バイオハザードvs動物感染

政治・経済

これは387回目。2020年2月17日に公開した文章です。珍しく時事問題です。新型肺炎ウイルスが拡散感染しています。メディア紙上では大きく二つの発生源と目され記事が踊っています。

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エピデミック(破局的感染拡大)が心配されるようになると、たいていこうした伝染病問題は、生物化学兵器開発上の人為的ミスや作為的陰謀が取りざたされる。

2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が蔓延していた時期、「SARSは人工的に製造された兵器だ」というデマが一時期盛んに言われたものだ。

2014年、エボラ出血熱が西アフリカのギニア共和国などで爆発的に感染を拡大したときにも、アメリカ人がエボラウイルスを製造したというデマがまことしやかに流れた。

今回の武漢から始まった新型肺炎ウイルスに関して言われている陰謀論は、なんらかのゲノム編集が行われたウイルスが、人為的ミスか、あるいは作為的な意図によって拡散したものだ、という。

現時点では、公開されているウイルスの遺伝子配列の中に、エンドヌクレアーゼが)人工的に導入された箇所が見つかっていない。

人工的に遺伝子になんらかの「製造」が施されたのだとすれば、このエンドヌクレアーゼが見つかるはずなのだ。しかし、今のところ、人工的な痕跡は見つかっていないのだ。

ただ、これもまだ確定されているわけではなさそうだ。そして、ゲノム編集が行われていなかったとしても、実験施設でのなんらかの事故によって感染が拡大した可能性は、排除できていない。

問題となっている武漢の研究施設というのは、世界的にも従来疑惑がつきまとっている「中国科学院武漢病毒研究所」だ。

中国で最も進んだウイルス研究所で、唯一バイオセーフティーレベル4(致命的レベルの)ウイルスを扱うことができる研究室である。

そこで行われている手法というのは、「機能獲得性研究」だ。

実験施設の中で病原体が持つ毒性や拡散の容易性を増強する実験だ。またはウイルスの宿主の範囲を拡大し、ウイルスの特性を研究し、新しい伝染病になりうる可能性を実験するのだ。

この手法は非常に重要だとは誰もが認めているものの、同時に誰もが非常に危険だとも認識している。

個人的には生物科学兵器開発途上で、ウイルス検体が拡散してしまったという可能性は否定できないものの、いささかお粗末にすぎるような気がする。

生物化学兵器であれば、感染力は低く、致死率は非常に高くなければ意味がない。

しかし、今回の感染状況を見る限り、致死率は当初の2-3%から、現在では0.5%に低下している。通常のインフルエンザであれば、0.1%程度というから、余りその差が無い。一方で、感染はとんでもないピッチで拡大している。

となると、「未完成品」の生物化学兵器素材が、なんらかの事情で(おそらく人為的ミスによって)拡散したということになる。これがバイオハザード説だ。

もしこのバイオハザード説が事実であれば、単なる疾病問題ではなく、外交・政治問題に発展していくことになるので、中国としては命取りになりかねない。

ネット上では、一人の医師の死亡をめぐって、ほぼ炎上という状態になっている。

新型コロナウイルスによる肺炎について、中国当局に先んじて感染拡大の危険性を指摘していた中国の男性医師(武漢市在住の李文亮)が、自身も感染、現地7日未明に死亡したからだ。

同医師が診た患者数人が重症急性呼吸器症候群(SARS)に似た症状を示していたことから、感染拡大の可能性を早期に察知。2019年12月末に同僚などに私的な対話チャットを通じて懸念を発信していた。

李は数日後、中国当局から「間違った情報を発信し、他人を混乱させた」ことをとがめられ、発信を続ければ逮捕される恐れがあると恫喝されていた。その後当局が李に謝罪したが、自身も感染して入院していた。

今では当局は、李を「英雄」として祭り上げているが、ネットの声は収まらない。

香港、広州につづき、武漢がまた中国政府にとっては三本目の刃となって、脇腹を突き刺し始めている。

一方、こうしたバイオハザード説とはまったく違う筋道ということも、一般的に語られている。いわゆる動物からの直接感染である。

SARSと同じく、コウモリではないか、あるいは蛇ではないか、といった原因特定の話から、最近では穿山甲(せんざんこう)ではないかという説も出回っているらしい。

ご存知哺乳動物では唯一「うろこ」をまとう穿山甲だが、ワシントン条約で規制対象となっている珍獣だ。

ところが、ゲテモノ好きの中国ではこれを漢方薬や食用として密輸するケースが跡を絶たないという。

漢方薬に製造したものであればともかく、食用にしてしまうというのには驚かされる。

今のところ、中国の公式見解では、(確定こそしていないが)動物からの感染という説を表に立てているようだ。

考えてみれば、穿山甲のみならず、とんでもないものを中国では食べる。

もちろん、一般的ではないと思う。非常にマイナーな、それこそマニヤックな人たちの間で行われているのだろうが、昔は、一時猿の脳みそを生食するなどといった話が、流布していた。

どこまで真実かわからないが、犬を食すというのは、中国では普通のように行われていたことは確かだ。

現代はおろか、昔に遡っても犬を食すといったら、欧米人は腰を抜かすだろうが、中華圏では昔はごく当たり前だった。

臭みが強いので、胡椒だろうか、相当量の香辛料をいれて鍋にして食べることが多いと思う。おそらく韓国や台湾でもあるはずだ。今は少なくなっているだろうが。

それこそ「羊頭狗肉」という言葉があるように、犬は食い物だったのだ。

今回の新型肺炎ウイルス問題で、この動物食という点でふと頭を過ぎったものがある。

わたしが、1980年代前半に中国大陸をドサ回りしていたころ、人民日報の(たしか社説だったと思う)記事を見て、驚愕したことがあるのだ。

その記事は、近頃出回っている「鼠の缶詰」に対する賛否両論併記の分析記事だった。

今と違って、食糧事情がきわめて劣悪だった当時、できるだけ高い動物性蛋白を人民が得るために考案されたのが、「鼠の缶詰」だったのだろう。

問題は賛否のうちの否定派の意見である。

一から十(だったと思う)まで、「だからこんなものは駄目だ」という否定派の根拠が列挙されていたのだ。

日本で同じことがあったとしたら、どうだろうか。

まず、筆頭に、「なんといっても、不衛生ではないか」というのが上がるはずだ。もちろん鼠とはいえ、滅菌消毒、煮立てたり、料理をすれば、ウイルスは死んでしまうだろうし、現実にはリスクは限りなくゼロに近づけるだろう。

しかし、なにしろ鼠である。どうしても日本人なら、眉をひそめるに違いない。これは欧米でも同じではないだろうか。印象といってしまえばそれまでだが。

ところが、この人民日報の社説で列挙していた否定派の論拠の筆頭は。「だって、鼠を捕まえる苦労に比べて、取れる肉の量が少ない」というのである。

「鼠を食うなど不衛生ではないか」という論拠が無いわけではないのだ。ちゃんと列挙されていた否定派の項目の中に入ってはいた。

が、それは二番目、三番目どころではなく、ずっと下位に置かれていたのだ。

わたしはこれをみて、「こりゃだめだ」と思った次第。

なにが駄目だといえば、衛生観念が根本的に違うのだ。良い悪いというより、違うのである。全く基準尺度が、相容れないのだ。

先述の猿の脳みその生食という「お話」は、どこまで事実かわからないが、さもありなんと思ってしまうではないか。

穿山甲が仮に今回の新型肺炎ウイルスの発信源だとしたら、鼠を食おうという発想が出てきてしまうくらいの文化性である。不思議でもなんでもない。

伝聞だが、80年代に中国にいた日本人たちから、鼠の缶詰どころではなく、まだ生まれたての鼠を湯がくのか、生食なのか、踊り食いするなどという話も聴いたことがある。子供ですらそれを食べているのを見たというのだ。

どういう状況でなのか、覚えていないのだが。

間違いなくこうした事は、中国で一般的なことではない。きわめて例外的なケースなのだろうが、13億人の大国である。いかに少数派とはいえ、絶対数で言えばとんでもない人口でこうした「例外」が行われているかもしれないではないか。天才も日本の10倍いれば、馬鹿も10倍いるということなのだ。

かつて、香港在住時代、折に触れて隣の澳門(マカオ)に遊びにいったものだが、そこでは大きめのマッチ箱くらいのものに、なにかの幼虫が(生きていた)うようよつまっているのを、香港の友人たちはいそいそと買って、香港に持ち帰っていた。

聞けば、おじいさんおばあさんに食べさせてやるお土産だという。卵とじのようにして食べるのだといっていた。滋養強壮ということらしい。

所変われば品変わる。

科学的に間違っているとは言えないのだろうが、どうもやはりわたしなどは腰が引けてしまう話だった。

このゲテモノ食いというのは、ほぼ中国の南部と決まっている。つまり、揚子江(長江)を挟んで南方一帯だ。

その分岐に当たるのが、武漢である。そこから最南部の広東・香港までが中国でも冠たるゲテモノ食い文化圏ということになる。

華北から、旧満洲では、ほぼこうした文化性を見たことがない。

さてさて、一帯この世界を震撼させている新型ウイルス問題、どこで終息を見るのだろうか。今、足元の日本での感染拡大がピッチを上げ始めている。

ご用心、ご用心。



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