そのとき、あなたなら・・・
これは481回目。
人間散り際が大事だという。
かつて、吉田茂が首相になるとき、終戦内閣時の鈴木貫太郎元首相に心得を訪ねたとき、「吉田君、負けっぷりが良いことだよ」と言ったと伝えられているが、言葉を換えれば、潔さということかもしれない。
武士の時代、とりわけ、この徳義は、忠誠心(あるいは誠実さ)、勤勉さ、地道さ、平常心といったものと並んで、非常に尊ばれたようだ。
今日は、卑近な話を書く。
たまたま、うちの倅が所属している少年野球チーム(中学野球)で、先日ハプニングがあった。
一人の選手(ここではAとしておこう)が前日の試合からバットを無くしてしまったのだ。
持ち物すべてに名前を書くことは、常日頃から励行されていたが、彼の一本のバットにはそれが無かったようだ。
翌日、チーム監督は、練習の前に全員の持ち物をチェックさせた。
重要な道具に、名前を書いていない選手が、十数名いた。
監督は、その十数名、全員をただちに帰宅させ、練習に参加させなかった。
くだんのハプニングの少年は、そのまま練習に参加した。
ほかの選手からは、「おまえのせいで、十数名、今日帰らされたんだぞ」と責められたらしい。
たまたま、うちの倅はすべての道具に名前を書いていたので、練習に参加したようだ。
さて、ここで問題である。
一体、このとき、少年Aはどうしたら良かったろうか?
どうすれば、良かったのか?
あるいはどうすべきだったのだろうか?
あなたなら、どうする?
1 少年Aのように、みんなに迷惑かけてしまったなと苦渋の思いのまま、その日練習に参加する。
2 監督に、「元はといえば、自分の責任です。みんなが今日練習に参加できないのであれば、わたしも帰ります。」といって帰宅する。
3 監督に、「元はといえば、自分の責任です。自分が帰ります。みんなは赦してやってください。」と頼む。
さあ、どうだろうか?
正解はない。
わたしは3を選択すべきだと思う。
しかし、それを15歳前後の少年にできるだろうか、とも思う。
いや、わたし自身がそう思ったとして、その場面でとっさにその言葉が出るだろうか?
大人と言われる多くの人が、果たして3は愚か、2の選択すらできるか疑問である。
いいのだ。
1の選択でも構わないのである。1の選択をした少年Aを責める気など毛頭ない。聞けば、こっそり道具に名前を書いて帰宅を免れた少年もいたらしい。十数名の帰宅させられた選手たちの背中を見ながら、その少年がどう思うか、本人の問題だ。わたしがとやかく言うつもりもない。
ただ、こういうことを経験しながら、人は徳というものを少しずつ積み上げていくチャンスにするのだ。
だから、窮地に立ったときこそ、実は徳を積む最高の機会だということなのだ。
野球では、昔からよく言い習わされているではないか。
ピンチは、チャンスだと。