怪談は文化のバロメーター~日本人と中国人

怪談

これは5回目。怪談の違いを通じて、日本人と中国人の世界観を比較してみます。

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ギョッとされるかもしれないが「怪談」の話だ。実は怪談は、その話の組み立て方に、民族やその地域の特殊な文化性というものが如実に現れている。非常に分かりやすい例が、「牡丹灯篭」(ぼたんとうろう)である。これは、日本では明治時代に、落語家三遊亭圓朝の怪談噺(ばなし)が全国的にヒットした。しかし、元ネタは中国の「牡丹灯箭記(とうせんき)」というものだ。

日本の筋立てをまず確認しておこう。

傘張り浪人の新三郎は、ふとしたことでお露(つゆ)という大家の娘と恋仲になる。しかし、お露の家では、ふさわしい相手との婚姻をすすめてしまい、それを苦にしたお露は焦がれ死に、婆やも後追い自殺をした。しかし、死んでからも新三郎のところに、ふたりは幽霊となって通い詰める。新三郎はお露が死んだことを知らない。次第に、やせ衰えていく新三郎の異変に、長屋の連中が気づく。そして、お露の正体が明らかになる。坊さんに頼んで、祈祷をしてもらい、お札(ふだ)を部屋中に貼り付けて、新三郎は一歩も外にでてはならない、と言われる。部屋に入れないお露は、長屋の住人に小判を渡し、欲に負けた住人がお札の1つをはがす。そこからお露は入り込み、新三郎は結局取り殺される。小判は、葉っぱだった。

一方、中国の筋立てはこうだ。

科挙の試験を何度も受けては落ちている学生の話。世の中では、牡丹灯篭祭りで、老若男女が出かけていく。その往来をぼんやりと眺めているうちに、美しい娘を見かける。彼はフラフラと追いかけてしまう。娘が振り向くと声をかけ、うちでお休みになっていきませんか、という。娘は快くついてきた。以来、毎夜、娘がやってきて、ふたりは逢瀬を重ねる。だんだんやせ衰えてくる彼を心配した友人たちが、相手の正体を暴く。旅の途中で死んで、仮に廃寺に預けられている死体が、その正体だというのだ。坊さんをつれてきて、やはり祈祷をしてもらい、二度とその廃寺に近寄ってはならない、といわれる。やがて、科挙に合格し、祝いの宴席が設けられた。したたかに酔った彼はブラブラ散歩にでかけると、なんと廃寺の前まで来ていた。慌てて引き返そうとすると女(幽霊)が現れ、棺おけの中に引きずり込まれる。翌日、彼を探していた友人たちによって、女といっしょに棺おけの中で死んでいる彼が発見される。

この2つの話は、決定的に違うところがある。日本の翻案では、明らかに生前の因果(ここでは恋愛)が死後も引きずるという経過をたどる。最後の場面も、欲がからむ。ところが、中国の原作では、どう考えても幽霊による通り魔的犯行としか思えない。登場人物には、まったく因果関係がない。最後の場面も、偶然、来てはいけないところに来てしまったということになっている。ここに怪談の妙がある。

余談だが、大学在学中、台湾の新聞社が主催していた外国人のための中国語研修にいったことがある。昼には、近くの定食屋で食べるのだが、たいていは、数人でおしかけて、水餃子100個と酸拉湯(スアンラータン)を頼んだものだ。あるとき、ふと日本で言うところの「日めくり」が掛かっているのに気がついた。そこに一日一言が書かれてあるのだ。その日書かれていた言葉は、とても印象的だった。日本語で書くと、「どんなに良いことをしていても、悪いときは必ず来る。どんなに悪いことをしていても、良いときは必ず来る。」というものだった。

これは、いかにも中国的な発想である。日本の、言いようによってはジメジメした因果関係というものが微塵もない。これをもって中国人が本来、無神論的であるというのは乱暴かもしれないが、人生観として「善行や悪行と、幸不幸は無関係である」、という冷徹な哲学に近いものを感じる。日本人は良いことをすれば良い報いが、悪いことをすれば悪い報いがある、と考えたい。どちらも人生の一面を顕しているという点では、間違っていない。

怪談というものを、日本では道徳的教訓として語り伝えてきた部分があるのも、こうした文化の性質と無縁ではないのだろう。人間を動かす2つの動機は、恐怖とエロスに尽きる、と聞いたことがある。まさに、怪談はその恐怖の部分を担っているということになる。しかし、ただの恐怖ではない。いずれにしろ、日中両国の怪談の違いからすると、アメリカ人よりも中国人ははるかに手ごわそうな気がするがどうだろうか。



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