カンブリア爆発

政治・経済, 歴史・戦史

これは412回目。

長年、次世代を担う研究や開発をしている企業に焦点をあてたテレビ番組があります。カンブリアというのは、一体なんでしょう?

ちなみ:::

地球上に生命が誕生してから、なんどか進化の革命が起こったとされている。その一番最初が、「カンブリア爆発」だという。

5億年前のカンブリア紀に生物の種類が劇的に増加したと言われる。それ以前も多様な種類はいたのだが、この時点と前と後とでは進化の速度があまりにも違うというのである。

このカンブリア紀に現在、地球上に存在する38の動物門すべてが一気に誕生したことが化石調査で明らかになっている。地質学的にはわずかな期間だが、異常に進化が進んだことから、その急激な変化を「カンブリア紀の大爆発」と呼ぶ。

なぜカンブリア爆発が起きたのか。いろいろ仮説はある。

酸素濃度の急激な増加、二酸化炭素濃度の減少などにより、生物がより大きなエネルギーを利用できるようになり、それがより広い地域に対応するための進化のエネルギーになったのではないかというわけだ。

あるいは、利用可能なリンの量が増えたというのもある。地表から溶け出したリン酸カルシウムにより、生物の骨格の発達し、それにより進化が可能になったのではないかと。

さらにまた、大陸棚面積の増大という仮説もある。浅い海である大陸棚が広がることで光合成が可能な地域が増え、それが植物プランクトンを増やし、生物全体の絶対量や行動範囲を拡大させ、それが進化にはずみをつけたというもの。

ただ、どれもこれらは仮説にすぎない。定説といえるものではなかった。

この疑問に一つの回答を出したのが、アンドリュー・パーカーの「眼の誕生」だ。

彼の導き出した答は、生物が「眼」を持ったことで、進化のスピードが急激にアップし、「カンブリア紀の大爆発」に結びついたというもの。もちろんこれもまだ定説にはなっていない。今後の化石の発見や分析で、話がどうなるかはわからない。

ただこの主張が、生物学界に激震を呼び起こしたことは間違いない。

かつて生物は眼というものをもっていなかった。ある意味、地球は平和そのものだったといってもいいかもしれない。、弱肉強食の世界には程遠いからだ。せいぜい、「スローな捕食」というレベルだったろう。それは先カンブリア紀には甲羅をまとった生物が存在していなかった(化石が発見されていない)ことから見て、おそらくそうだったのだろう。身を護る必要性が無かったのだ。

何らかの事情で、光感受性を持つ機能が発達していったことで、エデンの園は崩壊した。弱肉強食の世界が登場したのである。

この「眼の誕生」が生物を劇的に次のステージへと押し上げたとすると、その後5億年の間に、いくたびかこの新しい「眼の誕生」が生まれてきていたのだろうか?

レンズもそうだろう。双眼鏡、望遠鏡といったものは、格段に人間の視野をその飛距離を増大させた。次に起こるべき変化に対して、時間的余裕を得ることができたことは大きい。顕微鏡の登場で、ミクロの世界にまで視野が広がっていったのは言うまでもない。やがて見えないものまで人類は見るようになっていった。ソナーである。

今、さかんに社会文化人類学や経済学で言われているのは「デジタル・カンブリア」である。ビッグデータとアルゴリズム、そしてAIの導入で、未来を格段の精度で見えるようになりつつある。

圧倒的にこの分野では、アメリカ、そして中国の投資金額が多く、特許出願数も他国とは桁違いである。

とうていかなうわけもない。となると、日本はどうすればよいのだろうか。

ずいぶん前だが、国会で「どうしても一番にならなければいけないのですか」などという馬鹿な質問をした旧民主党議員がいた。

人間個人の人生観や哲学として、一番かどうかはまったく意味を持たない。しかし、仕事や政治では、一番を目指さなければ、滅亡するのみである。

日本が、アメリカや中国という大国の間で目指すべきなのは、やはり激突する焦点からじゃっかん「ずらし」た、ニッチの分野で圧倒的な力を得ることが一番現実的だ。しかも、彼らがもっとも不得意とする分野であれば、なおのこと。

種というのは、鍛えられれば強くなるという誤解がある。けっしてそうではない。どの植物も種というものは、さまざまな環境変化に応じうるばらばらの特質の種をばらまく。そのどれかが対応しきって、生き延びるからだ。

結局一番でなければ、生き残れないというのが、生物の基本原則なのだろう。