寄る年波には・・・

雑話

これは472回目。

連休中、なかなか遠出ができる仕事ではないので、近場の山に登ってきた。
丹沢しかないのだ。

それも、金はないし、時間に制限があるので、テント担いで前乗り。

小田急、渋沢駅からバスで大倉へ。
1時間くらい歩くと、大倉高原山の家という、キャンプ場跡地がある。
丹沢は、基本幕営禁止区域だが、ここだけ唯一、山小屋が閉鎖された後も幕営が黙認されている。

8張くらいテントが設営されていた。
夕方わたしも幕営し、仮眠。そして、夜中に歩き出した次第。

この大倉から塔ノ岳。
1491メートルと、低山だが、これがなかなかどうして。
丹沢というのは、大して高くないくせに、やたらつらい登山を強いられる。
アップダウンが多すぎるのと、急坂が多いのだ。

登りもきついが、下りも膝が完全に笑う。
鎖場も結構ある。

できるだけ重量を落としたが、ザック総重量は10kgを切らせることができなかった。
だから、この年では結構しんどい。
おまけに、大倉尾根というのは、塔ノ岳まで、いわゆる「バカ尾根」と呼ばれてきただけあって、登り標高差約1200メートルの間、ほとんど段々坂である。
平坦部がほとんど無い。
息が上がるというのは、このことだ。

登攀距離は7キロ。
完全に夜間登攀だった。

途中(山頂でもそうだが)、お祀りしてある仏や神さまに、エセ修験の作法としては般若心経を念誦してから通る。
わたしにとっては山は娯楽ではないのだ。
ほとんど苦行だ。
寄る年波にはとても勝てないのだ。

丹沢にも一応熊はいる。
当局の調べでは、かなり少なくなっており、40頭くらいじゃないかという。
が、近年山麓での目撃情報、遭遇情報というのはその割には多くなってきている。

だいたい活発に動くのは夕方と明け方という。
それもあって、できるだけ明け方前には、樹林帯を突破しておきたかったのだ。
それで、夜間にテントを撤収した次第。

まさかとは思ったが、真っ暗闇(ヘッドランプ一つで登攀)で、両サイドの樹林帯からときおり、とんでもなく大きな物音がする。

おそらく鹿の類いだと思うが、かなりの重量のあるものが突然草木を揺らすので、びくつく。お化けより、正直ギョッとしたものだ。

一応、いつも熊撃退スプレーを携帯しているが、小さいやつでは駄目なのだ。2-3メートルの距離でないと効かないし、その間合いではもはや危機的状況で、遅い。しかも、噴射時間がほとんど短すぎる。

なので、わたしが携帯しているのは、大容量のスプレーで10メートルの噴射距離のものだ。

これでなんとかするしかない。それでも駄目で、間合いを詰められてしまった場合、もはや接近戦なら戦うしかないわけだが、オピネルのナイフでは刃渡り10センチほどなので、威力がない。

実際に熊と戦った人の話を聞いたことがあるが(もちろんツキノワグマである。ヒグマなど、なにをしても無駄だ。)、刃渡り20センチのサバイバルナイフで応戦したら、切っても切っても切れないのだそうだ。

なにしろ体毛が密集した分厚い皮を切れないのだそうだ。

その人は、結局九死に一生を得たが、そのポイントは結局「突き」だったようだ。かつて、マタギもみな、対熊接近戦に備えて、手製の槍を携帯して山に入っていたから、間違いなく、「突き」なのだろう。

熊は多くは左利きだと言われているが、これもなんともいえず、個体差がある。

だから、その熊が最初に振りかぶってくる前足がどちらかで、利き足がわかる。それが仮に左前足だったとしたら、こちらはその一撃を避けながら、逆に熊を反時計回りに走り、熊の左後方から顎下、脇腹など、骨の無いところを、下から思い切り突き上げるのだそうだ。

それでもなにしろ筋肉と脂肪の塊であるから、よほど馴れていないと、うまく刺さらなかったという。

どうも1年置きに熊の出没頻度が多くなったり少なくなったりしているようだが、昨年は多い年回りだった。今年は多少は少ないかもしれない。

いずれにしろ、3ー5メートルの至近距離で遭遇した場合、向こうが間合いを詰めてきたらもはや接近戦で戦う以外に、もはや窮地を脱するチャンスはない。

ちなみに、以前一度、20センチの刃渡りのナイフの実物を持って警察に行き、聴いてみたことがある。これは銃刀法違反になるのか。

すると、登山で熊やイノシシなどの襲撃に対抗するためという明確な目的であれば、問題無いという判断だった。

しかし、対人で護身用にこうしたものを携帯することはもちろん、家で所持することも違法だという。

ということで、今回も、大型の調理ナイフを持参した次第。幸いなことに、使う機会はなく安堵。

さて、「バカ尾根」を登攀中、ときに動物の物音にビクつきながら、何度目かに、タッタッタッタッと走り寄ってくる足音が聞こえ、戦慄した瞬間がある。

が、すぐに熊ではないと思った。音からして熊の重量ではないのだ。なんと驚くべきことに、ひいひい言いながら上っていくわたしを、トレイルランニングとでも言うのだろうか、ペットボトル一つを持った人が、それこそ短パンでものすごい勢いで走ってきて、あっという間に抜いていった。
一体、あれはなんだ?

塔ノ岳に着くまでに、2人に抜かれたのだ。

日の出前に塔ノ岳山頂にたどり着いたが、まあ強風で寒いのなんのといったらない。
しかし、それは見事な絶景ではあった。

富士山を後ろに、駿河湾まで見える。
伊豆半島は、大室山まで遠望できる。
小田原から湘南海岸がきれいに延びて、江ノ島がくっきり浮かび上がる。
その先には、富津、そして房総南端まで完全に望むことができる。
目を左に転じていけば、横須賀から横浜の高層ビル群、川崎、そして東京まで一望である。
すべてが、真っ赤に朝焼けに映えていた。

なかなか連泊で2000ー3000メートル級の山にいくチャンスがないので、このていどで我慢するしかないのだが、(なにしろ、日本が連休であっても、海外の市場が動いているから、そうそう仕事がら休めないのだ)それでも難行苦行のおまけとしては、ありがたい風情を拝ませてもらえた。

さて、帰路が問題だった。
塔ノ岳から今度は新大日、三ノ塔、二ノ塔を経て、ヤビツ峠まで降りてそこでバスに乗り込み、秦野に向かうのだが、この下りがやはり7キロはある。

また計算を間違ったのだ。
合計14キロではないか。東京を起点にして、東は市川、西なら荻窪、南なら二子玉川までが、ほぼ14キロだ。

わたしの経験では、幕営で連泊の場合一日の歩行距離は7ー8キロがいいところだ。
日帰りであれば、かなり装備を落とせるのだが、それでも10キロが一番心地よいのだ。

それが、テントを担いで14キロだ。さすがに無謀。これは無いだろう。ピストンなら、ベースキャンプにテントやシュラフなどを置きっぱなしにして、最小限のアタックザックだけで身軽に登攀すればいいが、今回はワンウェイだ。全部担いで歩き通さなければならない。
しかも、癖の悪い丹沢のガレ場続きのアップダウンの繰り返しだ。

二ノ塔あたりでは、もはや地を這うような歩みとなってしまった。

やはり無理はいけない。
日頃、一日中パソコン相手にじっとしている生活。
年に数回あるかないかの登山で、14キロはいただけない。

これからはもっと「なんちゃって登山」に切り替えようと思い知った次第。



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