0(零)の発見

怪談

これは7回目。数学と怪談だ。

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インド人というのは、どうしてああも頭がいいのだろうか。インド・アーリア語族と言われるだけあって、アジアにいながらアジア民族ではない。白人種のほうに入る。色が黒いのは赤道に近いからだけで、山岳地方の雪深いカシミールにいけば、肌が真っ白である。

1939年に初版された吉田洋一の『零の発見』という名著がある。「0(ゼロ)」は、歴史上、数学の発展に決定的な寄与をした発見だ。エジプト人は、その存在を知っていたが、記号として書き表すことをしなかった。ギリシャ人は、天文学者のプトレマイオスが使ったが、分数などの単位だけであり、整数には用いなかった。「0」という概念を初めて記号化したのは、インド人だった。

インド人が作り出したもので、もっとも人類の歴史に貢献したものの1つが、この「0」の発見だったと言われる。そしてこの「0」は、数学だけにとどまらず、宗教にも多大な貢献をしている。仏教(とくに大乗仏教)の発展だ。

「0」は不思議な数字だ。無ではない。「80」と書くと、1ケタ目の「0」は、あたかも「無い」ように見えるが、では無いからといって、その「0」を取ってしまったら「8」になり、まったく意味が違ってしまう。どうしても、無いはずの1ケタ目に「0」を書かなければ、「80」の意味はなさない。「+5-5=0」。プラスもマイナスも超越した世界。それが「0」だ。

話は変わって、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談(KWAIDAN)』に、有名な「耳なし芳一」というのがある。盲目の琵琶法師である芳一は、ある晩、壇ノ浦で滅亡した平家の怨霊につれられて、今は亡き公達の前で琵琶を掻き鳴らし、平家物語を吟じる。えらく感激され、毎晩続けているうちに、寺の住職が異変に気づく。このままでは芳一がとり殺されてしまうと心配した。

そこで住職は、芳一の体中に「般若心経」を書き付ける。呪力を発動させるのだ。そして、怨霊が迎えに来ても、「一言も口をきいてはならぬ、けして音をたててはならぬ」、と言い聞かせる。その晩、はたしてくだんの怨霊はやってきた。ところが、「般若心経」に守られた芳一は、どういうわけかその怨霊には見えない。ただ、耳だけが宙に浮いてみえた。そこで怨霊は、耳だけを引きちぎって帰っていった。住職は、うかつにも、耳にだけ「般若心経」を書き付けるのを忘れてしまっていたのだ。

そういう話だが、なぜそれが「般若心経」でなければならなかったのか、その疑問に気づいた人はかなりのものだ。なぜ、「観音経」では駄目なのか。なぜ、「妙法蓮華経」ではいけないのか。「阿弥陀経」でも「聖不動経」でも、はたまた「毘沙門天王経」でもいいではないか。

そうではない。「般若心経」でなければ、絶対駄目なのである。ぼんやりしていると肝心なところに気づかず、「耳なし芳一」をただ読み流してしまうところだ。では、それが「般若心経」でなければならない決定的な理由とは何か。

「0」は、インドの古語ではシューニシャ(ウシュニシャ)と呼んだそうだ。そして、シューニシャには、別に訳語がある。中国人の訳では「空」である。つまり「0」と「空」は、同じ意味なのだ。住職が芳一の身を案じて、怨霊の前で姿が見えないようにするために、「般若心経」を芳一の体に書き付けた。それは「存在しながら、存在しない」という、有と無を超越させる呪力だった。

生者は陽、亡者は陰。両者は対立関係にある。仏教的に言えば、芳一を空(くう)じてしまったのだ。陽が無ければ、陰も存在理由を失う。陽に働きかける関係性自体が、なくなってしまう。「般若心経」というわずか276文字の小経だが、そこで繰り返し説かれているものこそ、この「空」の概念である。だからあそこは、般若心経でなければならない。ほかの経典では、用をなさない。その呪力が発動しないのだ。葬儀で、(もちろん宗派によるが)般若心経が多く念誦される理由も、ここにある。

そんな風に読んでいくと、たかが怪談だが、いわく言いがたい奥深さを感じる。インド人は数学と宗教で、きわめて重要な「0(空)」の概念を作り出した。そのうち「0」のほうは生き続けた。コンピューターの「0」と「1」だけから構成される2進法の世界に、それは結晶した。

しかし、仏教自体はインドではほぼ滅びてしまった。チベットや日本など大乗仏教が花開いた地域では、いまだに「空」の概念は細々と息をしている。これを生かすも殺すも、われわれ次第ということだろうか。

小泉八雲は、なぜそれが般若心経でなければならなかったか、それを承知の上であの物語を書いたのか。それとも、なんの疑問ももたずに、ただ聞いた話を書き綴ったのだろうか。一度、尋ねてみたいものだ。



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