健康食

雑話

これは262回目。食事の話です。世の中、バランスの良い食事を取るべきだとか、同じものを食べ続けないほうがいいとか、いろいろな「すすめ」があります。が、本当なのでしょうか。

:::

もちろん、毎日ラーメンばかり食べていたら、おかしなことになりそうだということは、栄養士ならずともわかる。

では、おにぎりばかりなら、どうなる? たとえば、鮭か昆布、おかかなどのおにぎりと、お新香(しんこ)と、味噌汁だけだ。ずっと続けていたら、体に悪いだろうか。どうもそんな気がしない。

だいたい、今の人間は(わたしを含めて)、食いすぎなのである。人間、小食・粗食が維持できれば、良いことだらけなのだ。死にたくなかったら、食わないことだ。

また、これを信じるかどうかは別としても、運も良くなるのだ。健康・長寿で、だいたい経済的だ。

大半の病気は、食事療法でかなり治るとも聞くが、そうかもしれない。簡単なことだ。食わなければいいのだ。

同じものを食べると、脳の刺激が無くなる(軟化と呼ばれるもの)と言うが、それならインド人はどうなるのだ。朝昼晩とカレーしか食っていないではないか。しかも、あの民族がやたらと頭がいいことは、否定しようもない。

基本的に一番良いのは、小食・粗食の定番を自分でつくり、毎日それを同じように食べるということなのだろうという結論に至った。

おにぎり、おかゆ、お茶漬け、納豆飯、何でもよいのだが、一応バランスが取れる組み合わせで、同じものを食べ続けるというのは、存外間違っていないのではないか、と言う気がする。

聞けば、アニメの宮崎駿(はやお)は、毎日、一つの弁当を、昼と夜に分けて食べているそうだ。ご飯と、ソーセージ、卵焼き、沢庵ていどのものが入った、たった一つの弁当だ。なんと、これを25年続けている。彼が健康問題に悩んでいるという話を聞いたことがない。最近こそ、スタジオ・ジブリでも第一線を引いたようだが、なにしろアニメ制作はハードワークである。作り込みになると、ずっと徹夜状態が続く。

米国のオバマ大統領はどうだろうか。歴代大統領の中でも、最もスリムな人物だと思うが、夕食は毎日、ライス(驚きだ。パンではないのだ。)、サーモン(要するに鮭だ)、ブロッコリーということで、きわめて小食である。

よく栄養士の人がいろいろ専門的なことを書いたり、話したりしているが、果たしてどうなんだろうか。個人的には、全部嘘のようにしか思えない。(といったら、怒られそうだ。一面的と言った方がいいのかもしれない。)

世界中、中南米などに、トウモロコシとそれから作ったものしか食べていない民族や、芋しか食べない民族などいるが、みな長寿で健康ではないか。どこか、この科学的な分析は、間違っているような気がするのだ。果たして、バランスさえ、本当に必要なのかどうか、疑問に思える。

うちの長男などは、同じおかずが出てくると、露骨に嫌な顔をするのだが、わたしはまったく平気だ。家内がズンドウでカレーを作ったりするのだが、量を間違えたらしく、とんでもない分のカレーができあがってしまった。一回目の夕食はそれで良かったが、翌日の朝から、わたしを除く全員が拒否した。

結局、わたし一人が、普段食わない朝食もカレーを食べることができた。昼は、弁当にカレーを会社へ持っていって食べた。夜家に帰るとわたしだけが、カレーを嬉々として食べた。これが、4日続いたのだ。

わたしもさすがに飽きてくるか、と思ったが、そうでもなかった。家族は、異様なものを見るかのように、わたしがカレーを食べ続ける様子を見ていた。つくった本人が、気持ち悪そうにわたしを見ていたのだ。失礼千万だ。

人によるのだろうが、わたしとて、いかにラーメンが好きだといっても、毎日三食ラーメンを食わされると、おそらく一日で拒否反応になると思う。

が、それがお茶漬けや、おにぎりや、お粥であったら、3日、4日どころではない、どこまで続けられるか、試した事はないものの、恐らく相当いけるだろう。数ヶ月くらい平気だと思う。

要するに、腹が減っていればなんでも美味いはずなのだ。腹も減ってないのに、几帳面に決まった時間に食うから、同じものが食えないなどという意味不明の事態に陥るのではないかと思う。

なぜ、同じものがいいのかというと、先述の脳の軟化現象が効いてくるためだ。先述とは逆説のようだが、つまり、飽きである。腹が減るから、この飽きはなんとか克服できるが、それでも脳はやはり食事に対して刺激がなくなるので、腹が減るのを待って食ったところで、どうしても多少の飽きが出てくるのだ。

そこが、ポイントだ。つまり、飽きがくると、いくら腹が減っていても、食う量がどうしても減るのだ。自然、小食となる。これはいける。そう思わないだろうか。あとは適度に歩くことを習慣づければ、鬼に金棒だ。

もう一つポイントがある。毎日同じものを、適度なバランスと分量を、しかし腹が減った段階で食べ続けるという食生活を続けるコツは、たまに、異色なものを一回だけ食べるというワザが必要なのだ。

それは、スパゲッティでもよいし、ステーキでもよいし、エスニックでもよい。なんでもよいのだが、刺激的なものがより効果的だ。それを、「飢えている」かのように、目一杯食うのだ。一回こうしたイレギュラーなものを腹いっぱい食うと、たいてい、一発で飽きてしまうはずだ。

そうすると、日常的にまたいつもと同じものを食べ続けることが、苦にならなってくるのだ。この途中で、アクセントを入れることによって、単純な食生活が持続されるコツだとも言える。

いやいや、毎回、食事が「おいしい」と思うことが健康には一番重要なのだ、という議論もある。一見、自然な考えかたで、生態学的にも良さそうな気がするが、先述のように、腹が減っていれば、なんでも取り敢えずは美味いはずなのだ。毎日違うものを食う「刺激」を、「おいしい」と脳が錯覚しているだけのことだと、わたしなどは思ってしまう。

いやいや、昔の人は粗食だったから、寿命が短かったじゃないか、という反論もあるだろう。これも違っているような気がする。昔の人が今より短命だったのは、食事のせいではない。

昔は、冷房・暖房もなく、交通機関も無く、肉体を日常的に酷使する生活環境が、今とは比較にならないほど凄まじかったのだ。これが、粗食でカバーできなかっただけのことだ。

わたしが、子供の頃、昭和30年代、そもそもどこにいっても、夏は冷房などなかったし、冬は暖房など無かった。この差だけで、心臓や肉体への負担は考える以上の負担であったろう。しかも、交通機関が発達していなかったから、今の駅の2つや3つ分くらいは、普通にみんな歩いていたのだ。

それが、散歩のようなものであれば、健康的かもしれないが、極寒と灼熱の中を、ずっとそうしていたのだから、負担は大きい。

やはり、小食・粗食は、生き延びるための絶対条件のような気がしてきたのだが、どうだろうか。昔から、粥と菜っ葉しか食わなかった坊さんに、たくさん長寿の人がいたではないか。

だいたい食事についてよく言われることの多くに、疑問を感じることがある。たとえば、肉を減らせば健康に良いという話だが、これも基本的には間違っている様に思う。

最近では、日米の進んだ糖尿病治療では、しばらく肉しか患者に食わせずに(穀類は一切禁止)、それによってパワーとエネルギー補給を維持しながら、一気に血糖値を落とすことに成功しているではないか。

また脳卒中も、肉を減らせば、脳卒中にならないというのは嘘で、肉を断ったほうがはるかに脳卒中の発生件数が多いことが最近では確認されている。

これまで日本では、脳卒中の予防には肉食を控えたほうがよいと考えられていた。しかし実情は逆だった。日本型脳卒中の特徴は、コレステロール値が低い人に多いからだ。コレステロール値が低いと、細胞膜のコレステロールが少なくなり、血管が弱くなってしまう。ところが日本では、コレステロールや血庄の値が高いと危ない心筋梗塞と脳卒中が、同じ原因でなると考えられていた。そこのところに誤解があったのだ。

だから、毎日同じ粗食をずっと続けている間に、ときどきステーキを食ったりするのは、良いことなのだ。

最初に日本の土を踏んだキリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルが、カトリック教会の本部宛に出した手紙には、『日本人は自分たちが飼う家畜を屠殺することもせず、またこれを食べない。彼らはときどき魚を食膳に供し、ほとんど米麦飯のみを食べるが、これも意外に少量である(略)』と書いている。

確かに、肉を多食している民族で長寿のところは、皆無だ。かといって、まったく断つと問題なのだ。

玄米と魚と菜っ葉に、大豆を使った発酵食品(味噌汁)が定番だった日本人だ。これにたまに、(飽きたら)肉中心のぎろぎろしたものを食っていれば、鬼に金棒ということだ。

ふだんの定番を、ずっと少量だけ摂取していれば、たまに肉を食ったところで、胃が小さくなっているから、しょせんそんなにたくさんは食えない。結果、痩せるし、バランスは取れているし、食事に適度な刺激と楽しみができるし、長寿健康間違いなしだ。これを持続する秘訣は、基本的に腹を減らすこと、つまり、けして間食をしない、ということのようだ。



雑話