エロイム・エッサイム・・・

怪談, 雑話

これは377回目。水木しげる作「悪魔くん」の中で唱えられた、悪魔メフィストを呼び出す呪文です。これは、悪魔の名前なのだそうです。

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エロイム エッサイム 我は求め訴えたり

Eloim, Essaim,frugativi et appellavi.

ヨーロッパの伝承、悪魔書(グリモワール)の一冊、『The Black Pullet(黒い雌鳥、黒い若鶏)』にでてくる呪文だという。

古くは、日本では澁澤龍彦の『黒魔術の手帖』」では「エロヒムよ、エサイムよ、わが呼び声を聞け」と載っている。

エロイム、エロヒムはヘブライ語由来の神(Elエル)とされるようだ。「エロイム、エッサイム」で「神よ、悪魔よ」と訳しているものが多い。しかも、この名前、さらに後にいくつも続くそうだ。

その意味では、おどろおどろしい「悪魔くん(実写版)」の中で、主人公の少年が唱える呪文は、最初の2つだけを唱えていることになる、略式版ということだ。

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エロイムエッサイム、エロイムエッサイム。くちはてし大気の聖霊よ。万人の父の名のもとに行う。我がもとめに答えよ。エロイムエッサイム。」
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ものの本によれば、このエロイム・エッサイムは、連続して3度唱えるべきらしい。

原典は、どうもプトレマイオスの図書館(アレクサンドリアの大図書館?)の火災を免れた古代の書物の内容だというが、偽書的であろう。民間伝承のまじないか、創作でない伝承の類かどうかだか、不明である。

悪魔は、仏教の悪魔を表すサンスクリット語のマーラ (Māra) は阿含経『相応部』の「悪魔相応」(マーラ・サンユッタ)に書かれているそうだ。この語が魔羅、悪魔などと漢訳されるという。

仏教では仏道を邪魔する悪神を意味し、仏教語としての悪魔はサンスクリット語マーラの音訳「魔羅」「魔」と同義。

「魔」という漢字は、死者を指し超自然的なものを含意する意符「鬼」と、マーラの音を表す音符「麻」とを組み合わせたものだというから、面白い。造語だったのだ。

悪魔を召喚する秘術には数え切れないほどの種類があるようだ。万霊節の夜、三叉路で最初に落ちる露を使うなど、召喚に至るまでの段取りというのも、これまた無数にあるらしい。

果たして、「魔」を呼び出して、一体なにをしたいのであろうか? 素直に神や仏ではいけないのだろうか?

たぶん、いけないのだろう。当人にとってはそれは非常に「まずい」ことなに違いない。だから「魔」を召喚するのである。

日本と西洋では、この「魔」≒「悪魔」は似ているようで、違うのかもしれないが、おそらく根っこは一緒だろう。

日本でこの邪悪な意味での「魔」というと、やはり貴船神社のような、『丑の刻参り』が一例だろうか。貴船神社は迷惑しているだろうが、こうした「呪い」には御神木が必要だときているから、話が厄介だ。

丑の刻参りを他人に見られると、参っていた人物に呪いが跳ね返って来ると言われ、目撃者も殺してしまわないとならないと伝えられる。さらに厄介な話だ。

そもそも不思議に思うのは、まっとうな神の宿る御神木に、どうして「呪い」を掛けることができるのだろうか?

考えていくと、どうも矛盾を感じてしまう。もっとも、神社というのは、昼と夜では、いらっしゃる方々がどうも違うらしいのだ。

だから、寺と違い、神社には日中、できれば午前中が一番よろしいらしい。黄昏どき以降、夜の神社には、「別の方々」が降りてこられているからだという。

仏罰というのは、言葉してはあるが、実は無い。言葉の「あや」であり、仏はバチを当てることなどない。怖いのは、神様である。神罰だ。これを通常「バチが当たる」という。

そのバチの当て方は、じわじわと周囲の人間を殺して、最後に当人を取り残し、いたぶるように殺す。

もう一つは、即座に頓死させる。

どちらもあるようだ。一度、神罰が下り始めると、もはや誰にも止められないらしい。

以前、恐ろしい話を聴いたことがある。

その霊能者(現代の陰陽師だそうだ)が、仕事上用いる電話番号に、切羽詰まった男性からかかってきたのだそうだ。

家で通常用いている電話番号ではなく、なぜその番号をその男性が知っていたのか不思議だというが、いずれにしろ、あまりにも男性が取り乱しているので赴いたという。

会うなり、ひと目で「もう手遅れだ。」と思ったそうだ。いわゆる死相が出ていたというのだ。

聞けば、一ヶ月のうちに、妻、子供、兄弟、親、軒並み片っ端から心臓麻痺や交通事故、いきなり末期癌が見つかるなど、ばたばたと死んでいったという。残っているのは、一族で自分一人だと。

「助けてください」

そういうわけだが、心当たりはというと、その男性、かなり酒癖が悪いらしい。

ある日、週末起きてみると、表が騒がしい。村中の人が集まって、騒いでいる。近くに稲荷神社があるのだが、その赤い鳥居が元から切られて、倒壊していたのだ。

村中の人たちは、「誰だこんなバチ当たりなことをしたやつは?」と大騒ぎだ。

男性は、もともと神仏をまったく信じていない。それだけならまったく問題ないのだが、侮蔑しているらしく、日頃から、夜酒を飲んで帰ってくると、よく鳥居に小便をかけては、悪態をついていたそうだ。

本人、「もしや」と思い、裏の納屋に行ってみた。斧があるのだが、その刃には赤い鳥居の塗料があちこちにこびりついていた。

本人は「どうも、酔っ払って、自分が切り倒したらしい」

そう気づいたそうだ。

それからである。一族が一人、また一人と突然死を遂げていく。気がつけば、自分一人だけとなった。

そこで、なんのツテを頼ったか、くだんの陰陽師に連絡をとってきたというわけだ。

陰陽師の人は、仕方なく、気休めとは思ったが、御札をわたし、できる限りのお祓いをして帰ったという。

3日後、その男性は心筋梗塞で絶命した。

神罰は怖いのである。じわじわと苦しめて、最後は直撃だ。

こういう話、嘘だと思うかもしれないが、本当にあったことなのだ。一つひとつの事件は、もしかしたら偶然かもしれない。しかし、こう度重なると、そのタイミングの「良さ」というものは、とても偶然では説明がしにくい。

なにかがあるのだ。

悪魔など召喚するものではない。その願いが叶おうが、叶うまいが、結局自分へ2倍になって返ってくる。「魔」というものは、望み以上の代償を求めるからだ。しかも、これは、「契約」であるから、タチが悪い。こっくりさんなどは、さらにタチが悪い。

それと、神社は、つとめて朝詣でるように。



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