『人間の土地(サン・テクジュペリ)』~わたしの推薦図書
人が最終的に文学というものに求めるのは、『娯楽性(面白さ)と、浅いか深いかはともかくとして、生きていくための何らかの知恵だ』、と言ったのは江藤淳だった。
産業革命以来、神無き時代に(西洋文明が、神を殺したのだ)、一体神に代わるどんな倫理規範を持って生きていったらよいのか。これが大問題だった。以来、西洋文学はこの問題を解決するために、思想の格闘を繰り返してきた。
しかも、神に成り替わった科学の全盛時代、その恩恵に浴するはずだったのだが、第一次大戦ではそれによって1000万人以上の犠牲者を出すという、未曽有の地獄を経験してしまった。西洋文学は、絶望の中で立ち尽くした。
これに対して神や霊性というものと、未だに縁を切ったわけではない日本人から見れば、西洋世界というのはどうも無駄な空回りしているようにしか見えない。ヘルマン・ヘッセはそんな西洋文学にため息をついた。
「インドが二千年をかけて解いた課題を、西洋は同じ時間をかけてただ迷走した。」『荒野の狼』ヘルマン・ヘッセ
そんな中で、サン・テグジュペリの自伝的随筆ともいうべき『人間の土地』は、珍しく説得力のある、わかりやすい「人間がどうやって一人で立つのか」を見せた秀逸な作品だ。
彼がアフリカの航空郵便飛行士として従事していたころの話である。夜間、郵便物を積んだ飛行機で北アフリカの空を航行していた。それが不時着したのだ。ところが、計器が故障していたために、いったい自分がアフリカに墜ちたのか、アラビア半島に落ちたのか分からなくなってしまったのだ。
アフリカなら、東へ向かえばよい。アラビアなら西へ向かえばよい。きっと海にたどり着く。海岸にはかならず集落がある。しかし、もし判断を間違えて逆に向かって歩き出せば、途方もない無限の砂漠地帯に入り込み、命を落とすことになる。いったい、自分はどこに墜ちたのだ。サン・テグジュペリは、その一方に賭ける。行けども行けども砂漠は続く。
夜歩き、昼は休むなど工夫をしたが、最後の一滴の水を失って、とうとう心が折れた。もう一歩も歩けない。ここで死ぬのだ。家族や友人たちが、どんなに心配していることだろう。それを思うと、胸が張り裂けそうだ。「誰か、早く自分をこの砂漠から救い出してくれ」と叫びたくなる。しかし、体はもう動かない。灼熱地獄の中で、絶望感だけが広がっていく。
ところが、ふとこの考えが間違っていると気づく。救われなければならないのは、自分ではない。家族や友人たちだ。心配して食事もろくにできなくなっている彼らを救ってやれるのは、自分しかいないじゃないか。そうだ、待っていろ。私が助けてやる・・・。サン・テグジュペリは、歩けなくなった足をなんとか動かし、よろよろと再び砂漠に踏み出した。そこに、ベドウィン(アラブの遊牧民族)の一行と遭遇する奇蹟を得て、救出される。
この逆境という極論を使って、サン・テグジュペリは考え方を逆転させたのだ。「神が死んで」以降、欧州人が悪戦苦闘して得た一つの結論が実存主義だったとすれば、この『人間の土地』はおそらく一番分かりやすい。
同じ実存主義でも、これがカミュのような作家の手にかかると、サルトルと同様、理屈のための理屈のような話になってくる。たとえば、アフリカに飢餓で死にそうな人が一人いたとする。その人は、スプーン一杯のスープがあったら、死を回避できる。ところが、そのときもし私が自宅で、たいした理由もなくスプーン一杯のスープを捨ててしまったら、私はそのアフリカ人を間接的に殺害したことになる。そういう意味ではわたしはその殺人の共犯者なのだ。私たち人間は、必ず世界の誰とでも関係性があり、つながっているのだ。無関心ではいられないのだ。・・・このような理屈である。どうだろうか。「人類愛」という単純な理念一つを納得するのに、このようなややこしいロジックがないと、「神無き時代」を生きることができないほど、彼らは厄介な思考の蟻地獄に陥っているのだろうか。
これに対して、サン・テグジュペリの『人間の土地』は、一人で困難に立ち向かう勇気や、心のたたずまいというものを素直に気づかせてくれるはずだ。その美しい言葉でちりばめられた珠玉の随筆は、実存主義という枠組みを超えて、なお私たちに静かな感動を与えてくれる。
日本人は、西洋人ほど「見えない存在」から縁遠くなってはいないからなのか、一人で立つということはどういうことなのか、孤独を感じてもなお心が折れないためにはどうしたらよいのか、『人間の土地』は自然に読める人が多いだろう。
確かに日本人にとっては、さして目新しい発見はないかもしれない。が、やはり戦後、欧米化が進んだ日本人も、どこかにわたしたち自身を置き忘れてきているかもしれない。『人間の土地』も意外に新鮮な思いで読むことができるだろう。
サンテグジュペリは、こんな名言も書いている。これを一番共感できるのは、日本人ではないだろうか、とすら思う。
「置いていかなければならない宝物を持っていることを、天に感謝したいくらいだ。」『星の王子さま(サン・テグジュペリ)』