大陸との付き合いかた(前編)~サムライは何処へ行った?

政治・経済, 歴史・戦史

これは358回目。世界で一番親日的な国の一つは、言うまでもなく台湾だ。しかし、台湾人の心の中にある日本は、もはやこの国にはない。彼らが50年に及ぶ大日本帝国の時代を生きたころに根付いた日本像、日本人像というものは、いまや「幻」である。台湾人が、親日の情を示すたびに、わたしは恥ずかしい思いでしかない。

戦後、日本と日本人の心を支配してきたのは「事なかれ主義」に尽きる。その反対語は、「筋を通す」という言葉だ。つまり、日本人は戦後一貫して筋を通してこなかった。

いや、戦前の大失敗(大東亜戦争のこと)も、実は同じなのだ。明治が終わり、やがて昭和になると、かつての侍たちもどんどん鬼籍に入ってゆき、やがてただの企業人、ただの官僚(軍人を含む)、ただの政治家だけになってしまっていた。

まだ明治の頃は、姿形こそ洋風に変わっていたものの、厳然として日本人の中身は侍が生きていた。

隣のあさましい大国を見るが良い。断っておくが、中国人をどうのこうのと言っているのではない。そこははっきりさせておこう。はっきり言って、現在の中国人民こそその無残な被害者でもあるのだから。ここで「あさましい」と呼んだのは、中国共産党政権のことを言っているのだ。中国人と混同してはいけない。(面倒なので、中共と書きならわしておこう。それが分相応だ。)

中共ウイルス(COVID19などと、洒落た名称を使う気には到底なれない)の発生源は、明らかに中国であった。1月26日、陳薇少将(浙江大学卒、生物科学兵器工作隊のトップ)が武漢病毒研究所に乗り込み、人民解放軍が施設を接収。すべてのデータ、サンプルを処分した。

ありえない話ではないか。なにから、どこから、いつ、どのようにこの恐るべきウイルスが伝播していったか、これで、永遠に歴史の闇に葬られてしまった。国家的隠蔽である。

ヒトからヒトへの伝染があるという事実を、WHOに報告したのは、それが判明してから二ヶ月後である。この間、感染した中国人は(本人たちには罪がない)野放しのまま、世界に散っていき、これを放置した中共の罪は大きい。

日本での死亡者は約1,000人。アメリカは14万人。世界では62万人を越えた。明確な殺人行為である。

自国民を中共のメンツのために殺された国々は、中共と戦う意思があるのか? アメリカ、英国、豪州などはその意思をはっきり見せ始めた。

すでにアメリカは2018年10月4日のペンス副大統領の、ハドソン研究所における有名な演説で、「邪悪な中共は、アメリカの国益にとって有害である。」とし、事実上の宣戦布告をした。

まずは貿易紛争からだった。そこに、今回のパンデミックである。アメリカは、今年7月に入って、急速に中共を敵性国家として扱い始めている。矢継ぎ早に、中国の貿易、人的移動、資金調達などあらゆる分野での、制裁を課し始めた。

わたしたちは、ふと「中国」と呼んでしまうが、そんな国家は存在しないのである。あるのは中国共産党だけである。それを牛耳るのはマフィア同然の50ファミリーである。これに唯々諾々と従う9200万人の共産党員とその家族。残りの13億人前後は、悲惨なことに「奴隷」である。「奴隷」たちは、彼らの「まともな国家」としての「中国」を取り戻さなければならない。

中共の鉄面皮ぶりは堂に入ったものだ。世界に支援物資を送り、医療団を派遣し、あたかも救世主のように振舞っているではないか。

かつて、西側諸国はこの膨大な人口を擁する地域が、自分たちと同じような「自由」や「民主主義」、「人権」などといった普遍的価値観を共有できるようになると信じた。

開かれた市場として、その成長を大いに期待した。

それがどんなに愚かなことであったか、今世界中が思い知らされている。わたしもそんな一人だ。

英国は、1984年に香港返還をめぐり、中英共同声明を発表した。ところが、1989年、天安門で民主化を要求する学生たちを、戦車で轢き殺した惨劇が起こり、中共というものの正体を改めてまざまざと見せつけられた。英国は、あのとき、来たるべき1997年の香港返還を見直すべきだったのだろう。

ただ、少なくとも世界はあのとき中共に対する制裁を始めていたのだ。ところが、まるでスト破りのように、その無道非道の中共に手を差し伸べ、国際社会との融和に一役買ったのが、あろうことかこの愚かな日本であった。1992年、天皇陛下訪中の実現である。これが、天安門事件で孤立無援となった中共を窮地から救う突破口となったのだ。

これを推進したいわゆるチャイナ・スクール、親中派は、日本という国家に対する裏切りどころか、世界人類をミスリードする大罪を犯したと言って良いだろう。

その中共の正体は、その後露呈した。2012年のことだ。尖閣諸島問題で、官製デモを煽り、日本企業焼き討ちを引き起こしたのだ。恩を仇で返すとはこのことだ。

こうした一連の、日本の中共に対する「甘さ」は、狂信的な親中派の弄する「綺麗事」にずるずるといつも引きずられてきたのだ。

これは戦前からそうだったのだ。

かつて幣原喜重郎という、「名(迷)」外交官がいた。国内でも海外でも、民主派・協調外交路線として高く評価されている人物だが、完全にこれは間違っている。こと日本の国益に即して考えれば、彼がやったことは、ほぼ「亡国」の道へ、日本を陥れていった元凶であるといってもいい。

その国益を無視した「事なかれ外交」というのは、得てして「ただ英語が上手なだけの、外交官試験に受かったエリート官僚」にありがちな悪弊だ。

わたしは戦前、日本が後のアメリカとの戦争をなんとか回避できる環境を、幣原がぶち壊したと思っている。日英同盟の廃止である。

チャーチルも、日本政府も、日英同盟の廃止には反対していたのにもかかわらず、この幣原が廃止したのである。日英同盟が生き続けていれば、少なくともアメリカとの戦争の回避に決定的な歯止めとなったはずなのだ。

歴史の教科書ではどれも高い評価をしている幣原の「国際協調路線・幣原外交」というものの実体とは、こんなていどのものである。

アメリカはすでに、日本を仮想敵国として、中国の商圏をそっくりいただこうとしていたのだ。そのための布石をどんどん打ち始めていた。それは誰がみても明らかだった。

アメリカは、そこで邪魔な日英同盟の廃止を、執拗に英国に求め、圧力をかけていたのだ。日本は、なんとしても日英同盟を貫徹しなければならなかったのに、幣原は日本から出ていって、あろうことかアメリカの野望の手助けをしてやったわけだ。

アメリカは、日英という中国大陸に利権を得ている二大国家の軍事同盟が、どうあっても邪魔だったのだ。アメリカが、中国大陸に「機会均等」の旗を立て、「おれにも美味い汁を吸わせろ」と言って、日英同盟の終結という圧力をかけてきていた。それを、幣原は自ら切ってしまい、日本のその後の外交的孤立に道を開いたことになる。

アメリカが、日本人移民排斥運動に踏み切ったときも、幣原は一言も抗議の声を挙げていない。

これが幣原の協調外交というものの正体だ。どこに国益があるだろうか。

列国との間に結ばれた九カ国条約では、中華民国(蒋介石・国民党政権)に対しても、列国と同じように、軍縮が要請されたが、中華民国は縮小するどころか、近代兵器を装備した大規模な常備軍に増長していった。明らかな条約違反だが、幣原はこれも牽制しなかった。

さらに、「日本は、押せば引く」と足元をみた中華民国は、満洲で軍閥を使っては排日運動を激化させ、日本の企業や居留民(日清戦争、日露戦争、第一次大戦で正当に日本が得た利権)が大変な被害を受けた。しかし、露骨に満洲を狙っていたアメリカとの関係を悪化させたくないとの思いで、幣原は沈黙を守った。

思えば、清朝が倒れた後の、中国の革命政権というのは、国民党にしろ共産党にしろ、この頃から日本を「ナメてかかる」癖がついたのだろう。その意味では、幣原外交というものがその後の日本の国益をどれほど毀損する重大な過ちを犯し続けたかは、明白である。

後編では、この悪しき日本の「協調外交(本音は、事なかれ主義)」が、現在、いかに重大な日本の存亡を揺るがせているかを書こうと思う。

(後編に続く)