感情は電磁的現象である

雑話


これは127回目。不思議な話のことです。しかし、現実に起こったことなのです。およそ幽霊とか、超常現象とかは、エネルギー仮説でだいたい説明がつくといったことも聞きます。だとすれば、たぶん電気的現象なのかもしれません。

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それは、実在するからこそ、言葉がある。幻も、実際に存在するのだ。だから、幻という言葉がある。幽霊は、あるとかないとか言う以前に、幽霊という言葉が存在する以上、実在すると考えて当たり前だ。この世に無いものは、言葉に表されていないのだ。逆に言葉があるかぎり、必ずそれは実在する。

「あなたの心は何色ですか」と聞かれて、だれがこたえられるだろう。だれも、こたえられはしないのだ。しかし、だれもが自分に、「心」というものが存在することに疑問を持たない。

心は見せることができないのだが、心という言葉がある限り、心はあるのだ。それを、脳の神経細胞など、医学的に分析したところで、説明し切れていない。

ここに心の使い方で、一番注意しなければならないことがある。怒りの制御だ。仏教では、人殺しよりも罪が重い。要するに怒りが、すべての凶事の淵源だからにほかならない。

わたしの家では、家内がかなり強い霊感の持ち主だ。いつもポーカーフェイスの長男も、(察するに)かなり霊感が強いほうだろう。お首にも見せないが、どうやらそのようだ。血筋というのは恐ろしい。

実は、7年前、本当に恐ろしい光景を目の当たりにしたことがあるのだ。その夜、長男の不手際(というより、不作為の失策、つまりやるべきことをしないで問題が起こったのだ)で、家内が怒り心頭に発し、長男の部屋に飛び込んで、猛烈に叱り始めたのである。

家内にしてみれば、それまで積年の不満を晴らすかのように、烈火のごとく罵倒し始めたのである。一方、長男は、先述通り、ポーカーフェイスの男だから、一見すると平静を装っていたのだが、間違いなく心の中ではめらめらと怒りがこみあげていたはずだ。

しばらくすると、天井の蛍光灯が、パチパチと不規則に点滅し始めた。次の瞬間、バリバリという音とたてながら、はっきりと明滅を繰り返し始めたのだ。その時間、10分ほど。家内は、罵倒するだけ罵倒し、捨て台詞を残して部屋を出た。すると、蛍光灯は、何事もなかったかのように明滅を止めた。以降、その蛍光灯の使用はまったく問題なかったのである。

さて、家内の怒りが電気系統に影響したのか。それとも、内に秘めた長男の憎悪に近い感情が、そうさせたのか。それとも、両者がプラスとプラスで、とてつもないエネルギーを衝突させていた結果、蛍光灯が狂ったのか。いずれかはわからない。が、この時から、わたしは、怒りというものが物理的現象を引き起こすほど、恐ろしいことなのだ、と思うようになった。

もともとわたしは短気で、瞬間湯沸かし器に近い。それだけに、怒りの制御は、大変苦労してきた。いまだにこの苦労は続いているが、なんとかなっている。さすがに歳をとったからなのか、それともどうでもよくなってきたからなのか。

話は飛ぶが、昔テレビで観たことを書いてみる。実は、エネルギーということと関係しているのだ。

今は亡き児玉清がMCで、ゲストに西村晃(やはり故人)を迎えての高野山でのルポ番組だが。数々の異常な現象(坊主が祈祷をして、異常な現象を巻き起こす)をカメラに収めたものだった。

ある堂宇の前で、八の字に立ち並んだ坊主たちが読経をする。その扇の要(かなめ)の位置に、座禅した一人の坊主が、柴燈護摩をたいて、一心不乱に真言を唱えるのだが、40分も経過するうちに、1mは宙に浮いた。児玉も、西村も腰を抜かしていた。

それ以前、10-15年前に一度カメラが入ったことはあるが、それ以来初めての現場ルポだったと覚えているが、その後、高野山はこの件に関してまったく沈黙を守っているから、世間で知っている人は少ないはずだ。あれを見てしまっているので(たまたま両親と一緒にみていて、一同ぶったまげた記憶がある)、およそ幽霊だとか、超常現象といったものを、すべて根も葉もないデタラメとは言い難いのだ。

正直高野山ともあろうものが(高野山といっても、たくさんある堂宇のうちのどこかはわからない)、そんなトンデモ話をテレビで一般公開を許したとも思えない。

この番組を覚えている人はきっといるだろうし、自分ではなかなか探せないので、もしいつのなんの番組だったかご存じの人がいたら、ぜひ教えてほしい。テレビ局にかけあって、また観てみたいものだ。たぶん、1973年前後の、「なんとかスペシャル」という類の番組だったと思うのだが。

この空中浮遊の例も、考えてみればある種のエネルギーが使われているはずだ。わたしの家内と長男の衝突事件は、あきらかに電気的現象として現れたのだが、空中浮遊の場合は磁力が発生したとすると、そのプラスとプラス、あるいはマイナスとマイナスを衝突させることで、空中に浮遊したのかもしれない。

実際、ガラスの密閉容器の中に紙コップを入れたとしよう。そこに穴をあけて一定の音波を両方から発信すると、共鳴することによって紙コップが浮遊する。UFOの飛行原理は内燃機関の動力を持っていないと推察されるので(無音であるという目撃現象がほとんどである)、この磁力を極限まで活用する技術を持っているのかもしれない。

いずれにしろ、人間という霊長類も、その感情というものは、もしかすると電磁的現象そのものなのかもしれない。心霊現象などで、パソコンやデジカメ、ライトなど、電気系統がことさら激しくダメージを受けることが多いことからもそういうことは考えられるかもしれない。その電磁的現象の最もネガティブで強力なものが、怨霊ということになる。

さてさて、確かに、怨霊というのは、味方にすると強いが、強すぎて、扱いが厄介である。神田明神然り、天神然りである。

怒りは、そもそも無謀を以て始まる。結末は後悔である。無謀こそ避けなければならない、ブッダはこの怒りについて、こう述べている(とされている)。

怒りにしがみつくのは、誰かに投げつけるために、真っ赤に燃えている炭を掴むようなもの。火傷するのは、あなた自身だ。

以上



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