星の導き

雑話

これは67回目。星や月の話を書きましょう。とりとめもないので、下手な詩のような話になってしまうかもしれませんが・・・

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満月が近い(といっても21日だが)。満月の夜には、極大化した木星が月のすぐそばに寄り添う。天体のランデヴーだ。江戸の儒学者・中根東里(なかねとうり)が、「出る月は待つべし。散る花を追うことなかれ」と言ったらしいが、この待つ、見送るという行為に、なんとも日本人だけが持つ、独特の情緒を感じないだろうか。

「余白の美」(酒井田柿右衛門)とも言うが、絵を描くときに余白を描けという意味である。これも、それと近い情緒を思わせる。

考えてみれば天空の星というのは、それぞれが地球から千差万別の距離にある。一見すると、平面的に星が散らばって見えるが、星座といっても、それぞれはまったく関係のない「系(グループ)」に属している。勝手にわれわれが、蠍(さそり)座、魚座といったように一くくりにしているだけのことだ。無関係な星同士にしてみれば、迷惑な話かもしれない。

大きく見える星や小さく見える星も、実はその大きさが逆かもしれないのだ。これは地球からの距離がとてつもなく異なっているため、星の輝きの大きさが実体を正しく映し出せないためだ。

「あんなちっちゃいの消えたってわかんないわよね」
「見える星は一等星から六等星まである。一等星はあのでかい星だ。六等星はほとんど見えないくらいかすかな星のことだ。だが小さく見えるけど、あれは遠くにあるからだよ。実際は一等星よりもっと何十倍も大きな星かもしれないんだ。世の中には六等星みたいな人がいくらでもいる。」 (手塚治虫 『ブラックジャック』から)

地球と双子の星とよばれる惑星は「金星」だ。地球に最も近づく惑星でもあり、その大きさ(直径が地球の95%)や質量(地球の80%)が地球に近いためだ。金星の姿は、肉眼でも明け方と夕方に確認することができる。日本では「明けの明星」、「宵の明星」として古くから親しまれてきた。

金星が明け方や夕方しか見ることができないのには理由がある。金星が地球よりも内側にある内惑星であるためだ。金星は人類が最も早く探査機を送り込んだ惑星であり、またこれまでに最も多くの探査機を送り込まれた惑星でもある。かつてはその位置や大きさから、地球と似た環境が広がっているのではないかと考えられていた。しかし、探査が進むに連れて、そのイメージは一変。

気温は400℃を越え、大気はおもに二酸化炭素で構成され、硫酸の雲も存在している。大気中から検出できる水はわずかで、海はなく、灼熱地獄が広がる。また、大気層では「スーパーローテーション」と呼ばれる秒速100メートルの風が吹き荒れる。なぜなのかは、いまだに謎だ。

もう一つ、われわれ地球人にとって、方位を知るときの基準となる北極星も、これまた古来から身近な存在だった。ところが、この北極星、地球自転軸(地軸)の延長線上で夜空の中心として輝く星のことを言う。「北極星」という、一つの決まった星があるわけではないのだ。具体的に言えば、北極星といっても、今と昔ではまったく別の星なのだ。

北極星が動かないのは地軸の延長線上にあるためだが、その地軸が非常に長い周期でズレを起こす。だからそのズレた地軸延長線上にある星が「北極星」になる。ちなみに現在、北極星と呼ばれているのは『仔熊座アルファ星』である。しかし、約5千年前(古代エジプトの頃)では『龍座ツバン星』だった。逆に、今から1万2千年後には『琴座ベガ星』が北極星となる見込み。そう、あの「織姫星」が北極星になるのだ。

養老孟司氏は、自著『バカの壁』の中で、人工的なものに囲まれた生活を送っている私たちは、一日に一度は「非人工的なもの」を見るようにしよう、と書いていたと思う。歩いていても下ばかり見がちな私たちだが、仕事先からの帰途、ふと見上げればそこに月や星がある。これらは一番、私たちにとって身近でありながら、距離の遠い非人工物だろう。

子供というのは、星を手に取ってみたいと思うらしい。それが、手に入れられないものだと分かったときから、大人への一歩を踏み出していくのだそうだ。しかし、大人になっても、いくつになっても、このかなわない望みを星に託して、人間は夢に近づこうとする。

誰でも一度は聴いたことがある、ディズニーの名曲に『When You Wish Upon a Star(星に願いを)』というのがある。

星に願いを懸けるとき
誰でも心を込めて望むなら
きっと願いは叶うでしょう

心の底から夢みているのなら
夢追人がするように 星に願いを懸けるなら
叶わぬ願いなどないのです

星に願いを懸けるなら
運命は思いがけなくやって来て
いつも必ず夢を叶えてくれるでしょう

星の導きというのは、古来、日本人がとても大切にしてきたものだが、それ自体は世界中で見られていた。真言密教(高野山)は、大日如来(だいにちにょらい)が本尊だけに、“太陽の宗教”と言われる。一方、天台密教(比叡山)は、天体の秘儀を重視するため、“星の宗教”とも言われる。

もともと、“天狗”も流星を指して、「あれは天狐(てんこ)なり」と呼んだことから派生していった言葉だ。眷属(けんぞく=従者)が狐の稲荷も、北斗七星と深いかかわりがある。稲荷の本地仏(正体といってもいい)は、ダキニ天だが、これは北斗七星そのものといってもよい。正式には、ダキニ天は「北辰狐王菩薩」と呼ばれるが、北辰とは北斗の意味である。

稲荷は、天皇から「正一位」の位階を授けられている唯一の神だけに、ダキニ天のような「魔」では格が不釣合いだ。だから、二階級特進で「菩薩」に格上げして、そのように称したのだろう(八幡大神に官位はないが、「大菩薩」を与えられている)。

もっといえば、八幡大神も古い神画には、頭上に北斗七星が描かれているものが残っている。実は北斗七星は、北極星と七つ星がセットになっていて、併せて八星だという見方がある。もうひとつ、七つ星にはなかなか見えにくいのだが、小さな補星(見えた者は一年以内に死ぬという中国での言い伝えから、「死兆星」とも呼ばれる)もあわせると、八つ星という見方がある。しかも、八幡は妙見(北斗七星の化現神、神託霊符神)と同体である、とされたから、おそらく間違いなかろう。

どうやら、日本の総神社数の70%を占めている稲荷と八幡という二つの神は、元をただすとこの北斗七星に辿りつく。結局、天体の妙に見せられた古代人の思いというものが、伝わってくると言えようか。

密教系の仏典によると、宇宙の真理は星の巡りによって支配されており、つきつめれば、北斗七星になる。そして、その天体の秘儀のすべてを知っているのは、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)となっている。ちなみに、稲荷の本体とも言われるダキニ天は、正しくは文殊菩薩の教令輪神(きょうりょうりんじん=変化)である。だから平安期には、呪術というと、もっぱらこの文殊菩薩が用いられた事実がある。

明治が始まるまで、天皇家では、即位するときにご本人が大日如来の印を結び、ダキニ天の真言(マントラ)を唱えるという、「即位灌頂(そくいかんじょう)」が千年に渡って続けられていた。この事実からしても、日本人の星にかける思いの深さというものがよく分かる。

太陽と違って、月の光は反射であるから、言わば「一度死んだ光」だ。冥界をイメージさせるだけに、月と地球との因果関係は、さまざまな連想を生んできたのだろう。

東京では、中秋の名月にそなえてお団子とススキを用意するなどという習慣は、ほとんど見られなくなってきた。まだ私が子供の頃は、親に言われて、野原に腐るほどあるススキを刈りに行かされたものである。だが、そもそもそうしたものをお供えする「縁側」などという場所が、今はない。

月も星も、さぞ寂しがっていることだろうと勝手に思っては、やっつけ仕事のように、団子を神棚・仏壇にお供えしている。

下手な俳句をつくってみたことがある。心寂しい2010年の冬だった。

軒間にも 星降り月満つ 歳の暮れ

おそまつ。



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