってきている。

ソ連の大作曲家であるショスターコビッチも、スターリンに寵愛されたが、内心においては、スターリンに粛清処刑された人々への鎮魂歌として作曲活動をしていた、ということがわかっている。彼の友人が、「告白」を持ってアメリカに亡命したことで、その真意が明らかになった経緯がある。これと同じように、おそらくショーロホフも、内心は涙をためて、コサックの悲劇を長編小説に書き連ねたのかもしれない。

作品が生き延びるために、「静かなドン」は赤軍を肯定も否定もしていない。判断を保留した書き方をしている。あるいは、それよりもっと根源的なことだったのかもしれない。「生きる」という、のっぴきならないテーマの前では、そんな議論などなんの役にも立たず、希望にもならず、ただの机上の空論でしか無いと言いたげである。

世に、「戦争反対」といい、「貧困追放」という。しかしその実現のための革命は、市民が起こす「戦争」にほかならず、その渦中にあっては、「生き残る」以外の抵抗はないのだ。

最後にもう一つ、前二作に比べて、ずっと大衆小説的な作品が、ジェームス・ヒルトンの「鎧なき騎士(Knight Without Armour)」である。ジェームス・ヒルトンはロシア人ではない。れっきとした英国人作家だ。

純文学として、文豪と呼ばれることはないかもしれないが、19世紀のデュマに比肩してもおかしくないほどの、優れた大衆小説作家である。

ヒルトンというと、おそらくは「チップス先生、さようなら」で大変有名だろう。そういえば、思い出してくれるかもしれない。

(映画「チップス先生、さようなら=Goodbye,Mr Chips」の1カット)

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ただ長編においては、大変わくわくどきどきさせてくれる佳作が数多くある。過去にもいくつも映画化されたものがあるが、それがヒルトンの原作だということを知らない人も多いはずだ。

ヒルトンの作品は残念ながら、日本ではほとんどといっていいほど、まともな翻訳ものが無いのではないだろうか。先述の「チップス先生、さようなら」くらいのものだろう。「鎧なき騎士」は、創元推理文庫で1970年代に一冊あり、わたしが読んだのはその文庫本であったと思う。もしかすると、絶版かもしれないので、古本屋のネット検索で全国の古本在庫で見つければ、簡単に見つかるのではないだろうか。

(ジェームス・ヒルトンとエリザベス・テーラーのスナップ)

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内容は、こんな具合だ。1929年の秋のある日、豪華なホテルの一室で白髪の老紳士が息をひきとった。しかし死の間際、彼の胸中にはある思いでが去来する。ロシア革命の大動乱の中、赤軍の手を逃れようとするロシア貴族の伯爵夫人がいた。そして恋をした英国青年(実は政府の工作員)が命をかけて守り抜こうとした、逃避行の数々だ。

典型的な主人公たちの立場を使った、まさにステレオタイプの歴史恋愛ロマンなのだが、実に当時の赤軍、農村のアナーキスト集団、皇帝派の白軍と入り乱れた大混戦を見事に描き切っており、大衆小説家ならではの「飽きさせない」テンポの良さでは、大変定評のある作品だ。

おそらく、ヒルトンの小説の中では、一番面白いとよく言われる。読後感としては、純文学の前二作品より、恐らくずっと絶大な郷愁と哀歓を残はずだ。大衆小説ならではの、センチメンタリズムが炸裂した名作である。ちなみに、戦前、マレーネ・ディートリッヒ主演で映画化されている。

純文学と大衆文学と、一体どこで線を引くのか、正直わたしにもよくわからないが、少なくともこの三つの小説を並べてみて、ほとんど変わらないのではないかとさえ思う。激変する社会情勢の中で、無力の一個人がどう「生き残るか」という一点で、三作とも共通しているような気がする。そのことを、どう読者に印象づけているかという色合いは違うだけかもしれない。

秋の夜長(といってもまだ暑いので、残暑というところなのだが)、もしかしたらロシアという大きなテーマが、近い将来日本社会に加わってくることになるかもしれない。一つ、現代ロシアの出発点であったロシア革命について、理解を深める心の旅をしておいたらどうだろうか。



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