ホーンテッドマンション

怪談

これは312回目。ホーンテッド・マンション。幽霊屋敷のことです。

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といっても、これは科学的立証、とくに裁判における記録の話や、第三者による実験の話が中心だから、苦手な人でもそうは怖くないはずだ。

日本では、幽霊が出る不動産物件は、その原因と目される「事件・事故」などを根拠に「心理的瑕疵物件」とされ、販売価格あるいは賃貸価格が大幅に標準より引き下げられる。

ところが、ところ変わればということで、英国では逆である。今日でも幽霊が現れる建物が多数存在しており、歴史的に由緒がある建物などでは、歴史上の人物が幽霊として現れることがある。

どういうわけか、英国人たちは、無類の幽霊好きで、自分の家に幽霊が出ることを自慢する。これは世界的にもかなり稀有であり、相当英国人というのは「物好き」な民族だということらしい。幽霊見学ツアーなどが、日常ごく一般的に行われている。近代の心霊研究も英国を中心に発展した。

どうもこれは英国人の気質として、積極的に知的に調べてみたがるため、とも言われている。

幽霊を自分の目で見てみたいと思っている英国人も多いので、幽霊が出るとの評判が高い住宅・物件は、通常の物件よりもむしろ高価で取引されている。

同じアングロサクソンの血を引くアメリカでも、似たような傾向がある。アメリカでつとに有名な「ホーンテッド・マンション」は、言わずとしれたホワイトハウス(大統領官邸)である。

ホワイトハウスは何人もの亡霊が現れる幽霊屋敷だという噂がある。古い幽霊は第二代大統領の時代まで遡るくらいだ。

ちなみにホワイトハウスは1800年、第2代大統領ジョン・アダムスの時代に完成したが米英戦争のさなかにイギリス軍によって焼かれ、再建することになり焦げた外壁を白く塗りつぶしたためホワイトハウスと呼ばれるようになった。

第6代アダムズ大統領夫人のアビゲイルは、ホワイトハウスが汚れていたため、いつも掃除をしていた。彼女の死後も、しばしば幽霊となって掃除に現れたという。

第4代大統領マディソンの夫人ドリーの幽霊の話も有名だ。ウッドロウ・ウィルソン大統領(第一次大戦時の大統領)の夫人エディスが、ホワイトハウスのバラ園の場所を移そうとした時、仕事を請け負った庭師の前に現れたという。

ここまでは女性だが、なかでも第16代大統領エイブラハム・リンカーンにまつわる幽霊は特に有名だ。第30代大統領カルビン・クーリッジの夫人グレースは、大統領執務室の窓のところに立つリンカーンを見た。

また、ホワイトハウスに滞在したオランダのウィルヘルミナ女王もホワイトハウスの寝室でリンカーンの亡霊を見た。しかも、それをフランクリン・ルーズベルト大統領(第二次大戦時の大統領)に話したところ、ルーズベルト夫人や秘書もリンカーンの亡霊を見たと述べたという。

この類いは、日本の首相官邸も同じである。旧官邸(現在の公邸)でもそうであったし、2002年に竣工した現在の官邸ですらそうである。森喜朗元総理大臣は、目撃した歴代総理大臣の中では、かなり明確に「見た」と公言しているほうであろう。

ある晩、森元総理がベッドで寝ていると『ザックザック』といういかにも複数の軍靴の足音が近づいてきてドアの前でぴったり止まったそうだ。慌てて飛び起きた森さんが『誰だ!そこにいるのはっ!』とドアを蹴り開けたのだが、そこには誰もいない。

すぐに秘書官に連絡を取ったが、当然のことながら誰かが公邸に入ってきたという痕跡もない。そこではじめて背筋がゾーッと寒くなったのだそうだ。これは自民党・岩屋たけし議員が、直接本人から聞いた話を、そのままブログにあげたものだ。

森元首相は、後任の小泉純一郎元首相に「(幽霊に)気をつけるように」と忠告し、小泉元首相はそれに従いお祓いをしたという。

安倍首相にいたっては、官邸に寝泊りしない。富ヶ谷の自宅から、毎日通勤だ。以前閣僚だった石破茂幹事長から、なぜ官邸に引っ越さないのか、と問われて、「幽霊が出るから」と答えている。「怖い」のだそうだ。なんでも、足だけだよく歩いているという。

菅義偉官房長官はの定例記者会見で、首相公邸や官邸に幽霊が出るとのうわさ話をめぐり「気配を感じるか」と問われ、「いろんなうわさがある。言われればそうかなと思う」と述べた。

あまり官邸・公邸における幽霊の話が有名になってしまったので、2013年5月24日、「幽霊の存在は承知していない。」という閣議決定がなされている。

この「気配」というのは、非常にあいまいなものだが、それを感じた人間にとっては、冗談や虚言では済まされない。元羽田首相夫人がその著書で、こんなことを書いている。

「公邸にただならぬ『何か』を感じたのは私だけではなかったらしく、細川首相の佳世子夫人はお子さんたちと同居されず、寝室を一室お使いになっただけで、残りの部屋にはお香を焚かれていたようです。」

さてイントロが長すぎたようだが、裁判記録といこう。2008年の事だ。日光市でラーメン屋を営んでいた男性が、店舗の大家を相手取って損害賠償訴訟を起こした。

訴状の内容は、「客や知人から、この店舗に幽霊が出ることを聞き、自分自身も白い影を見たり、無人なのに足音を聞いたり、奇怪な現象にあった。契約の時に幽霊の話は聞いていないし、聞いていたら契約しなかった。敷金や礼金などの契約書経費と慰謝料、諸々含めて502万円払え。」というもの。

このいわく付きの店舗兼住宅は、もともと大家が長男のレストラン開業のために新築したものだったそうだ。しかし数年うちにその長男が交通事故で死亡し、残された長男の妻や子供も出て行ったために、空き家になっていた。

その後、鬼怒川温泉で板前をやっていた人が、和食屋として再開したのだが、その頃からこの建物に「出る」という噂が流れ始めたらしい。

この訴訟は裁判所が“幽霊被害”を認めるか?という点で、訴訟が起こされた時点では相当話題になったようだ。結論からいえば、原告(ラーメン屋)の勝訴。「幽霊が出る」という噂や風評があることを、事前にラーメン屋の主人に告知していなかった、というものだ。

通り一遍に読めばこの記録、いかにも裁判の判決らしいが、よく考えてみると微妙である。ポイントを「風評被害」のほうにずらして判決をし、「幽霊の存在」に関してはスルーしたわけだ。

ところが、アメリカでもろに幽霊の証言が裁判で証拠能力に問われた判例がある。1977年2月21日、シカゴ近郊エヴァンストンの自宅アパートで、フィリピン人の看護婦、テレシータ・バーサ(当時48歳)の遺体が発見された。

彼女はナイフで滅多刺しにされた後、シーツに包まれ、火を放たれていた。そのために消防が呼ばれて、遺体が発見された次第である。

押し入った形跡がないことから、犯人は被害者の顔見知りであることが推測された。動機はおそらく物盗りである。しかし、手掛かりが何一つない。捜査は難航した。

事件から5ケ月後、テレシータの同僚で呼吸療法士のレミー・チュアが警察に出頭し、驚くべきことを供述した。テレシータの死後、彼女が夢に頻繁に現れるようになり、遂に彼女の口から犯人の名前が明かされたというのだ。

殺したのは用務員のアラン・ショウアリーだということ。テレビを直してやろうと偽って、宝石を奪ったということが、その証言内容のポイント。

警察としても、にわかには信じられない話である。しかし、念のためにショウアリーを尋問したところ、テレビを直す約束をしたことだけは渋々ながらも認めた。夢の話はまんざらデタラメではなさそうだ。

間もなくショウアリーの恋人が、事件の直後に彼から宝石をプレゼントされていたことが判明。それがテレシータのものであることが、彼女の親族により確認された。かくして、奇想天外な展開の挙げ句にアラン・ショウアリーは逮捕された。

弁護側は当然に反論する。「幽霊の証言を信用できますか?」アメリカは、ご存知のように、陪審員制度である。さすがに陪審員たちも考えこんでしまい、表決にいたらなかった。

しかし、仕切り直しの裁判では有罪が評決されて、ショウアリーには14年の刑が下された。

昔から、夢が事件を解決した例はこのほかにも結構ある。英米では、他にも「赤い納屋事件(レッド・バーン事件)」や「アーネスト・ダイアーの事件」がある。しかし、故人である被害者が犯人を「名指し」したのは、大変珍しい。

日本で探してみたが、なかなかこれといったものが無い。ただ、非常に客観的に、複数の人たちによる「実験」の記録がある。「コックリ」さんだ。

明治45年8月24日。栃木県塩谷群喜連川(きつれがわ)町の専念寺で、住職の立会いの下、町役場職員らが数人でコックリさんの実験を行った。これが、克明な記録として現在に残されている。

町の衛生事務員の小高が、そもそもコックリさんなどというものが信憑性のあるものなのか、ためしに問うてみた。

小高「本日、県医が娼妓の梅毒検査を行ったが、病院行きの者はいたか?」
回答「いた。」
小高「どこの店の誰か。年齢は?」
回答「吉見屋の絶子(たえこ)23歳。新竹楼の小万(こまん)21歳。大島楼の九重21歳。」

その場では、この3人だったのか誰もわからなかったので、後日役場に戻って確認させたところで、事実であることが判明した。
このときは、この回答を得ただけで、そのまま「コックリ」さんは続行された。

次に警察分署詰めの大塚巡査の依頼で、殺人事件で入獄中の被告人の共犯者数と、証拠物件の所在をたずねている。

問「主犯は誰か?」
答「関隆三」
問「共犯者は何人いるか?」
答「3人」
問「凶器はどこに隠してあるか?」
答「熱田村の一の堀の堰(せき)の堰下」
問「ほんとうにそうか?」
答「うるさい」

ところが、これも後日、捜査の進展でまったく「コックリ」さんが答えたとおりであることが判明している。

このとき、役場の人間たちは、この霊に姓名などをたずねている。42年前に痔疾で亡くなった「宇多町の荷馬車引き業、田崎元吉」と名乗り、地獄で苦しんでいるから、「阿弥陀如来」にすがりてください、と返答している。

そこで、立会人の住職らが調べたところ、同姓同名の該当者を発見。しかも今は子孫が絶えており、菩提寺である東漸寺の過去帳に記録があって、無縁仏になっていたことが判明した。

司法の場で、幽霊というものを争点として真正面から取り扱うということはない。それは、幽霊の存在を科学的に認めていないからだ。超能力による殺人があったとしても、それは罪に問われない。

笑い話のようだが、たとえばわたしの大学時代の友人の祖父は、真言密教の僧侶だった。千葉県在住だった。東京大空襲の際に、B29が高射砲によって撃墜されたのだが、そのうちの一機は「俺が落とした」とずっと死ぬまで言い続けていた。

同じ密教系僧侶団が、戦時中米ルーズベルト大統領呪殺を目的とした大祈祷会を4ヶ月にわたって断行し、ルーズベルトは急死。僧侶団は成功したと宣言したが、もちろん因果関係があったとは言えない。そもそもルーズベルトを呪殺したところで、その後、日本は凄惨な敗戦を被っているのだからほとんど意味がなかった。

また戦後、公害がひどかった70年代、関連企業群に対し、日蓮宗系僧侶の集団が、「呪殺」勤行をしながら練り歩いていたことがある。「呪殺祈祷僧団」事件である。旗を立てて、「呪殺」と大書してあった。関連企業群では1年後に、社長や幹部、社員、株主まで死ぬものが続出(自殺を含む)したが、もちろんこの因果関係は証明されていないために、立件されることもなかった。

実際信じるかどうかは別として、真言密教には毘沙門天随軍護法、大威徳明王調伏護摩法、あるいは三角護摩壇、摩利支天鞭法など、呪殺そのものを目的とした祈祷法は明確に存在する。

こうした超能力というものも、幽霊と同じで、かりに事件が起こったとしても、因果関係が認められないということで、法による処罰はない。

では、超能力に関する裁判記録はどうなっているか? ここに一人の超能力者がいた。長南年恵(おさなみとしえ)だ。彼女は、後に小説・映画の「リング」で有名になった御船千鶴子のような、千里眼とは違う。物体移動、ないしは物体創出、治病といった能力で有名になった人物だ。

文久3年1863年12月6日羽前国庄内高畑(現在の山形県鶴岡市日吉町)に、庄内藩士の長女として生まれる。子守奉公をしていたところ、次第に予言めいた言葉を口走る様になり、噂を聞きつけた住民の相談に乗るうち、奉公先から巫女として開業することを薦められたという説がある。

弟の長南雄吉は、大阪浦江にあった大日本蓄電池株式会社(現在の新神戸電機)の専務取締役で、雄吉が見た年恵の20歳以後の超常現象などの記録を、後年、心霊研究家の浅野和三郎がまとめて発表している。彼女は明治40年1907年に43歳の若さで亡くなっている。御船千鶴子もいんちきだということで社会的糾弾を受け、24歳で自殺しているが、超能力者というのは、短命なのかもしれない。

とくに長南の場合は、病人を数多く治したことで、いわゆる医療法規上の違反を問われ(やはりいんちきだというクレームが原因だが)、何度も訴追され、拘留・逮捕されている。

明治28年1895年、長南年恵は詐欺行為(神水を用いて、医師の資格なしに病気治療と称する詐欺)を行ったとして、逮捕された。山形県監獄鶴岡支署に7月から60日間勾留されたが、証拠不十分で釈放されている。

この勾留期間中、このとき様々な現象が起きたとされている。勾留期間、一切の排泄物が無かった。入浴が許されていなかったが、常に髪は清潔であり、体臭も無く、良い香りがしたという。勾留期間、一切食事を取らなかった等々。実際、長南は身長140cmしかなかった。日常的にも、サツマイモを一口と生水くらいしか食べなかったと言われており、ほとんど不食だったといっていい。

さらには、完全に外部と遮断された監房内で、「神水」「お守り」「経文」「散薬」などを空気中から取り出したという。期の拘留生活で足腰が弱って当然なのに、一升瓶15本分もある水の入った大樽を軽々と運んだともいわれる。収監者の中で、ただ一人蚊に刺されなかった等々。

ただし以上の現象は監獄側の資料や公式の文書などに記録されているものではない。年恵が、山形県監獄鶴岡支署長宛に送りつけた「事実証明願」の中でそのような現象があったと主張したものである。監獄側はこの証明願を却下している。

ところが、明治33年1900年12月12日、三度目の拘置となったとき、驚くべき記録が残された。この拘置に対して、神戸地方裁判所で再審が行われた。

いわゆる御霊水裁判である。これも警察の不当な勾留から始まり、それを不服とした年恵側が裁判で決着をつけようとしたものだ。そのときの様子は次のようなものだった。

裁判長「被告はこの法廷においても“霊水”なるものを出すことができるかね」

年恵「それはおやすいご用でございます。ただ、ちょっと身を隠す場所を貸してください」

年恵は事前に全裸になって検査され、何も隠し持っていないことが確認されている。用意された別室(何もない空き部屋)に「封印された空きビン(判事自身が用意した)」を持って移動すると、そこで霊水出現の瞑想が行われた。

そして2分後。ついに部屋の中から、霊水で満たされたビンを手に持つ年恵が現れた。トリックの余地がない法廷でも奇跡を起こした。
裁判長は次のように問いかけ、年恵は返答した。

「この水は何病にきくのか」
「万病にききます。特に何病にきく薬と神様にお願いしたわけではありませぬから」
「この薬をもらってよろしいか」
「よろしゅうございます」

このときの霊水は酒の味がしたという。こうして尋問は終わり、無罪の判決が出て裁判は決着がついた。年恵の勝利ということになる。もっとも判決理由は、「証拠不十分」であった。ここでも、司法は幽霊と同じく、超能力に関しても直接的な言及は避けているわけだが、公判中に実験が衆人環視の中で行われたという記録としては、意義が大きい。

また彼女は富士山が大好きだった。生涯で3度登っている。一緒に信者も登った。ところが彼女に追いつけないのだ。当時の登山道具はかなり重い。今のように山小屋もないので、布団なども持って行かなくてはならない。彼女は飛ぶように登っていったのだ。

山形県鶴岡市にある南岳寺の境内にある淡島大明神の堂宇は、長南年恵霊堂とも呼ばれている。さて、長南年恵は本当に超能力者であっただろうか。

幽霊の話になると、途端に否定的になる人でも、超能力になると不思議に肯定派が増大する。たとえば、米国の大学教授1000人に、ESP(Extra-sensory perception、エスパー、超能力)に関する見解の調査が行われたことがある。1979年のことだ。

それによると、心理学者に衝いて言えば、「ESPは確立した事実だ」あるいは「ESPは存在する可能性がある。」と考えている者が、34%であった。心理学者以外の大学教授で、「ESPは不可能だ」と言った者は、なんとわずか2%だったという。

これは犯罪者の心を襲った心理的な負荷が大きかったために抱いた幻覚・妄想であったのか、それとも本当の幽霊だったのか、問題となった事件がある。1966年米国ニュージャージー州ボゴタで起こった、オレステス一家殺害事件だ。

被害者は、2人の両親と4歳のナタリアという少女だった。とくに少女の被害状況は無残であったらしい。

警察は大がかりな捜索を行ったが、それらしい人間を捕らえることは出来ず、事件はこのまま迷宮入りかと思われた。

2年が経った。事件のあった屋敷は放置状態。やがて、近所の子供たちが庭で遊ぶようになった。警察官が注意しにいくと、子供らは「女の子が窓から手を振るから」と一様に言う。

ところが、この一件以降、頻繫に地元住民が同じ少女を目撃するようになる。大人の目にもはっきり見えるほど鮮明だったらしい。

地元では、ナタリアだろうと思った人がほとんどだったようで、牧師の立会いのもと、地元住民らが、家の内部を捜索することになったが、まったくなにも手がかりは見つからなかった。

そんなとき、一家惨殺の犯人が自首してきた。警察の側は、当初半信半疑だったが、世間に公表されていない現場の詳細な状況を知っていたことから、真犯人であると断定された。迷宮入りかと思われた事件が、解決したわけだ。

警察は、なぜ自首したのかと訪ねたところ、犯人は「最近になって、殺した女の子が枕元に立つようになった。ささやくように『おじさん、罪を償って。警察へ行って。そうでないと、わたしは安心して天国に行けない。』言うのだそうだ。

毎晩のように少女は現れ、そのたびに男は全身汗だくになって目が覚める。ついにはベッドに入るのが怖くなり、夜が近づくにつれて毎晩震えがくるようになった。

そういった日が何日も続き、ついに耐えきれなくなって自首してきたのだという。不思議なことに、自首して以来、少女の霊は犯人のいる監房にも、また幽霊屋敷のほうにもぱったりと現れなくなった。

件の幽霊屋敷だが、裁判が終わるのを待って焼き払うことになった。1968年10月、この屋敷に火が放たれ、この家はこの世から消滅した。

「ありがち」な、犯人を襲う幽霊の話だが、このパターンは日本でも意外に多い。2013年8月、奈良県生駒市の老女殺害事件。1977年1月、広島県で起こった母親による2歳幼児殺害事件。これなどは、幼児の幽霊につきまとわれ、母親がとうとう自首している。

別件で収監中の真犯人が、幽霊に脅かされて発狂寸前となり、ついには監房内で自殺したというケースもある。

いずれも、幽霊なのか、罪を犯したことへの自責の念がそういう幻覚・妄想を抱かせたのかは、微妙である。

写真や動画映像などで、「これが幽霊だ」といったようなものは、世の中に数多あるが、その多くは捏造されたものだ。

数少ない、「本物」と思しき映像には、かなり多くの場合監視カメラで撮影されていたものであったりする。有名なのは、米国オレゴン州ベーカーシティにある「ガイザー・グランド・ホテル」である。1889年創業の老舗ホテルだが、ヴィクトリア王朝風の意匠を凝らした、典雅な風情のホテルだ。建築の様式と年代から、米国国家歴史登録財に指定されている。

ここは、多くの米国の観光ガイドに、「幽霊が出ます」という解説が付されている。特殊な場所ではなく、一般人が安易に利用できるという意味では、一級のホーンテッド・マンションである。

このガイザー・グランド・ホテルでは、有名な205号室、313号室(いずれも、決まったように午前2時を回ったところで出現する)のほか、各所で複数の種類の幽霊が出没しているようだ。

大変有名になったのは、地下倉庫に入るところの観音開きのドアが、勝手に開閉する模様が監視カメラで撮影されたことだった。その夜、ベルボーイの当直の前を、一人の人影が横切った。

雑誌を読んでいた当直者は、本に目を落としながら、視界の隅を横切っていく人影を視認しながら挨拶した。返事は無かった。

ところがその人影は、そのまま部屋に上がって行く階段、あるいはエレベーターに乗るかと思えば、地下に続く階段を下りていったのだ。そこは、スタッフ以外立ち入り禁止である。

そこで、当直は「ちょっとあんた」といいながら、ボックスから飛び出し、追いかけた。階段を駆け下りると、まさに数メートルさきにある倉庫の入り口の、観音開きのドアがバタンと開いて、閉じた。

当直は、間違いなく、その人は倉庫に入っていったと確信し、走って観音扉をバンっと押し開いていったが、そこには誰もいない。倉庫は鍵がかかっていた。

この一連の模様が、すべて監視カメラで撮影されていたわけである。もちろん、人影は愚か、当直以外、誰も映っていない。しかし、明らかに、当直は声をなにものかにかけ、その後慌ててボックスを飛び出し、階段を駆け下り、観音扉が彼の到着を待たずに、勝手に開閉し、その後彼が飛び込むという一連の状況が撮影されているのだ。

はたして、真実か。それとも、当直の「一人芝居」で客寄せ用の演出効果を狙った、いわば販促用フィルムだろうか。どうもそうは見えないが、これは疑えばキリがないので、なんともいえない。ガイザー・グランド・ホテルの怪現象については、テレビでも再三放映されているので、youtubeには、ずいぶんと動画がアップされている。興味のある人はご覧あそべ。



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