まあお茶でも ~お宅のお茶請けってなあに?

歴史・戦史


これは130回目。軽い話です。お茶の話、というより、そのお茶うけの話といったほうがいいかもしれません。最近みなくなった風景です。それとも、わたしの棲んできた関東や東日本の傾向なのでしょうか。

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▼中国四千年と聞くと、大変な歴史イメージがある。が、こと烏龍茶(うーろんちゃ)などは、お茶の中でもまだ新しく、たかだか200年ほどの歴史しかない。一番古いお茶というのは、なんといっても緑茶であり、ついで紅茶。そして烏龍茶ということになる。

▼ようは、緑茶(無発酵茶)から順に、→紅茶(完全発酵茶)→烏龍茶(半発酵茶)という誕生順ということになる。

▼わたしの経験では、中国大陸では、あまり烏龍茶のようなものは飲んでいなかったような気がする。ほとんど、出されるお茶は緑茶であった。龍井茶(ロンジン茶)が、なかなか苦くておいしいと思ったが、まず烏龍茶を出された記憶が無い。(南部では、飲茶ヤムチャに使われるプーアル茶が非常に好まれているが。)聞けば、烏龍茶は、大陸では四川省と福建省でつくられているくらいで、あとは台湾だけだと言う。

▼ともすると、緑茶は、日本独自だと思い勝ちだが、そうではない。奈良時代に、中国から伝来したお茶の製造法がもとになっているから、日本のお茶(緑茶)は、日本独自のものではなく、もろに中国茶の流れだということになる。

▼三種類とも、品種的に多少の違いはあっても、基本的にはツバキ科の茶の木である。もとは前漢時代に四川省で記録があるのが、確認できる一番古いお茶らしい。もっとも、原産は雲南、アッサムあたりらしい。学名は、カメリア・シネンシスという。化粧品などで使われているあのカメリアだ。

▼思えば、薬用、嗜好品としての飲用、あるいは抹茶という世界は、言ってみれば食用としてのお茶だ。

▼お茶のうんちくになってくると、話はどんどん広がる。つとに面白いと思っているのは、お茶菓子という世界だ。どうなのであろうか、日本全国、お茶になにをつけあわせるのが普通なのだろうか。

▼最近この風景を見かけることはないのだが、昔は田舎のみならず、わたしのいた横浜の田舎のほうでも、家に来客があって、母親がお茶を出す。どういうわけか、お新香(おしんこう)を出したものだ。

▼子供の頃からずっとそうであったし、近所ではあまり見かけなかったが、実家のある田舎などへいくと、たいていはこのお茶にお新香が出されたのだ。それがふつうだと思っていたが、長じて、けして普通ではないと気がついた。

▼もちろん、お新香というのは、もともと沢庵(たくあん)のことを指していたようだが、ようするに漬物である。「香の物(こうのもの)」と呼んでいたのだが、それが浅漬けの場合、「お新香」あるいは、「おしんこ」と呼ばれるようになった。

▼わたしも、「つけもの」という呼び方をまずしない。最近でこそ、「つけもの」と言うときもあるが、ふつう「おしんこ」と言ってしまう。「なんですか、それ」と若い人から怪訝な顔をされることもある。

▼しかし、たぶん一番、この「漬物」がお茶うけにはさっぱりしておいしいのではないか、と思っている。いささか「後を引く」のが困り物だ。このお茶うけに「漬物」がでるという風習が、日本全体のものなのか、あるいは東国中心の文化なのか、わたしは寡聞にして知らないが、西日本の人が、関東あたりにきて、お茶うけに「漬物」が出た、といって大騒ぎしていたのを、これまで何度かみているので、もしかすると東国に多いものなのかもしれない。

▼もっとも、東北では今でもこの風習は健在かと思うが、東京あたりでは、あまり見かけなくなっているように思う。我が家でも、お茶うけに「お新香」をぱくつくのは、わたしだけだ。それも、正確な意味での「お新香」ではなく、わたしの場合は、いわば「古漬け」である。きゅうり、なすなどの古漬けは、酸味があって実にうまい。東京では、まずこの古漬けを食わせてくれるところが、今はもうほとんどなさそうだ。

▼だいたい、家で糠漬け(ぬかづけ)などというものをつくることが無くなっているのではないだろうか。わたしの実家では、毎日糠樽に手を突っ込んで引っくり返す作業は、もっぱらわたしの仕事だった。もっとも、これは、母親が手に匂いがつくのを嫌ったという事情もあるようだ。いずれにしろ、また昔の風景が一つ、消えていこうとしているようだ。



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