東京ってなんだ?
これは437回目。(写真は品川駅港南口の昔と今)
都市計画の話、とも言ったらいいのか。要するに東京の話なのだ。
欧米の都市というのは、実に見事に都市計画がなされていることが多い。一見して整然と、そして美しいのだ。
それにくらべ、東京というのは実に「なんだかよくわからない街」になっている。
整然と、美しく見えるためには、均一性、統一性が必要なのだ。
およそ東京にはそれがない。
しかし、と思う。
欧米の都市というのは、通りすがりの人間にとっては、整然としており、美しいと思えるが、そこの住んでみれば、もしかしたら面白くない街かもしれないじゃないか。
コンビニは、日本のどこの田舎にいっても、驚くようなところにある。これは便利だ。しかし、どこへいっても似たようなものしか売っておらず、ある意味面白くはない。
それと似たようなもので、欧米の都市というのも、存外住んでみれば面白くないかもしれない。
人間、綺麗だったり、美しかったりするものは良いものだが、それより大事なことは面白いことじゃないか。
東京というのは、関東大震災以降、それこそ挫折の連続だった。空襲で焼け野原となり、戦後のにわかづくりの都市は、オリンピックでひっくり返された。
およそ都市計画というものが、ほとんど機能しなかった挫折の連続の歴史、それが東京だ。
世界的にもこれだけ、挫折を繰り返してきた街も少ないのではないだろうか。
そのたびに、やっつけ仕事で、それこそカリフォルニアのウィンチェスター館のように継ぎはぎだらけの都市、それが東京だ。
それもひょっとすると日本らしくていいのかもしれない。
新宿に行けば、それこそ取り残されたようなゴールデン街がある。だから、有楽町のガード下が「綺麗になってしまった」ことに、激しく懐旧の念を禁じえない。
東京というのは、昔から日本では、「何ものかになるための街」だった。わたしは横浜出身だから、すぐ隣なのだが、それでも子供の頃から東京とはそういう街だった。「いつか東京で」という、そこはかとない思いが多くの日本人にはある。
その東京も、さすがになんだか「わからなさ加減」が、近年一段と強まってきているような気もする。
こうなったら、いっそ開き直って、わけのわからない街という道を突っ走っても良いかもしれない。
なにも「昔は風情があった」と慨嘆を漏らすのではなく、今はない歴史を感じられれば、「今は無き東京」でもいいじゃないか。それこそが東京なのかもしれない。
たとえば、おそらくパリは、ナポレオン三世のときの大改革以降、ほとんど定点写真を比べてみても、そう変わりはないんじゃないだろうか。
しかし、東京はめちゃくちゃに違う。「へ~、ほ~」の連続である。
わたしが生きてきたわずか60年ほどの期間の、同地点・同アングルの写真ですら、驚天動地の変貌ぶりだ。
これが面白いのだ。
今の東京が、ぐじゃぐじゃで、おさまりのわるい都市であろうとなんだろうと、どうせ世の中は変わっていくのだ。
その変化を楽しんでもいいじゃないか。
いまはない、かつての東京の面影は、いまはデジタル化されて永久保存されつつあるのだ。
その長い時間の経過に見せた、変貌こそが東京そのものだと思ってもいいんじゃないか。
そう思うと、今この東京という、実にまとまりのない街は、パリなどより遥かに魅力を感じることができるというものだ。
江戸時代にさかのぼって、古地図を見ながらの散歩というのも結構わたしは好きだ。
東京は何も、今目に見えて、手で触れるものだけが東京じゃない。
幻となった過去の風情も、すべて東京なのだ。
東京を面白いと思えるのは、こんな視点があればこそだと思うが、どうだろうか。