マルクスの亡霊~中国はどこへ行く。

雑話

これは70回目。イデオロギー全盛の時代はとうに終わってしまいましたが、まだしがみついている大きな国が、すぐ近くにあるようです。

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イデオロギー(熱狂的な思想)が死んで久しい。日本では70年代の実存主義の流行以来、イデオロギーが日本の文化を席巻したことはない。世界的にも、イデオロギーは時代のダイナミズムの原動力になる機会が、ほとんどなくなった。

イデオロギーの時代にとどめを刺した最後の一太刀と言えるのが、米国の政治学者、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』という一冊だったろう。民主主義と資本主義が最終的な勝利を収め、社会制度の発展が終わり、人類発展としての歴史が終わるという仮説を提示した。ちょうど、同書がベストセラーになった1992年の前年、つまり91年のクリスマスの夜に、ソビエト連邦が消滅した。

もともと、19世紀後半から20世紀前半まで、熱病のようなイデオロギー全盛の百年に導いたのは、三人の男だったといっていい。哲学ではニーチェが、まずそれまでのキリスト教的世界観を葬り去った。「神は死んだ」と決め付け、人間主体の価値判断に正当性を与えた。フロイトは心理学で、意識下の、無意識な意識を暴露し、人間の情動の根本にあるものは欲望である、と言い切った。さらにマルクスが経済学で、「だから権力を奪え」と怒号した。近代は、この三人の欲望へのあくなき追求という掛け声とともにスタートを切ったといってもいい。

さて、ここではマルクスに絞って話をすすめよう。古くは1871年のパリ・コミューンで3万人の犠牲を出した「血の一週間」で、史上初の共産主義政権もあえなく失敗。ペールラシェーズ墓地での最後の抵抗も、147人の一斉銃殺によって終焉した。

その後、各国で共産主義革命運動は、勃興しては頓挫を繰り返し、結局1921年のロシア革命を経て、翌22年についにマルクス主義を標榜する政権としてソビエト連邦が成立した。しかし、その命運はわずか70年という、想像以上に短い歴史の幕を閉じた。19世紀から20世紀にかけて、麻疹(はしか)のように世界に蔓延した共産主義という最後の、熱狂的なイデオロギーの嵐も、あえなく潰えた。

(下はマルクス)

学生時代、読んだというにははなはだおこがましいが、字面をとりあえず追ったという意味では、『資本論』を読んだことがある。思想的にはわたしはそれとは逆の立場にいたため、「敵を知る」ために読んだのだが、正直なんのことやら結局分からずじまい。

ただ、注目点は読む前からはっきりしていた。いったいマルクスが具体的にどのような社会・経済体制を想定していたのか、という一点を知りたいために読んだといってもいい。

ところが、頁をめくれどめくれど、一向にその「青写真」というものが出てこない。それもそのはず、副題にそのヒントがあった。つまり、「経済学批判」であり、共産主義社会が具体的にどういうものか、ほとんど解説していないのだ。共産党という各国の存在が、よくもまあこのモデルなき経済学批判だけを頼りに政策綱領をつくっているものだ、と半ばあきれ、なかば感心した次第。

いや、実はわずかにある。あの膨大な書物の中に、私が気づいた限りでは、たったの一箇所、それも文庫本でわずか数頁くらいだったと思うが、わずかにいつか来るその世界らしいことを書いている。それは、記憶を頼りにしてみると、あまりにもマルクスらしからぬ、夢想的で、幼稚なほど楽観的な都市コミューンの世界だ。

国家というものは消滅しており、人々が自由に需要と供給のバランスを取っている。あたかも、アテネやスパルタの時代に回帰したような世界観なのだ。古代ギリシャのように、街中の誰もが顔を見知っているような範囲であれば、それも可能だろう。しかし、領域国家では、物流一つとってもほぼこの予定調和は非現実的である。

しかし、マルクスはまじめにそれを夢見ていたようである。そもそも、マルクスが主張していたのは、高度に資本主義が成熟した国家にこそ、共産主義革命が起こるということだった。モノを奪い合う戦争や搾取が起こる理由は、結局モノに希少性があるからだ。したがって、希少性がなくなってしまえば、奪い合う動機そのものも消滅する。これを支配し、占有し、搾取する国家権力や資本家も存在理由がなくなる。

では、どうしたらモノの希少性がなくなるのか。それは資本主義による工業化が極度に発展し、モノを大量生産できれば良いのだ、という結論になる。その結果、モノの希少性を管理する国家の役割もなくなる。といっても、既得権者はなかなか権力を手放さないだろうから、一時的に暴力による革命と独裁政権が必要であり、その過渡期を経て、最終的には国家は消滅するのだ。

乱暴なまとめかたをすれば、おおむねこういうイデオロギーだといっていい。だから、マルクスは、英国にこそ共産革命が起こると死ぬまで信じていた。ましてや、前近代的な社会体制であったロシアや中国に起こるなどとは、夢想だにしなかった。生きていたら、さぞかし腰を抜かしたことだろう。

逆に言えば、マルクスが理想とした地域コミューンの独立性、自浄作用が効いた社会に一番近いところは、アメリカくらいのものだったのではないか。ある意味、マルクスの予言は当たっているとも言える。インターネットの普及が、さらにそれを加速させている。時代の最先端を行っているのは、高度に資本主義が発達し、世界で最も地方分権が確立していて、共産主義を毛嫌いするアメリカであるという皮肉な現実。マルクスは、二度びっくりである。

マルクス主義に、当時から猛烈に反発したのが、同じ革命派でも、アナーキスト(無政府主義者)と呼ばれる人たちだった。赤旗に対して、黒旗の集団だ。マルクスの共産主義と、「インターナショナル」で取っ組み合いの衝突をしたのは、アナーキストの頭目、バクーニンだった。

(下はバクーニン)

ただ、アナーキストは、その思想の性格からセクト(分派)を嫌う。管理され、組織化されることを嫌う。そのため、運動を敵の打倒一点に絞り込むことができない。エネルギーが無意味に、拡散的に暴発してしまうのだ。

「インターナショナル」でも、このバクーニンらのアナーキストは、自分たちの間でまとまりがつかずに共産主義者に敗れ、主導権を奪われた。ロシア革命という壮大な実験でも、革命運動の圧倒的多数派は本当はアナーキストであり、共産主義者たちは極端な言い方をすれば、アナーキストに偽装していたと言っても過言ではない。実はロシア革命というのは、共産主義革命の様相はまったくといっていいほどなかった。それが、アナーキストに紛れ込んだレーニンのボリシェビキ(少数派)によって、いわばクーデターによって権力を横取りされたというのが、実態だ。

クロンシュタットの軍港で、ウクライナの沃野(よくや)で、ロシア全土で兵士や農民を主体としたアナーキストたち(ロシア革命の本当の立役者たち)は、クーデターで実権を握ったボリシェビキによって徹底的に粛清された。犠牲者は1000万人を超えたといわれるが、実数はそれをおそらくはるかに上回る。これだけの犠牲を経た上で、共産革命政府はいったい何をモデルに国を再建しようとしたのだろうか。マルクスはその青写真を、先述通り何も提示してはいない。だから、ソ連政府は悲劇的な迷走をした。

同じことは中国でも起こった。いずれも、マルクスが何も教えてくれないから、自前で考えざるを得なかったのだ。結局のところ、共産革命は民族主義の高揚を背景にした独裁権力の成立と、GHQが日本で行なった農地解放の域を出ず、どこもオリジナリティを発揮できずに終わった。オリジナリティを無理に出そうとしたら、未曾有の大混乱と内乱を生んだ。それが、文化大革命であり、カンボジアのポルポト政権による原始共産制への回帰という狂気だった。

「インターナショナル」で破れたアナーキズムは、共産主義以上に現実性のないイデオロギーだが、それでも共産主義が持っている最大の欠陥をスッパ抜く点については、慧眼(けいがん)を持っていた。バクーニンは、マルクスを罵倒したとき、こんな言葉を投げつけている。

「おまえたちは、昨日まで労働者だと言っていた人間が、いったん独裁権力を握った瞬間から豹変することが分からないのか。労働者以上に、労働者の幸福を知っていると自称する小数の労働貴族と、ただ支配される無知な畜群という、帝政以上にタチの悪い国家ができあがることが、どうして予想できないのだ。その後の国家の消滅など、夢のまた夢だ」。

バクーニンの予言は、ほぼ的中したといっていい。「持てる者と持たざるもの」の壁が、「知っていると称する者と知らされざる者」との壁になりかわってしまう現実だ。

今、このバクーニンの罵倒を、痛いほど身にしみているのは、おそらく中国共産党指導部であろう。偉大な革命が覆い隠してきたツケの部分が、回ってきたのである。尖閣諸島問題など、2012年6月まで、ほとんどの中国人は、実は「知らな」かった。

あの日本車の焼き討ちにしても、日本人女性ジャーナリストが、若い暴徒たちに捨て身のインタビューをした映像を見たことがあるが、暴徒たちは口々に「日本車の襲撃は痛快だ」と叫んでいた。

しかし、その次の言葉が衝撃的である。「これがパトカーだったら、もっと痛快だ」。ここに本音がある。

愛国無罪という悪法によって、中国政府は国内の不満をなんとかそらしてきた。官製デモだと言われるゆえんだ。政府は仮想敵国をつくってガス抜きをし、その間に、共産主義の矛盾を修正しようと必死の努力をしている。どこまで国民は、それを待てるだろうか。それもインターネットとスマートフォンの普及で、ジワジワと足元が地すべりを起こしている。

しかし矛盾はもはや覆いつくすことができなくなっている。中国政府はGDP成長率を6%台であると毎回発表しているが、誰も信じていない。10年国債利回りが1-3%を行ったり来たりしている国が、成長率で6%台を維持できているはずがないからだ。理屈に合わない。

習近平独裁政権に異を唱えた人民大学の向教授は、国家統計局との共有データを使って正確なGDP値を試算してみたところ1.7%であると講演し、その動画が世界に拡散した。中国国内では即座にこの講演動画はすべて削除された。教授は動画の中で、場合によってはマイナス成長に落ち込んでいる可能性もあると指摘している。

公式には中国の失業率はずっと5%ということになっている。しかし、ある民間の試算では、18歳から25歳の年代に限った失業率は、実質的に15%に上るという結果も出ている。失業というものが、「存在しないはずの」共産主義国家においてである。日本の3%前後、アメリカが4%台とくらべても異常に高い。

ロシアはすでに共産主義を放棄し(ソ連は70年しか持たなかった)、その因縁の70年に今年さしかかる中国はその岐路に立たされている。この二大国は、かつての共産革命以上の「産みの苦しみ」を味わっている。われわれを含めて、諸外国が好意をもって支援できることは限られている。自ら海図なき航海に踏み出した前途は、途方もない痛みを伴うことだろう。

いつまでも高度成長国家であるということを示したいのであろうが、土台無理な話なのだ。おそらく、中国は『ルイスの転換点』を超えている。『ルイスの転換点』とは、農村部の余剰労働人口が、工業化をすすめる都市部へと移動することで工業化が一段と促進するのだが、それが終わるときというのは、農村部の余剰労働人口が枯渇するときである。それが、高度成長の終焉であり、『ルイスの転換点』と呼ばれるタイミングだ。

日本は60年代に『ルイスの転換点』を超えた。70年代に入ると低成長時代に入り、ちょうとドル円の固定相場が崩れた。強烈な円高の逆風に見舞われた。たまたまアメリカがベトナム戦争で停滞していたから、火事場泥棒のように成長をなんとか維持できたが(80年代にはバブルという錯覚にも陥った)、この間に構造改革を怠ったことで、90年以降、バブルの崩壊とともにとんでもないデフレ経済に落ち込んでしまった。

今、中国はその『ルイスの転換点』を超えたのだとしたら(これを『中進国の罠』とも呼ぶ)ここで構造改革をしなければ、経済原論的には長期的なスタグフレーションに見舞われることになるはずだ。

その構造改革とは、共産主義独裁体制にメスを入れることになるが、それが今の中国にできるであろうか。むしろ習近平政権は逆行しているようだ。習近平国家主席の終身化にそれははっきり表れている。アメリカが、昨年2018年10月4日に、事実上の、対中国宣戦布告をしたのも、このためだ。様子をみていたが、これではもう話にならんということであろう。

先日(2019年2月16日)に101歳で亡くなった李鋭という大長老がいた。抗日戦、国共内戦を戦い、毛沢東の秘書も務めた人物だ。文化大革命では毛沢東を痛烈に批判し、8年間も投獄された硬骨漢である。

李鋭は生前、習近平主席のことを露骨に酷評している。「文化水準がここまで低いとは思わなかった。まるで小学生並みだ。」・・・

習近平体制による中国の国家像というものは、実はナチス(ドイツ国家社会主義労働者党)がやったことと酷似している。中国は「国家資本主義」だと言っているが、国家社会主義(ナチス)も国家資本主義も、言葉の擬制にすぎない。

かつて1929年の大恐慌で世界中が不況の嵐に見舞われた。いち早く経済が立ち直り、その余勢を駆って対外侵略に打って出るに至ったのはドイツであった。アメリカではないのだ。当時の英国政府はいかにドイツが行っている政策が間違っているか、時の大経済学者ジョン・メイナード・ケインズに批判論文を依頼した。ところが、ケインズが調べて発表した論文は、ナチスの経済政策に対する絶賛であった。

ナチスが行ったのは、既存の労働組合の廃止。労使一体の新たな組合をつくり、そこに目付としてナチス党員を組み込む。資本家が不当に利益を独占するのを阻止し、労働者への利益分配を優先させたのである。大店舗の建設は、零細小売業者を窮地に追いやらないように、人口規模別区域に何店舗までといったような規制も施した。成長性の高い部門に、集中的に財政投資を行った。典型的なのはモータリゼーションが始まっていたために全土に張り巡らしたアウトバーン(高速道路)である。

ことほと左様に、ナチスが行った経済政策というものは、国民の消費力を引き上げ、成長産業に効率的に資金を投入するというもので、これを一党独裁によって「国民の利益を、国民よりも知っていると自称するナチス」があらゆる阻害要素を粛正・排除しながら行ったのである。いま、中国は彼らが好むと好まざるとにかかわらず、ナチスと同じ道を歩んでいる。独裁とは、着ぐるみこそ見かけは違うが、本質はまったく同じだということだ。

独裁国家と民主国家とどちらが効率的かと言えば、独裁国家に決まっている。ただ、それが間違ったときに、修正可能な自浄メカニズムは、民主国家にはあるが、独裁国家にはない。

ヘッジファンドの大立者、ジョージ・ソロスは、先日のダボス会議で、口をきわめて中国を危険な国家であると罵倒した。自浄作用を超えた膨大な質量をもった中国という、それも独裁国家に、ITとAIが直結したとき、なにが起こるかと、ソロスは警鐘を鳴らしたわけだ。

イデオロギーを放棄したロシアより、時代錯誤のマルクシズムというイデオロギーに、タテマエ上まだしがみついている中国は、もっと事態の矛盾が深化しているといっていい。その痛みの拡散をもくろんで、内紛を外に向けさせる愚は冒してほしくないと、祈るばかりだ。しかしその兆候は、「一帯一路」にしろ、南沙諸島海域における実効支配にしろ、すでに始まっているとしか言いようがない。

たしかに、人類が経験したことのないほど膨大な質量を抱えた大国をコントロールしていくのは大変な難事業だろう。誰が指導者になったところで、そう簡単にうまくはいかないことくらいわかる。その意味では、指導者たちに同情を禁じ得ない。

かつて毛沢東が「中国は一枚の皿の上にまいた砂のようなものだ(一盤散砂、Yi pan san sha)」といった。砂は人民である。皿は中国共産党だ。皿に入れなければ、砂は風が吹いたら、とんでもないところ散っていってしまう。それが中国という国家の本質だと。まとめておくには、どうしても皿が必要なのだ、ということなのだろう。

折しも今年は、中華人民共和国の建国70周年に当たる。ソ連が崩壊した因縁の建国70周年である。われわれはソ連と違う、と習近平主席はアピールしたいことだろう。しかし、どうもこの記念すべきときに、中国は敵に回していいことは何もない、恐ろしい国アメリカを敵に回してしまったようだ。

先述通り、皮肉なことにアメリカこそが、マルクスが夢見た「革命」に一番近い国(最も資本主義と分権化が尖鋭に発達した国)であり、そのアメリカを敵に回す中国は最もナチスに近いことをしている。チベットやウイグル自治区における「民族浄化」まで、ナチスが行ったことと何ら変わらない。中国は果たして自分の国家のグランドデザイン、それも世界が納得できるものを、明快に見せることができるだろうか?

もはやその海図無き航海に踏み出した中国は、いったいどこへ行くのだろう。おそらくその答えはもう出ている。



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