太陽の帝国
これは421回目。
日本のことを取り上げたハリウッド映画というのは、たいていの場合、わたしたちが観ると、現実の日本や日本人からかけ離れていすぎ、陳腐で見るに耐えません。しかし・・・
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稀に、かなりいい線まで迫っているケースがある。そこには日本人のスタッフがかなり発言権を持ってアドバイスをした映画だろう。
しかし、いかにスタッフが助言したところで、原作そのものが日本や日本人に対する偏見や先入観にこりかたまっていたら、どうにもならない。
比較的近年の映画では、クリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙(2006年公開)」はかなり、現実の日本人に近いし、当時の帝国陸軍の様子にも近いと思う。
イーストウッド自身がメガホンを採っただけに(当初は日本人監督を起用するアイデアだったらしい)、日本に対して多大なる敬意を払って作り上げたことがうかがえる。
イーストウッド自身本作を「日本映画」と呼んだほどだ。ワールドプレミア試写会が日本で行われることについても、「ふさわしいと思うよ。日本人監督である僕が撮った日本映画だからね」と言った。
それに比べるとトム・クルーズ主演の「ラスト・サムライ(2003年)」は幕末から明治初期にかけてを時代背景(函館戦争)としている「つもり」なのだろうが、あまりにも現実離れしていて、見ていてがっかりした思いがある。いい俳優をいろいろ揃えていても、あれでは台無しだ、と思った次第。しかし、日本を知らない外人には「ラスト・サムライ」のほうが見栄えが良いのだろう。
もっとずっと古い、「太陽の帝国(1987年)~Empire of the Sun」という映画がある。あのスティーブン・スピルバーグが監督をした映画だが、あまり知られていないほうかもしれない。
Gバラードの伝記小説が原作だ。日中戦争前から、終戦直後にいたるまでの話。
日本軍が進駐してきて、上海居住の外人たちは収容所に入れられた。その長い収容所生活を、当時の実体験そのままに、少年の目から戦争と大人たちの生態を描いた作品だ。
わたしは、スピルバーグの中でも佳作の部類に入ると思っている。もちろん、インディ・ジョーンズを始め、エンターテイメント然とした彼の数々の名作のような輝きはない。
地味な映画である。が、そこに描かれている日本人(ほとんどが軍人だが)は、見事にわたしたちが知っている日本人だと言える。
英国人少年は日本軍襲来という危機的状況の中で親とはぐれ、一人捕虜収容所で生活をする。そこで見た英国人居留民や、米兵捕虜たち、そして監視する側の日本軍将兵たち、日本の少年兵、見事に描き分けており、それぞれがそれぞれの立場で無理なくストーリーが進む。
英国少年は、もともとゼロ戦を空の英雄だと信じていた。
捕虜収容所横には、日本軍の航空隊基地があった。ゼロ戦の搭乗員たちが出撃する。彼らは「海行かば」を歌う。少年は、それに教会で毎日曜日に行っていたミサでの賛美歌を歌い、搭乗員たちに贈る。
やがて間近に、本物のゼロ戦に触る機会がやってくる。宝物でも触るかのように、そっと少年は手をゼロ戦に押し当て、陶酔した面持ちになる。
そこにゼロ戦の搭乗員たちが愛機から降り立ち、談笑しながらこちらに歩いてくる。
あのゼロ戦を駆って大空を支配する搭乗員たちは、少年にとっては神に近い存在なのだ。
少年は、感激の中で搭乗員たちに静かに敬礼する。
ゼロ戦搭乗員たちは、奇妙な英国人少年から敬礼を受け、一瞬戸惑うが、すぐに正規の敬礼で返す。
四人のシルエットと、ゼロ戦のシルエット、その向こうには大陸に沈む真っ赤な太陽(日本をシンボライズさせているのかもしれない)が見事なコントラストを描く。
この瞬間、英国少年の一生の夢は叶った・・・
映画全編に日本人俳優たちが演じているのだが、この映画でもっとも日本というものを象徴的に表現した1シーンは、あの少年がゼロ戦搭乗員たちに敬礼をし、搭乗員たちも最高礼を以て応えたあのワンカットだったと今でも思っている。敵国同士の壁を無条件に突き破った瞬間があのワンカットに凝縮されている。
あれ以上に、日本というものをストレートに感じさせる外国映画をわたしは見たことがない。