絶対的なものはない
これは415回目。
当たり前のことですが、意外に日常、忘れてしまうことです。世の中に絶対的なことは無いのです。
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正義ですらそうだ。
正義は百人いれば、百通りあるはずだと以前書いたことがある。また、正義とは言い換えれば、裁くという言葉と同義語だとも書いた。
人殺しはいけないという。しかし、ではなぜ場合によって、あるいは法によって、文化性の違いによって、殺していい場合が現実にあるのだろうか。
絶対的な価値観というものはないし、世の中が、世界そのものが絶対的なものではないからだ。
物理的に言えば、たとえば色である。
そもそも「色」とはなんなのか。色の本質というものは、そこにはない。幻にすぎないといってもいい。
わたしたち地球上に、色というものは存在していないのだ。実在するのは、各種の電磁波を屈折させたり偏向させたりする物質だけなのだ。
蘭の花が綺麗な紫色をしているといっても、蘭が紫色を発光しているわけでははない。
新緑の緑の葉も、葉自体があの眩いばかりに美しい新緑色を発光させているわけではない。
葉にわたしたちが認識している「新緑」という色は無いのである。蘭の花も同じこと。
色というものは、光の受容細胞が感知した情報を、脳に映像処理された幻にすぎない。その生物にとっては、自体まったく関係のないものなのである。つまり、絶対的な色というものは、この世には存在していない。
これを人間の資格がいい加減で不完全なものだ、と言うかどうか、異論があるだろうが、少なくとも「色」というものは存在しないのは確かだ。
人間という存在はそのていどのものだ。
そのくらいに思って、世の中あるていどたかをくくって見たほうがいいかもしれない。
もともと絶対的という概念は、他との比較を介さない、必要としない判断のことだ。
一方相対的というのは他との比較のもとに判断することだ。
物事も、世の中も、人そのものも、しょせん「関係性」の上に意味を持っているとすれば、相対的な見方のほうがやはり現実的なようだ。