神隠し

雑話

 

これは326回目。今では失踪と呼んでいますが、昔は神隠しと言っていました。呼び方は変わっても、地球上のどこかで、今日も誰かが行方不明になっています。犯罪がらみのものが多いだろうし、人生を再出発するために、自作自演ということもあるでしょう。ただ、こうした失踪事件の中には合理的な説明がつかないものも多々あるのです。

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比較的近年の事件で、日本では広島一家失踪事件が有名であり、多くの人が覚えているかもしれない。ネットでは写真も実名も、垂れ流し状態だが、親族も存在していることだから、一応実名は避けておこう。

広島県の某町に住む一家(夫58歳、妻52歳、娘26歳、夫の母79歳、そしてペットの犬)が忽然姿を消したのだ。

2001年6月4日、妻が務める会社の社員旅行で、中国・大連へ社員旅行を予定していた。妻も参加予定だった。ところが、約束の正午になっても、集合場所だった勤務先に姿を見せない。しびれを切らした同僚が、正午過ぎに山上家を訪れてみたところ、同家はもぬけの空だった。

この連絡を受けた一家の親族から、捜索願が出された。警察はヘリコプターや機動隊を導入し付近を捜索するが、一家を発見することはできなかった。

娘は小学校教諭であった。20歳のときには、同地域の「ミス」に選ばれていただけのことあって、写真を見る限り美人である。事件3年前には、結婚話もあったようだが、事件当時どういう状況であったかは不詳。

彼女は実家ではなく、小学校のある町のアパートに一人暮らしをしていた。事件発覚前日はPTAの親睦会に出席していた。3日夜、21:30頃に同僚を自分の車で送り届けている。その際に友人は、娘が母親と電話で話しているのを聞いている。

会話の内容は、娘が「実家に忘れた化粧品を取りに行く」という内容であったと同僚が証言している。

近隣住民が同夜22:50頃に車のドアを閉めるような音を聞いていたが、誰なのかは見ていなかった。

翌4日、事件発覚日の早朝4:00時頃に新聞配達員が訪れた時にはすでに夫の車は無かった。つまり、2001年6月3日の深夜から、翌6月4日の朝にかけて失踪したということになる。

非情にこの失踪には不可解な点が多いとされてきた。

・家の中の血痕や侵入形跡はなかった。
・旅行代金の15万円他、一家の通帳など金品は手つかずに残っていた。
・妻は社員旅行の準備をしていた。
・娘と母の携帯電話・免許証、そして夫のポケベルは家に残っていた。
・ペットも一緒に姿を消している。
・夫婦の口座には2000万円の現金があり、特段借金や金のもめごとがあったようなことが確認されていない。
・夫婦に浮気などのゴシップも、無かった。
・家には、妻の旅行代金15万円が入ったまま残されていた。
・一家の定期貯金も手つかずのままである。
・パジャマが見当たらず、布団のシーツは乱れていないので、就寝前にパジャマ姿で出かけたことになる。4人分のサンダルもないので、サンダル履きだったということになる。
・母屋の台所と廊下の電灯はつけっぱなしで、レンジで温めれば食べられるように、朝食の準備もなされていた。そのほかの朝食分については、虫よけネットまでかけられていた。
・にもかかわらず、玄関その他、鍵がかけられていた。
・内外で争った形跡もなく、血液反応も出ていない。
・夫には2000万円の預金があり、自宅登記も金銭貸借が無かった。

ところがその後、この事件は「解決」する。2002年9月7日、同町にあるダム(自宅から7km)で車が沈んでいるのを通行人が発見したのだ。当時、ダムは雨不足で水位が下がっていた。
車を調べたところ、失踪していた家族4人と愛犬の遺体と確認された。ここにも不可解な点が指摘されている。

・遺体には目立った外傷はなかった。
・車のキーがついた状態であった。
・転落したと思われる場所の入り口には車両止めがあった。つまり、それを意図的に排除しなければ、ダムに落ちることがまず不可能な状況だったということだ。

警察は、最終的に無理心中と判断した。この説は、夫による無理心中ということになるが、どういう理由で家族全員が家から、犬までつれてパジャマ姿で外出することになったのか。夫が無理心中したとすれば、その動機はなんだったのか。あるいは、発作的な病理によるものであったか。

多くの謎を残したまま「解決」した不気味な事件として記憶に残ってしまった。しかし、この事件などは、結局神隠しでも失踪でもなく、全員の遺体が確認されたがかえって不可解さを強く残す事件として記憶にとどめられている。

このように、後に「発見」されるケースも多いので、失踪や神隠しというのは、そのまま信じるわけにはいかない。たとえば、推理小説「エルキュール・ポワロ」シリーズで有名な、アガサ・クリスティも有名な「謎の11日間」という失踪事件があった。

千人もの警官に数百人もの一般人が加わり大規模な捜索が行われた。推理小説作家ドロシー・L・セイヤーズやコナン・ドイルにまで助言が求められている。

警察は破損し、乗り捨てられた彼女の車を発見したが、そこにクリスティの消息を知る手がかりは残されていなかった。結局は、失踪から11日後、保養地のホテルに夫の愛人テレサ・ニール名義で宿泊していたクリスティが発見され事件は解決した。しかし彼女にはそこに辿り着くまでの記憶が一切なかった。(ということになっている。というのは、自作自演だったという説もあるからだ。)

クリスティと言えば、英国で勲章まで得て、作家として功成り名を遂げた人生において、1926年の失踪事件は唯一の不可解な謎であった。しかし彼女は沈黙のカーテンを張り巡らして一切の疑問を封殺した。

インタビューに応じる際も、決して失踪事件に触れないことが条件だった。1965年に発表した自伝においても、事件について全く触れないという徹底振りである。

1976年1月、アガサ・クリスティは風邪のため死去。失踪の謎を残したまま、85歳の生涯を終えた。広島の一家失踪事件と違い、この場合は生き残ったケースだが、どちらにしても、失踪・神隠しというのは最後まで不可解である。

しかし、本当に本人たちが発見されない失踪事件というのも後を絶たないのだ。1975年、ジャクソン・ライトとその妻マーサは、車でニューヨークシティのリンカーントンネルを通過していた。

夫妻は窓ガラスの結露をふき取ろうとトンネルの中で車を停めた。ジャクソンは前をマーサは後ろを拭き取ることにして、作業に取り掛かった。夫が目を逸らしたのはわずか数秒である。しかし振り返ってみると、妻の姿はなかった。怪しい音もしなかったし、そばに近寄ってくる怪しい人物も車もなかった。それなのにトンネルの中から彼女は忽然と消えてしまった。

このマーサ・ライト失踪事件などは、まったく意味不明である。警察による捜査から手がかりは一切発見されていない。また自作自演の可能性も否定されている。マーサは文字通り消えてしまったのだ。

UFOがらみの失踪事件もある。1978年当時、まだ新米パイロットだったフレデリック・バレンティッチはオーストラリア、バス海峡沿いを訓練飛行していた。そのとき300m上方、高度1,300mの地点に接近してくる機体を発見し、これを報告している。

メルボルン管制塔は付近を飛行中の機体はないと応答する。機体がさらに接近すると、バレンティッチは4個の灯りがついた機体に付きまとわれていると報告した。機体の種類について問われたバレンティッチは、「飛行機ではない」と返答している。これが最後の通信となった。それ以降、彼の姿を見た者はいない。

同じくUFOがらみでは、カナダのキンロス事件が有名だ。1953年11月の夕刻、アメリカ空軍のレーダーがスペリオル湖上空の領空を犯す未確認機を捉えた。キンロス空軍基地から直ちに、フェリックス・モンクラ中尉とレーダー操作員のロバート・ウィルソン中尉が乗るF-89Cが出撃した。

レーダーからはモンクラ中尉が時速800kmで飛行し、高度2,100mの目標に降下したことが確認されている。レーダーの画面を見つめていた管制官は、目標に接近したF-89Cの点が融合してしまったことに驚愕する。

そして目標の点はその空域から突然離脱した。懸命の捜索にもかかわらず、F-89Cも乗組員も跡形もなく消えてしまった。カナダ空軍は当時、その付近に航空機はいなかったと主張し続けている。

有名人でも失踪事件は多い。アガサ・クリスティどころではない。ジム・トンプソン失踪事件である。第二次世界大戦中、ジム・トンプソンはCIAの前身であるOSSの諜報員として活躍した。引退すると静かな暮らしを求めてタイに移住し、そこでタイのシルク産業を復興させてファッション界のカリスマとなった。今に残るシルクの「ジム・トンプソン」ブランドである。

1967年3月29日、休暇として別荘があった高原を訪れ、そこで散歩に出かけた。それきりだった。有名な実業家であったことから、タイ空前の捜索が行われた。ジャケットとタバコが置きっぱなしだったことから、それほど長く外出するつもりでなかったことが伺われた。諜報員時代に培ったサバイバル技能を考えると、ちょっとした散歩で遭難する可能性も考えにくい。彼の行方は今もって謎である。

非常に奇怪な印象を残したものに「サラ・ジョー」失踪事件がある。1979年2月、マウイのとある村から男性5人を乗せた”サラ・ジョー”というボートが出発した。しかし酷い嵐に遭い、彼らは海で消息を絶ってしまった。

9年後の1988年、マーシャル諸島にある環礁島調査の最中に小さなボートと、簡素な墓から突き出た人間の顎の骨と思われるものが発見された。「サラ・ジョー」であった。歯の治療記録から顎の骨が失踪した乗員のものであることも判明している。しかし他の4人の遺体は発見されていない。

彼ら4人が遺体を埋葬した人物であるならば、一体どこへ行ったのだろうか? 反対に彼らが埋めたのではないのなら、一体誰がこの人物の埋葬をやったのだろうか? さらに奇妙なことに、この島は以前に綿密にして徹底した捜索・調査が実施されていたのだ。そのときはボートも墓も発見されていない。

もっとドラマティックなものもある。DBクーパー事件だが、実は彼の本名は不明だ。分かっているのは、それが1971年11月の寒い嵐の晩にD・B・クーパーと称する男が、乗客36人を乗せた飛行機をハイジャックしたことだ。

身代金として現金20万ドル(現在のおよそ1億円)とパラシュートを受け取った彼は、人質を解放し、シアトルからメキシコへ向けて飛行機を飛ばす。その途中で後部ハッチからパラシュートで脱出し、歴史の中に消えてしまった。

ところがである。当時、5機のジェット機が追尾していたのだが、クーパーが脱出する姿は目撃されていない。捜査当局は彼が死亡したものとしているが、身代金の一部が発見されたのみで、遺体は見つかっていない。現在もFBIが捜査中である。

自分にはそうした動機が無い、と思っていても、なにしろ北朝鮮による拉致事件もあるくらいだから、まったく人ごとではない。行方不明捜索願が出されて、発見率は確かに98%という記録もあるくらいだから、実はほとんどが本当の意味で解決しているが、いまだに行方不明という事件のほうが問題だ。確実にそれは存在するのである。

いきなりここから怪談(?)になってしまうが、「新耳袋」の著者の一人、中山市朗氏が取材した「事件」が、それである。後味の悪い話を紹介しておこう。大阪の話だ。

12-3年前から始まる。Aは、大学の民俗学の研究サークルに所属していた。そこでBと知り合った。男二人で、あちこち民俗学の取材にいったそうだ。

三回生のとき、Bが一戸建てを買った(親にかなり出してもらったらしい)ので、遊びにこいという。そこは、表通りから路地を入ったところだが、たいそう大きな木造の家屋だった。

台所はさすがに現代的にしつらえてあるが、家そのものは少なくとも戦前のものであろうと思われるような立派なものだった。

それもそのはず、かつて表通りは廓(くるわ)があったところで、この家はその離れの一つだったらしい。表通りはまったく今ではその風情もない。それを破格の値段で買ったというのだ。おれはここに一生住むというくらい、気に入っていたらしい。

なにしろ、6畳・8畳・12畳といったような部屋が一階にも二階にもある。板の間や廊下、梁などは、黒光りする立派な木材を使っていたそうだ。

不思議なことに、居間(畳の部屋)の隅に何箱も、100円ショップで買ったような透明なプラスチックケース(衣装ケースのようなもの)が積み重なっている。

「これなんな?」

と聞くと、Bは入居してすぐ、夜中に天井から髪の毛が伸びてくるようになったという。なんやこれ、と言ってそれを引っ張ると、ばさっと落ちるのだそうだ。それを毎回、「ためている」というのだ。

Aが天井を見ても、どこから垂れてくるものなのか、わからないのだが、B曰、「これは間違いなくいたずらだ。そのうちとっつかまえて、警察に突き出すときの証拠にしている。」

Aにとっては、明らかに怪異としか聞こえないのだが、Bは幽霊でもなんでもない、間違いなく人間のいたずらだ、と言い張る。

そのうち、3か月くらいたったころ、早朝、いきなりBから電話があった。「今、いたずらしている奴を見つけたから、すぐ来てくれ」というのだ。

訳を聴くと、今、飯を食おうとしたら、目の端に足が見えた、という。目の端というのは、ちょうど居間の向かいにある木の階段にあたり、そこを誰かが上がっていったのを確かに見たというのだ。足の感じからして、「女」だという。

二階にも何部屋か大きな畳敷きの部屋があるのだが、そこから降りてくるには、その階段を使うしかない。だから、Bはその階段の下で待ち構えているから、はやくAに来てくれ、というのだ。二人でとっつかまえよう、というわけである。

Aは「ならば」、ということで急いで駆け付けた。ところが、肝心のBがいない。呼べど探せどいない。一階の居間には、今まさに食べかけたような朝食がそのまま残っている。階段下には、しかしBがいない。上か、と思って、二階に上がるが、押し入れも、どこを探してもいない。

不思議だったのは、居間の隅に積み重ねてあった、たくさんの女の毛の束が入ったプラスチックケースが、一つも無くなっているというのだ。

その女の毛というのは、もちろん鑑定したわけではないが、どう見ても、触っても、人間の毛としか思えないものだったという。

さて、ここでBが失踪してしまうのだ。家族も捜索願いを出し、現在までBは行方不明である。

これだけなら、いわゆる「失踪事件」で終わってしまうのだが、今回すでに紹介したいくつかの話と違って、ここから完全に怪談と化していく。

1年後、事件が起こり始めた。Iという、サークルの後輩が言った。

「B先輩と、最近会ってますか?」
「会うわけないだろ。捜索願が出たままだ。」
「そうですよね。」
「なにかあったのか」
「昨日、僕、B先輩に会いました」
「え、どこで?」
「昨日、僕、心斎橋歩いていたんですよ。そしたら、人混みの中で、B先輩らしい人がいたんで、あれえっとおもって見ていたら、向こうも気が付いて、人波をぬってやってきて、よおっと声かけられました。」
「B、生きとったんか。良かったあ。で、なに話した?」
「いや、たわいもない世間話して、じゃあなとB先輩さっさと歩いていってしまったんです。」

Aはこれで、少なくともBは自殺や、事件に巻き込まれたのではなく、ふつうに生きていたんだ、とわかって、ほっとしたそうだ。

ところが、この二人の話を聞いていた研究員が、「俺、先週実は手紙もらった」と言い出した。

「誰から?」
「いや、そのBから」
「なんて書いてあったんですか?」
「それが、間違いなくBの字なんだが、何書いてあるのか、まったくわからないほどめちゃくちゃな文章で、気持ち悪くなったんで、捨てたわ。」

その研究員によれば、実は最近引っ越したばかりで、Bの失踪当時はまだ古い住所のほうにいた。だから、Bは今の住所を知らないはずだ。しかし、手紙は間違いなく、新しい住所宛てで届いていた、というのだ。Bが生きていたとしても、知っているわけがない。ほとんど誰にも新しい住所を教えていない、というのである。そのときAも、Iも初めて知った引っ越しの話だったのだ。

恐ろしいことに、この3か月後に、その研究員は急死した。朝、研究室にみんなが来ると、研究員が死んでいたのだそうだ。心臓発作らしい。事件である。しかも、その3日後に、Iが死亡した。こちらは交通事故である。

Aをはじめ、サークルのメンバーは、恐ろしくなった。いずれも、3か月前にBと会ったり、手紙を受け取ってから、死んでいる。共通項はBとの接触である。

その後、何もなかった。そして、1年後、Aは卒業したが、そのまま研究室に残った。ある日、Kという後輩がやってきた。びくびくしていた。Kは、「あの、僕、手紙もらったんですけど。」という。

「誰から?」
「B先輩。」
「おまえ、それあかんやん。読んだのか?」
「いえ、怖くて怖くて。だって去年のことがあるじゃないですか。もう封も切らずにお寺に持って行ってお焚き上げしてもらいました。」
「それでええ。読んだらあかん。」

ところが、そのKは、3か月後、やはり死んだ。自宅の風呂で、溺死したのだ。意味がわからない。

さすがに、Aをはじめ研究サークルの関係者はみな戦慄した。みんなが話し合っても、これという結論が出るわけもなく、結局Bが死神のようなものにでもなってみんなの命を奪って歩いているのではないのか、といったような、どうしようもない話にしか着地点が見いだせなくなった。

数年後、Aは大学院も卒業。家業を引き継いだ。そして最近である。ちょうど2年前(この話を、わたしがラジオで聞いたのが昨年2016年であるから、2014年のことだろう)、研究サークルの同窓会があった。

みんなが集まっても、話題はBのことに集中した。「あれから、なにかなかった? みんな大丈夫か?」ということだ。すると、Tという後輩が、蒼い顔をして「ぼく、B先輩に会いました」という。

Tによれば、その同窓会に来る途中、電車の中で会ったというのだ。ラッシュアワーだったので、かなり車内は混んでいた。5-6人先にどう見てもBと思しき人がいて、「あれ、B先輩に似てるな」と思ってみていると、向こうが気が付いて、「よっ」とばかりに人混みをかきわけかきわけ、こちらにやってきた。

Tはもう震えあがっていて、ほとんどなにもしゃべれなかった。Tはちょこちょこ話していたが、なにを話していたかもおぼえていない。やがて、Bは「俺、ここで降りるわ」といって、西九条の駅で降りた。

Tの話は不気味だ。Bは、最後に見たときからすでに10年経過しているにもかかわらず、どうみても当時のままの大学生であった。自分のほうが年下なのに、傍(はた)から見たら、自分のほうがずっと上に見えたはずだ、という。服装から、顔立ちから、あの当時の大学生のBのままだったというのである。

この話で、同窓会どころではなくなった。みんな、民俗学出身ということもあって、それじゃあというので、全員でお祓いに行ったそうだ。

ところが、悲劇は止まらなかった。その3か月後に、Tは首吊り自殺をしている。以来、Aは、何回も引っ越しをしているそうだ。毎日、どこでいつBが現れやしないか、いつ手紙が舞い込んでくるか、とびくびくしながら生きているという。

後味の悪い話だ。不思議な点は、なぜ一番親しかったAが「襲われる」こともなく、周囲がばたばたと犠牲になっているか、という点だ。中山氏の推測では、警告ではないか、という。

もし仮に、Bが死神と化しているのであったとしたら、皆殺ししてしまったら、誰もその事実を記憶にとどめない。しかし、Aが生き残っておれば、Aはこの顛末の語り部として、ずっと語り継いでいくことだろう。Aは、この場合Bに、語り部として「使われている」ということになる。

一体、そもそもあの「女の長い毛」は何なのかということもある。その家というのが、破格で売りに出ていたというのは、もともとそこには女郎などの「呪い」「祟り」といったものがあったのかもしれない。Bはその家を買ったことで、その「呪い」や「祟り」を引き継いでしまったのかもしれない。だからこそ、その家は、破格の値段で長いこと、誰も買うことがなく放置されていたのかもしれない。

このラジオ番組では、松竹芸能の北野誠がMCをやっていたが、「幸い俺たちは、Bの顔知らんからな。」と言ったが、間髪入れず、別の出演者が、「いや、突然、町で若い大学生に呼び止められて、俺Bだよ。ラジオ番組聞いたでしょ、あれ俺ですよなどと言われたら、もうアウトやんか。」と言っていた。これが冗談にならないくらい、後味の悪い、現在進行形の怪談である。

ということで、この怪談を知ってしまったわたしは、ここで複数の読者に「呪い」を拡散したのと同じことになる。一種の小説・映画「リング」に出てきた連鎖のようなものかもしれない。ということは、誰かに伝えれば、「呪い」は解けるということになる。

さてこれは本当のことだろうか。それとも話に裏が実はあるのだろうか。中山市朗氏は、いわゆる創作怪談は一切書かない。あくまで実話のルポルタージュに徹している。共著者の木原浩勝とともに、取材は曖昧さや、不確実性、虚言の可能性といったものを、徹底的に排除したルポルタージュである。

神隠し・・・いわゆる失踪、拉致、UFO、オカルト、狂言、いろいろあるだろうが、どれもこれも後味の悪いものが多い。なんといっても未解決だからだ。そんなことが、自分には起こらないと、誰も言い切れない不気味さがある。日常に潜む闇というのは、意外にいつも身近に存在するかもしれない。くわばらくわばら。



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