侵略の定義

雑話

これは307回目。先年、ロシアがクリミア制圧をしたのは記憶に新しいところです。当時、ヒラリー・クリントン民主党議員(後、大統領選に出馬し、トランプ氏に敗れた)は、これを戦前のドイツが、チェコスロバキアからドイツ人居留民の多いズデーテン地方を、割譲していったプロセスと同じだ、と非難しました。

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欧米各国は口をそろえて「侵略」だとみなしてたわけだが、この「侵略」とは一体なんなのか。ロシアにしてみれば、クリミアの居住者の圧倒的多数を占めるロシア人が、ロシア再編入を望んでおり、反ロシア的なウクライナ暫定政権が武力で誕生していることから、ロシア人居留民の安全を確保するために、軍の行動準備をするのは当然だということになる。

準備とはいえ、事実上威嚇しているわけだし、特殊部隊を、クリミアの自警団に紛れ込ませていることは自明である。

どちらもいろいろと言い分はあろうが、本音は、明らかに地政学的な根拠にほかならない。欧米は、ウクライナを取り込むことで、ロシア連邦の瓦解を狙っていることは明らかである。一方ロシアは、なんとかこれを阻止したい。そのスーパーパワーのエゴの衝突にほかならないのだが、問題は法的な線引きだ。

こういう複雑な問題を区切るのには、この法的な線引き以外にはない。その法を棚上げする場合には、現実に騒乱・内乱といった居留民の生命財産が脅かされる危機がある場合だけである。いわゆる超法規的措置だが、ウクライナは騒乱状態だったが、ロシア人が圧倒的に居住しているクリミアには、それは無かったから、該当しない。

そもそも、ロシアの今回の手口というものは、どう正当化しようと、基本的には条約違反である。それは、1994年に英米露の間で結ばれた、「ウクライナの現存する国境を尊重する」としたブダペスト覚書を、破ったということにほかならない。

クリミアのロシア人居留民が、現実に急迫する生命財産の危機に陥っていない以上、どのような理屈をつけても、ロシアへのクリミア編入は違法である。クリミア住民がそれを、「現状維持」という選択肢も含めて(今回の投票用紙には、「現状維持」の選択肢は無い。)、正規の住民投票をして、なおかつウクライナ暫定政権が承認すれば、はじめてロシア編入ということは可能だろうが、ウクライナの主権を無視して、クリミアの独断専行による独立と、ロシアへの再編入を受け入れるなどということは、論外である。

ロシアという国が、一人一人は実に人の良い民族性が強いにもかかわらず、ひとたび国家レベルの言動になってくると、世界の厄介者になるのは、非常に不思議だ。この厄介者が引き起こす問題というのは、常にといってもいいくらい、条約の履行をしない、どころか勝手に破るという病気のような性癖である。

日本にしてみれば、戦争中、日ソ不可侵条約を無視して、樺太、千島に侵攻してきたことは、忘れられない屈辱として記憶に残っている。

しかし、この悪しき性癖は、ロシアにとどまらない。中国や、韓国というのも、この性癖がきわめて強いのである。こういう国と、まともに条約を結ぶことの意味があるのか、とさえ思ってしまう。

この侵略という言葉は、中国が、日本を非難するときに好んで使う常套文句だ。たとえば、日中戦争に発展していく一番最初の導火線となった、昭和6年1931年の満州事変などはその最たるものだろうが、これを侵略というのは、間違っている。

満州における日本の権益は、日清戦争、日露戦争、第一次大戦と、都度、日中の正式な条約によって確保されたものにほかならない。これを、帝国主義だから間違っているとかいうのは、理由にならない。主義主張、意図などどうでもよいのだ。条約というのはそういうものだ。

当時の日中間は、不平等条約だというのも無意味な議論だ。条約は力関係によって決まる。日本も、最初は話にならない不平等条約を、欧米列強と結んでいたのだ。それを一つ一つ、実力を蓄え、信任を得、交渉を続け、不平等条約撤回に至ったにほかならない。朝鮮半島や、中国は、日本より早くから欧米列強に襲われていたにもかかわらず、まったくそれが出来なかったことのほうが問題である。

当時、南満州は、条約に基づいて、関東軍が駐屯しており、日本人居留民を保護する役割を担っていた。ところが、戦前の中華民国というのは、蒋介石の国民党政府が全国掌握できておらず、満州は軍閥による専横と内紛が絶えず、まったくの「無主の地」だったのである。

たとえば、日中間では、具体的な物品の南満州での税率を決めていたが、現地の軍閥政府は、中央の国民党の言うことを聞かず、勝手に税率を無法なほど引き上げたり、暴力による日本企業の締め出しなど常態化していたのである。

まだそれだけならよい。日本人居留民をねらった暴行、殺害などが頻発していた。日本政府は、再三にわたって中国国民党政府や、現地の軍閥に取り締まりを要請。条約遵守を求めた。が、国民党政府にそれができる支配力が無く、現地の軍閥は、いわばマフィアのようなものであるから、まったく柳に風、糠(ぬか)に釘である。

通学途中の日本人小学生が襲われるといったような事件も発生し、日本国内では世論が激高した。日本政府は、ことを荒立てないようにと、意味不明なほど紳士的に振舞うだけで、なんの手立ても打たなかった。国際社会に対して、満州での権益が侵されているという積極的なアピールを一切していないのである。日本の外交は、権利の主張をあまりにもしなさすぎる。

業を煮やしたのが、現地に駐屯する関東軍だったわけで、参謀の石原莞爾(いしはらかんじ)一人が、武力制圧による日本人居留民保護と既得権益保護を目ざした。陸軍きっての奇才といわれた石原の戦闘計画は的中。わずか1ヵ月で、10倍の軍閥勢力を駆逐し、東三省全土を掌握するにいたった。これが、満州事変である。石原一人が、関東軍を引きずり、関東軍が陸軍全体を引きずり、陸軍が日本を引きずったと言われるくらいだ。

従って、関東軍がこのときに行った行為は、条約履行をしない、またはする能力がない、する気もない中国国民党政府を頼みとせず、入り乱れて各地で勝手放題をしていた地方軍閥を排除して、日清戦争以来得た権益の維持を実現したにすぎない。しかし、それを常態化させてしまったら、日本領土になってしまう(これは侵略である)ので、まともに話ができる(というより、日本の言うことをきく)傀儡政権として、満州国を独立させる運びになった。石原は、独立国を作ってしまえば、既成事実でいけると思ったかしれないが、さすがに中国政府は、これを容認するわけにいかなかった。

中国は、これに対して、侵略である、と主張し、国際連盟に訴えたわけだ。教科書にも載っている、昭和7年1932年、リットン調査団が満州入りして、結論を出したのは、よくご存知だろう。教科書では、これでリットン調査団が日本の行為を認めず、その後の日中戦争へと発展していった、という書き方をしているものが多いと思うが、事実はそんな単純なものではない。

リットン調査団は、満州における日本の権益をすべて、改めて認めたのである。当たり前である。英国にしろ、フランスにしろ、中国に租借地を有し、広大な権益を持っていたわけであるから、立場は同じなのだ。当時満州の異常な内乱状態という中で苦慮していた日本の状況を、十分すぎるほどよく認識していたのである。

リットン報告書は、「満州事変以前に戻すというのは、現実にそぐわないし、満州の自治(民族自決の原則、国民党政権の「中国」から切り離す)や日本の権益の有効性」を改めて認定、その上で、「満州を国際管理下に置く」ということを提案している。あくまで「いきなり満州国独立はまずい」、というのである。
本来であれば、日本はこれで満足すべきだったが、あくまで満州国にこだわった。国内世論が激高して、政府がリットン報告書に応じることができなくなってしまったのだ。

現実の満州国は、その後欧米列強から容認されなかったが、日本の軍事力を背景とした満州国経営は成功し、満州にいた外人たちの当時の書き残したもののどれを見ても、満州国成立前と比べると、遥かに安全で、清潔になり、豊かにもなり、まともな地域になったと、事実上の日本の施政を賞賛しているものばかりだ。

ただ、中国政府の意向を無視した、分離独立であったことは間違いない。この部分は否定のしようがないくらい、「違法」である。加えて、その中国に、「満州国独立」を認めさせる手段を、日本はその後、誤ったのである。あくまで、政治功利的な見方ではあるが、当時日本が行うべきだったのは、国内統一と共産党弾圧に狂奔していた国民党政府に、徹底的に肩入れするべきだったのだろうが、逆にこれを侮って、高圧的なスタンスに終始してしまったのである。そこに、中国共産党につけいる隙を与えてしまったといってもいい。
まとめてみれば、満州事変までは違法ではないが、満州国成立は違法である、ということにでもなろうか。この二つは連続的な事象だが、違法性という観点では別物である。

国際連盟では、松岡洋右(まつおかようすけ)全権が満州事変と満州国成立の正当性を主張して、大演説をぶったが、これはかなり奏効し、ほぼ日本の要求が全面的に認められるくらいにまでになっていた。松岡は、言われているように、最初から国際連盟脱退を覚悟していたのではなく、そもそも外務省訓令が脱退を最終手段としていたのであり、これを知らされた松岡は、実際には目が点になるほど当惑していた。

昭和8年1933年、リットン報告書が、国際連盟の総会で採択されたことで(当然のことであろう。国際社会は無理難題を日本に押し付けていないのだ。)、松岡は外務省訓令に基づき、脱退した。要するに、日本を国際社会から孤立させたのは、松岡でも、関東軍でも、石原でもなく、国内の傲慢にして強硬な世論であり、そしてこの世論ばかりを気にして、冷徹なリアリズム(損得勘定)の無かった日本政府だったのである。

石原参謀一人が引き起こしたといってもいいこの満州事変そのものは、かくして侵略でもなんでもない、条約履行に基づく正当な軍事行動であったといっていい。それが証拠に、敗戦後、極東軍事裁判で、石原は戦犯指定を受けていないのである。

GHQ(連合国総司令部)は、戦犯容疑者を拘留していったが、石原には手も触れない。石原のほうは、今か今かと待っていたが、いっこうにお呼びがかからない。怒ったのは、石原である。わざわざ自分からGHQに手紙を書き、「日中戦争、太平洋戦争と、その後のすべての戦争の直接的発端であった満州事変を引き起こした自分が、なぜ裁判に召還されないのか」と、マッカーサーを名指しで詰問したのである。石原としては、当時の日本の立場の正当性を、公の場で徹底的に主張しようとしていたのだ。

ところが、マッカーサーは石原に手紙を送り、「閣下は、戦犯容疑には該当しません。」と答えた。そして、「せっかくだから、参考人として、協力していただきましょう。ただ、石原閣下がすでに病床に居られるというので、隠棲している山形酒田に人員を派遣し、特設法廷を設けるのでお越しいただきたい」、という旨を述べた。

石原が、満州事変以降は、日中戦争と太平洋戦争中、一貫して、戦争不拡大、反東条の旗を降ろさなかったことも、GHQにしてみれば、戦犯容疑には当たらないということもあろう。現役時代から、「勘違いするな。敵はアメリカではない。ソ連だ。」と公言していたような人物であり、戦時中は即時停戦のために、東条暗殺まで計画したくらいである。

しかし、そもそも、満州事変は、国際法的に、侵略でもなんでもないのだ。そんな世界の常識を、日本を裁く法廷で、石原本人にまくしたてられたら、極東軍事裁判の目的そのものが揺らいでしまう。そこで、丁重にお断りした、ということだろう。

このように、日本の行った侵略の最たるものと誤解されている満州事変と、今回のロシアのクリミア独立・併合といった動きを比べてみてどうだろうか。決定的な違いは、条約を守るか守らないかの、一点でほぼ線引きすることができる。日本は、守っていたが、中国が守らないので、満州で実力行使したのが当時の日本だった。今回のロシアは、いつものように、やはり、自分の都合だけで、勝手にブダペスト覚書を破ったのである。

かつて、満州国を独立させ、傀儡化し、事変以前より遥かに極東の安定に寄与し、満州そのものも繁栄させ、既成事実を見せ付ければなんとかなる、と日本の指導部が思っていたのと、もしかしたら、今のロシアも同じようなことを考えているかもしれない。しかし、発端は、明確に違う。条約を守るか、守らないかでは、雲泥の差である。

似たようなことは、昨今の中韓両国が、日本との間で取り決められた日韓請求権協定、日中平和友好条約など、中韓が戦時中の賠償請求を放棄するとした取り決めを破るような動きをしている。強制連行・強制労働などの賠償請求運動がそれである。過去の清算は終わり、その引き換えに、膨大な経済援助を行ってきた日本としては、この中韓の協定破りはおなじみの常習行為だ。

ロシアにしろ、中国、韓国にしろ、この前言撤回、条約破りという常習性は、幾度となく繰り返される病癖と同じである。日本も、それなりの対応をしていかなければ、馬鹿をみる。しかも、ロシアにしろ、中韓にしろ、この協定破りをするときに、二言目に引っ張り出すのが、歴史的な経緯である。

そのかなりの部分は捏造や、都合の良い解釈であることが多いが、百歩譲ってその「歴史的経緯が」事実だったとしても、「一体いつの話なんだ」という歴史を持ち出してしまったら、問題の解決が永遠に無いことになってしまう。人間としての倫理や記憶、教育という観点ではかまわないが、国家間の関係である。どこかで時間的制限を設けて再出発しなければ、新しい時代は永遠に来ない。

福沢諭吉がかつて、「脱亜論」を書いた、その根本的動機というものは、いっかな直ろうとしないこうしたアジアの業(ごう)のようなものに、堪忍袋の緒が切れたためだ。ある意味、ロシアもその意味では、アジア的である。少なくとも、欧州人はロシアを欧州とは思っていない。ロシアはロシアでしかない。アジアといっても、つきつめていえば、中国、朝鮮半島、そしてロシアと、たったこの三つだけが迷惑千万なだけなのだが。

プーチン大統領は、ロシア国民や、クリミアのロシア系居留民の圧倒的な支持を受けて、このクリミア制圧プロジェクトを一気に進めたのだろう。しかし、満州国をあきらめきれず、リットン調査団や国際連盟を蛇蝎のごとく憎んだ、日本の国内世論の激高に押されて、冷静な判断を失った日本政府と、なんとなくオーバーラップしてしまうのは、わたしだけだろうか。



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