その人が、本当に生きていると確信できますか?

怪談

これは383回目。幽霊を信じないという人は、その理由として「見たことが無いから。見えないものは信じられない」と言います。しごくもっともです。しかし、紫外線は見せません。空気も見えません。なにかに反応することで、「ある」と認識できるわけです。では、反応が無かったら、どうでしょう。・・・

:::

渋谷のスクランブル交差点の雑踏の中の、何人がほんとうに生きている人なんだろうか。もしかすると、そのうち何人かは、亡霊かもしれない。

などというと、とんでもない妄想癖のように聞こえるかもしれないが、こんな例がある。

1980年代中盤。わたしは香港を拠点に、一年のほとんどを中国大陸での仕事に費やしていた時期がある。

仕事上の重要なパートナーに、米系の重機メーカーの香港事務所長がいた。香港人で、ポール(Paul Ng、ポール黄)といった。

彼の女房もやり手で、いわゆるフィクサーとして中国の各省庁のお歴々と強固なパイプをつくっていたので、わたしもずいぶんお世話になった。

その旦那のほうのポールだが、ある時、上海の仕事で落ち合ったときに、夜食事をはさんでとんでもない話を聴かせてくれた。

上海で会うときには、たいてい外灘(Waitan、バンド・上海ブロードウェイ)沿いの和平飯店(旧キャセイホテル、サッスーンハウス)のレストランを使うことが多かったが、どういうわけかその時は、南京路沿いの戦前からの中華料理の名店・梅龍鎮(Mei long zhen)酒家だった。

キャセイホテルでは、往年のオールドジャズバンドを聞けるので、楽しみだったのだが、そのときばかりはどういうわけか、南京路をずっと奥に入っていった酒家だったので、正直がっかりだった。

わたしはたいてい、旧フランス租界の、これまた古い錦江飯店に泊まっている事が多かったのだが、そのときは河を渡った上海大厦(ブロードウェイマンション)に宿泊していたので、南京路の深いところまで行くのは、いささか面倒だったのだ。

梅龍鎮酒家は1938年創業だが、なにしろ昔から中国の有名人は必ずといっていいほど足を運んだことのある老舗で、当時わたしが聴いたときには、基本的には個室ばかりだ、と言うことだった(全部個室ということではなかったかもしれない)。政治家や軍人、スパイなど、密談ができるからだ。

今はどうだろうか。そもそもまだあるのだろうか。当時はずいぶん古色蒼然とした風情だったが、今、ネット上の画像で見ると、ずいぶん綺麗になっているようだ。

ポールが梅龍鎮を待ち合わせに指定したのは、やはり個室だったためらしい。

「聴いてくれよ。つい先週のことなんだが、えらいことを経験してしまったよ」と興奮気味に話したので、よく覚えている。

彼がそのとき上海にやってくる直前、地元の香港の事務所にいた。

ランチを取りに、オフィスのある香港島のセントラル地区から、湾仔(Wan chai)の繁華街へと路面電車道を歩いていたときのことだ。

雑踏の中で、香港中文大学に在学していた頃の同級生に偶然出くわしたのだ。とくに親しかったわけではないが、お互いよく知っている間柄ではあった。

その友人は、パリッとしたスーツを着て、なかなか仕事も順調なようには見えた。声を掛けてきたのは、友人のほうだ。

毎年のように同窓会が開かれているそうなのだが、ポールはなにしろわたしと同じで中国出張が多く、ここ数年、とんと出席できていなかった。

中国でのわたしたちの現場というのは、大都市から奥地に入ったところばかりだったから、いったん中国入すると、なかなか出てこれないのだ。一箇所のダム工事現場、鉱山などに入ると、そもそも大都市とのアクセスがほとんど無いので、えらいことだったのだ。

二人は、再会を喜んで、今どうしてる何してる、といろいろ話をしたかったのだが、ポールは時間に急いていた。

「すまないが、今急いでるんで、これで失礼するよ。」

「ああ、そうなんだ。ときに、週末、同窓会があるけど、行くかい?」

ポールはすっかり忘れていた。同窓会そのものの存在も、日常生活の中で居場所を失っていたのだ。そういえば、手紙で連絡が来ていたのを思い出した。

「あ、そうだった。同窓会だったね。このところ全く出てないが、出張は来週だから、行くよ。ぜひ、行く。そこで、積もる話でもじっくりしよう」

「それは良かった。じゃあ、同窓会で」

ということで、ポールは友人と別れたという。

週末、同窓会に出席したが、くだんの、あの湾仔の雑踏で出会ったあの友人がいない。で、周囲に聴いてみると、半年前に癌で亡くなったという。

ポールはもともとハゲに近いほど頭髪が無かったが、前身の毛が逆立ったそうだ。

梅龍鎮の個室で彼が、口から泡と飛ばして話したこの怪談は、いかにもありがちなステレオタイプのパターンだが、彼は真剣だった。生まれて初めて、幽霊というものを、目の前で目視し、会話をしたわけだから、興奮するのも当然だろう。ランチタイムである。暑い香港の真っ昼間、想像がつくだろうが湾仔地区の超雑踏の真っ只中だ。およそ幽霊とは縁遠いようなイメージだ。

ここで問題である。もし、ポールがそのまま忙しさにかまけて、同窓会にずっと出なかったらどうなっていたのだろう。

彼の記憶の中には、ずっとその友人は生きていることになる。同窓会に出席したからこそ、わかった話だ。

このように、一体ほんとうのところ、実際今自分が見ている「あの人」や「この人」が、生きている人間なのか、死人なのか、実はわからないのである。

アメリカ映画の、「シックスセンス」や「アザーズ」の世界である。おそらく、あの原作・脚本、あるいは監督といった人たちは、この点に気づいた人たちなのだろう。あの二つの映画を見る限り、制作サイドにはかなりこういう経験を実際にした人たちが関わっているとしか思えないシーンが、度々出てくる。

何が、本当のことなのか、実は非常に曖昧な次元と空間の中で、わたしたちは意味不明の人生を送っているのだ。しかも、こちらが実体なのか、あちらのほうがほんとうは実体なのか、それすらわからないではないか。少なくともプラトンは、あちらの世界が覚醒している本物で、こちらは言わば魂が眠っている状態だ、と行っている(ファイドン)。

なんと人間というのは、厄介な存在であろうか。

ちなみに、「怪を語れば、怪至る」という。そういったものを書いていてもそうだという。

ちょうどいましがたなのだが、わたしのこの机の右側には小窓があり、この原稿をパソコンで打っている間に、コンコンと誰かがガラスの小窓をノックした。

ぎょっとした。開けても誰もいなかった。それはそうだろう。窓の外は、隣との境に40cmくらいの空間しか無く、コンクリートの壁がそびえており、むこうは某大手通信業者の寮で、建物まで広い庭だ。ノックした後、逃げようにも隠れようにも、数秒の間のことだから、土台無理である。



怪談