何がほんとうの日本なのか~国際化、ってなに?

雑話

さて2回目となる本日は、『国際化』をキーワードに、ほんとうの日本ってなに?ということを書いてみました。

最近の若い人は、海外で働きたいと思わないそうだ。昔は、誰に聞いても海外で飛躍したいと夢を語ったものだったが。ときに、いったい何が本当の日本的なありかたで、日本人とはどういう民族なのか、ということを考えさせられる。

一方、どういうわけか年々、来日外国人観光客はうなぎのぼりだ。出稼ぎ労働者も多くなってきた。豊島区の人口の1割が外国人である。将来を担う若年層は、海外に飛び出そうという動機がどんどん減退している一方、外人は国内人口減少とあいまって、むしろなし崩し的に流入してきている。一体、国際化ってなんだろうか?

日本の歴史を振り返っても、あまりにも両極端なのだ。たとえば、信長から秀吉の時代、いわゆる戦国末期というのは、南蛮貿易が盛んであったから、東南アジアにおびただしい日本人町ができた。ある試算によれば総人口の6~7%は海外に進出していた勘定になる。一方現在は、国際化したといいながら、海外居留者は3%程度だ。

何しろ戦国末期だ。どう考えても、あれ以上国際的な時代はなかったとしか言えないだろう。出身にかかわらずやる気と能力さえあれば、なんでもできた時代だったとも言えるが、一方では物騒な時代だったとも言える。膨大な金と銀を消費して、貿易が伸び続け、すさまじい成長とインフレが日本を襲った。無限の明日が控えているように思えた時代だろう。あのまま続けば、日本で最初の産業革命が起こったのではないか、とさえ言われるほどだ。

一方、江戸時代というのは、鎖国だった。貿易は幕府が独占し、こと国内に関しては、国際性の「こ」の字もない時代だ。200年以上にわたって、飢饉を除けば物価上昇率はゼロ。インフレもデフレもない、完全なリサイクル社会が完成した。高級武士や商人など比較的豊かな食事をしていた家の糞尿すら、肥料として高値で取引されたくらいだ。貧乏人の子沢山というイメージが強いが、江戸市民は平均2%前後の出生率。つまり、現状維持が続いた。意外に子供の数が少ないのだ。

妙齢の女性は武士と大店での奉公にとられ、市中では男女比率が極端にアンバランスだった。それゆえに吉原などというものが、必要になってくる。だから家では女房に頭があたらない。ちょっと不満なら、たちまち三行(みくだり)半をつきつけられる。女性の結婚回数は、平均でも2回以上。宵越しの金は持たないとも言われたが、それもそのはず、長屋の家賃はタダ同然に安かった。

女房は家で食事をつくることなどせずとも、おびただしい屋台が市中に完備されていた。一日5回前後、小腹がすいたら外食するというのが一般的だったそうだ。成長もない代わりに、不況もない。言いようによっては、こんな気楽な時代もなかったろう。明日には何も新たな可能性はないが、今を享楽的に生きるのに何の心配もない。そこで、まれにみる江戸文化が花開いたのだ。

いったい、どちらが人間として幸せなのだろうか。いったい、どちらが本当の日本と日本人なのだろうか。今、日本は成長だ、デフレだ、TPPだと、世界の経済の流れに揉まれに揉まれており、いささか船酔い気味の私たちだが、ふと立ち止まって来し方を振り返ってみるのも良いかもしれない。前に進むばかりが世の中ではあるまい。立ち止まってみると、世の中だけが勝手に回っているだけなのかもしれないのだ。



雑話