民主主義とはなにか~わたしたちにできること。

歴史・戦史


これは113回目。わたしたちがあたかも水か空気のように、あって当たり前と思っている民主主義のことを考えてみました。

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かつて、英国首相ウィンストン・チャーチルが、ナチス・ドイツに宣戦布告するときに、こう言ったことがある。

「民主主義は、しょせんろくなものではない。しかし、今あるすべての政治体制の中で、一番マシだというのも事実だ。」

民主主義の決定プロセスというものは、結局「よりベター」なものを選択することにほかならない。少数派の意見を尊重するというのは、お題目だけで、嘘八百にほかならず、実態は、少数派の切捨て作業こそが、多数決というルールだ。

このため、議会での論争はいかに多数派になるかの戦いといってもよく、そのために利権団体は当然のように、ロビー活動を活発化させる。これでは、国家の政策・方針が曲がってしまうことは必至だ。

結果、民主主義(議会制度)のこうした欠陥の是正に、統治者を国民投票によって決し、半ば独裁的権力を与えることで、「よりマシなもの」の選択ではなく、「最善の判断」をし「理想を追求できる余地を残す」ためにヘッジするようになった。大統領制とは、そういうものだ。つまり、大統領制とは、民主主義(議会)の上に存立する独裁権力にほかならない。議院内閣制の首相の権力とでは、比較にならないほど強大なものである。

日本や英国のような議院内閣制と、米国のような大統領制と、どちらがいいのかはわからない。責任の所在は、選挙によって表面化するから、その点は大して変わらないだろう。

しょせん、制度の問題だ。制度というものは、文字通りただの制度にすぎない。法律というものは、しょせん方便にほかならない。区切りをつけているだけのことで、法は社会通念によって、その解釈ですら変わってしまうのだ。

間違っても、法が正しいなどと勘違いしてはいけない。法こそ、このいい加減な制度というものによって決定されたものにほかならないからだ。長年、高速道路では二人乗りは禁止だった。が、今では合法である。しかし、バイクに乗るわたしは、今でも、高速道路の二人乗りは間違っていると思っている。正義と、倫理と、法というものは、重なっている部分はあるが、実は重なっていない部分のほうが遥かに大きい。

根本的に国家・社会を動かしているのは、法でもなければ、正義でもない。正義など、百人いれば、百通りだ。倫理はあるていど共通項があるかもしれないが、言うなれば、その根源的な力は「一般的な社会通念」にほからならない。これを、古い言葉で言えば「国体」ということになる。幕末の志士の言葉で言えば、「孟子」から取ってきた「社稷(しゃしょく)」である。

「民を貴しと為し、社稷之(これ)に次ぎ、君を軽しと為す」(盡心章句下「孟子」)

「孟子」が革命の書として、幕末の志士たちの間で、あまねく耽読された所以である。彼は、君主より国体が重く、一番重いのは国民であると訴えたのだ。

だから、国民のレベルこそが、その国家の政治・政府・議会のレベルを決定する。つまり、日本の政治世界を糾弾し、嘲笑するということは、わたしたち自身の質がそれだけ劣っているということを意味している。

絶対君主制が悪いのではない。奴隷同然の国民の質の低さが、その制度を許したのだ。古代ローマ時代に、強大な帝国に反乱を起こした剣闘士たちの「スパルタクスの反乱」は、悲劇的なほど質が低かった。「~からの自由」が、その目的であり、その先の青写真などなかった。

しかし、18世紀のフランス人は、これに比べて、青写真がおぼろげながらにせよあった。「~への自由」というスタンスである。時代の差があるから致し方ないが、ここに民度の成熟度を測ることができる。

民主主義は、一見、はがゆい。議論は空転を重ね、時間もかかる。効率性からいったら、遥かに独裁制度のほうがスピーディにしてスムーズだ。しかし、維新以来、この国民は一貫して民主主義を信じてきた。文明開化とは、民主的であるという確固たる信念があったからだ。

天皇大権、貴族・華族制度、家父長制、さまざま前近代的な社会体制であったときも、戦時中も、もちろん戦後も、日本人は維新以来一貫して民主的であろうとしてきた。なぜそれがわかるかと言えば、一度として、絶対的な政府、独裁者の存在を許したことがないからだ。日本には、ヒトラーも、スターリンも、毛沢東も、ただの一人も生まれなかった。そんな人間の登場を許す精神土壌などこの国にはないのだ。

東條首相や旧帝国軍部を、彼らといっしょくたにするような人間は、まず歴史をもう一度つぶさに勉強しなおしたほうがよい。あの主戦派だった東條が、天皇から首相の大命を受けてからというもの、天皇が非戦論者であったから、それこそ(彼なりに)必死で対米戦を回避しようと最後まで努力したのだ。それが、彼の性格でもあるのだが、自分の主張を曲げてまで、天皇には絶対的な忠勤を果たそうとしたことだけは間違いない。独裁者の資質など毛頭ないのだ。

その東條でさえ、私的な徳義にこだわり、ついには開戦の流れに押し流されていったことが問題なのだ。元凶は、「もはや、選択肢はない」と究極の悲観論と、防衛本能に極端に傾斜した世論やメディアだったのだ。だから、民主主義が曲がったときには、恐ろしい。軍部でさえ、流されてしまうのだ。

ところが、それだけの力を持った日本人の民主主義にもかかわらず、それと裏腹に大きな欠点や矛盾がある。それは、「おれ一人に、なにができるわけでもないし」という、自信の無さだ。自分1人の力の限界、を感じてしまうのだろう。

それは、どこの国民にも言えることなのだろうが、それにしても日本人は、この自分の力不足を過大に考えすぎる嫌いがある。だから、政治活動的な側面で言えば、確かに日本人は「おとなしい」。

しかし、そうではないのだ。なにも、ジグザグや、ピケを張ったりするような直接行動ばかりが民主主義の発露ではない。

「尖閣諸島」や「竹島」は、なぜ、日本の領土ではない、と中国や韓国は言うのか。本当に、消費税増税はやるべきなのか。ほかの選択肢は無いのか。原発はどうするのか。人口が減り続けるこの病に、どう対処したらいいのか。集団的自衛権とは、どこまでやるべきなのか。・・・・

あなたが、自分で勉強して、調べて、こうではないのか、ということを、諦めないでほしい。どうせ一人では、なにもできないから、と思わないようにしよう。そう思った瞬間に、この国の民度はたちまち劣化するのだ。それこそ、国体が毀損するのだ。

あなたが思っていることを、会社の同僚や、家族や友人と、自由に気楽にもっともっと話してほしい。一人の意見が、わずか5人に伝わり、それは、10人に、100人に、そして1000人に伝わっていく。それがこの民主主義という世界の、驚異的な力なのだ。

繰り返すが、対米開戦のときには、この「民意」が曲がってしまい、政府をそして軍部を、「もはや開戦不可避」と悲観論に追い込んでしまった。あれは、軍部でも誰でもない、本質的に日本国民の失敗だったのだ。軍部や政府の責任だと押し付けることで(われわれは被害者だと)納得しようとする瞬間に、この国の民主主義は音を立てて崩れる。

寺子屋と江戸の市民文化以来、この「口伝え」の破壊力というもの、国民のコンセンサスというものの威力を、日本人は遺伝子として知っている。しかも、いまそれは、ネットによって幾何級数的に増幅する環境も用意されている。

最近の家庭では(うちもそうだが)、家族が全員夕食を囲むということが無くなった。そもそもテレビが昔は一家に一台しかなかったから、自然と家族は一か所に集まったものだ。しかも、祖父母という絶対的権威も同居していた。

そうした中で、家族がさまざまな話をする機会があった。鬱陶しい反面、それで一番最小単位の世論が形成されていったのだ。今はそうした生活様式そのものが、完全に失われてしまっている。

重ねて言う。国家の制度など、関係ないのだ。日本人は、どんな制度であろうと、この民主の力を一番信じている。そのことを忘れないようにしよう。そして、二度と曲がらないように、一人ひとりが勉強することだ。興味を失わないことだ。インテリとは、博学なことではない。知的好奇心が衰えを知らないことだ。

吉田松蔭は、こう書き残している。

先づ一身一家より手を下し、一村一郷より同志同志と語り伝へて、 此の志を同じうする者日々盛にならば、一人より十人、十人より百人、百人より千人、千人より万人、万人より三軍と、順々進みして、仁に志す者豈(あ)に寥々(りょうりょう)ならんや。此の志を一身より子々孫々に伝へば、其の遺沢(いたく)十年百年千年万年と愈ゝ益ゝ(いよいよますます)繁盛すべし。(安政三年三月二十八日「講孟箚記(こうもうさっき)」)



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