王朝のかほり

歴史・戦史

これは163回目。匂いの話です。香水、香木の話です。いいにおいは、やっぱりいいですね。自身に加齢臭があるのではないかとびくびくしているわたしとしては、大変気になるテーマです。

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香(かほり)の話だ。源氏物語に、こんな文がある。

そらだきの いとけぶたう 薫りて
衣(きぬ)の音なひ いと華やかにふるまいなして…

そらだき=空薫きというのは、どこからともなく匂ってくるよい匂いのことをいう。たとえば、前もって香を薫(た)くか、あるいは別室で薫くかして、ほんのり香をくゆらすことを言う。女官たちの歩く衣ずれの音などと絡み合って、いかにも典雅な王朝の風情が偲ばれる。

香料というと、すぐに西洋の香水を思い浮かべるが、いかにも西洋の香水というものは、臭いものを封じ込める力わざのようなイメージが強い。なにしろ、18世紀のパリは、世界でも有数の悪臭の街として知られるほど、衛生状況の悪い都市だった。

ロンドンも同じである。19世紀になってすら、人糞尿の溜め桶を、各部屋の窓からみんな平気で表に投げ捨てていたのだ。本当の話である。だから、二階や三階などから、突如人糞尿の空襲に備えるのに、傘を常用したとさえ言われるくらいだ。霧と雨の都ロンドンのジェントルマンたちは、なにも伊達で傘を持って歩いていたわけではない。当時のカリカチュア(戯画、漫画)にも人糞尿を浴びせかけられる災難に遭遇した紳士たちの風景が描かれている。

風呂に習慣のない西洋人たちは、そもそも体臭がきつい人種だけに、街は臭いは、人も臭いは、とても生きた心地がしない環境だったのだ。

古くは古代ギリシャに、香水をつくっていた形跡が見られるが、いわゆるアルコールに溶かす香水がつくられるようになったのは、高度な科学が栄えたイスラム黄金期の蒸留法が、十字軍によって欧州にもたらされたのが最初だ。

油脂に薫りを吸着させた香油・香膏やポマードが作られ、ルネサンス期のイタリアで、さらに蒸留技術・香水文化は隆盛となり、欧州各地に広まっていった。

欧州大陸で、ずっと風呂に入る習慣が無かったのは、なにも河川が少なかったためではない。風呂に入ると梅毒などの病気になりやすいという迷信が、16世紀から19世紀までずっと人心を支配していたためだ。フランスでは、国王ですら、一生に3回しか入浴しなかったという記録があるほど、入浴という行為はむしろ忌避されていたのだ。

その中では、ナポレオンがとくに香水を好んだことで知られる。彼は、珍しく熱い湯に入るのが大好きで、一日何度も湯をバスタブに満たしては入っていた。その後は、オー・デ・コロンを体にぶりまくのが日課だったが、彼のお気に入りが『4711(フォー・セブン・イレブン)』である。当時のパリにあった香水店の一品だが、番地の名を取ってそう呼ばれるようになった。

一方日本では、古くから、香木が珍重された。薫(た)くのである。もともと、水浴び、湯浴みの大好きな民族であったから、そもそもが臭くない。だから、香木を薫くのが主流になっていったのだろう。

大きく代表的なものが、沈香(じんこう)と白檀(びゃくだん)である。沈香のうち、とくに高級なものを伽羅(きゃら)という。

東南アジアの沈丁花(ジンチョウゲ)科のジンコウ属の樹木が原料だ。これは、風雨や植物病、あるいは害虫病などによって木部が侵されたときに、その防御策として樹木はそのダメージのあった部分に樹脂を分泌する。この蓄積したものを乾燥させて、削りとったものだ。

原木はもともと非常に比重が軽いのだが、樹脂が沈着すると比重が増し、水に沈むようになる。これが、沈香という名の由来らしい。

もともと幹や花、葉ともに香りは無い。ところが熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても、微妙に香りが違う。とくに質の良いものは先述の通り、伽羅と呼ばれ、過去に乱獲された経緯がある。このため、現在ワシントン条約の希少品目第二種に指定されている。

日本における沈香の最古の記録は、推古天皇3年・595年4月に、淡路島に香木が漂着したのが最初だ。これが沈香の日本伝来と言われる。漂着した木片を火にくべたところ、とてもよい香りがしたので、その木そのものを朝廷に献上したところ重宝がられたという伝説も日本書紀に出てくる。

東大寺正倉院宝物の中に、長さ156cm、最大直径43cm、重さ11.6kgという巨大な香木・黄熟香が収められている。これが有名な蘭奢待(らんじゃたい)である。伽羅の一種である。
ちなみに、蘭奢待という三文字は、それぞれ、「東」「大」「寺」という字が、一つずつ埋め込み隠された『雅名』である。

この蘭奢待は、昔から珍重され、過去、足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇らが切り取っているとされていた。それぞれ、付箋(ふせん)があるのでわかる。が、2006年大阪大学の調査によると、合わせて38箇所の切り取り跡があることが判明している。

切り口の濃淡から、時代にかなりの幅があり、同じ場所から切り取られることもあるため、どうもこれまで50回以上は切り取られたと推定されている。先述の権力者たち以外にも、採取された現地の人や、移送時に接した人たち、あるいは管理していた東大寺の関係者たちによって、切り取られたものと推測されている。

一方白檀は、インド原産で半寄生の熱帯性常緑樹である。爽やかな甘い芳香が特徴で、昔から香木として利用されてきた。とくにインドのマイソール地方で産する白檀が最も高品質とされ、『老山白檀』という異称でも呼ばれる。

白檀という木は非常に不思議な生態を持っており、初めは独立して生育するが、後に吸盤で寄主の根に寄生する、半寄生植物だ。幼樹のころは、イネ科やアオイ科に寄生、成長するにつれてタケ類やヤシ類へと移る。

しかも、雌雄異株なので、周囲に植物がないと生育しないことから、栽培は大変困難を極め、年々入手が難しくなってきており、インド政府によって伐採制限・輸出規制がかけられているくらいだ。

沈香の場合は、精神の沈静化作用があることが確認されている。白檀は、蒸留してつくられる白檀オイル(主成分サンタロール)に、殺菌作用・利尿作用などの薬効成分があり、薬用としても広く利用されている。匂いの精神作用は、胸のつかえをとり、爽快感を与えることで知られている。

白檀は、沈香とちがって、加熱しなくても十分に芳香を放つ。仏像や数珠のほか、日本では扇子の骨の部分に使って、扇ぐことで香りを発散させたり、匂い袋の香料の一つに利用されるなど、結構身近なところで多種多様に使われている。線香の原料の中ではもっとも一般的である。

かくいうわたしも、神仏混合のささやかな檀を家に設けているが、朝晩、用いているのは白檀の線香である。

現代社会では、この匂い、香りといったものが、ほぼ化学合成品によって占められている観があるが、こうした自然植物原料に近い状態のもので、香りを楽しんでもらいたいものだ。

人間が、他の動物と違う点として、言語を持つ、絵を描く、夢を見る、火を使う、道具を用いるなど、いろいろと言われるが、この香りを楽しむというのが入ってもおかしくなかろう。

ちなみに、わたしは昔からこの香水、オー・ド・トワレが好きで、よくいろんなものを使ったりしたものだ。最も若い頃には『ラルフローレン・ポロ・スポーツ』を使っていた。その後、年齢が高くなってきてからは、『ジルサンダー・フォア・メン』を多く使うようになった。

ところが、50代になるとどういうわけか、これらの洋物のブランドより、香木のほうを使うことが多くなってきた。「塗香(ずこう)」である。

「塗香」というのは、仏像や修行者の身体に香を塗って、汚れを除くことから始まった仏道行為なのだが、数種の香木を混ぜて粉末にし、乾燥させたものだ。線香や焼香と違い、自身の体に塗る香だ。

とくに、甘茶を混ぜた塗香をいつも使っているが、朝、腕や胸などに塗りこめるのだ。坊さんの匂いだと思ってもらえばよい。およそ現代的な匂いでないことは間違いない。

体に塗るにしろ、薫(た)くにしろ、香というものは影と同じように、その人にまとわりついていく。用いる香水などによって、人となりもわかってしまったりすることもあるだろう。その種類によっては、意外なその人の側面をかいまみることもあるかもしれない。

余談だが、かつてアメリカの女優マリリン・モンローが、インタビューで答えた名言がつとに有名で、未だに記憶されている。

「寝るときは何を身に付けているのですか?」という下世話な質問をされたモンローは、「シャネルNo.5を5滴。」と挑発的に答えた。大変有名なエピソードだ。

英語では衣服を「着る」、帽子を「被る」、靴を「履く」、香水を「付ける」、などおよそ「身に付ける」ことを表す動詞はすべて「wear」となる。彼女は、このwearと言ったのだ。

モンローは、シャネルから宣伝を依頼されていたわけではないが、彼女のこの一言が、ナチス協力疑惑によって凋落しかけていたシャネルを復活させ、「シャネルNo.5」の人気再燃の引き金になったことは間違いない。

香りは、歴史すら変えてしまうらしい。



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