日本人にとっての口福
これは17回目。人材不足やら、昨日のニュースで、新聞部数が一年で222万部減で14年連続減少のようだ、景気の悪い(変化)?ニュースが多いが日本の誇れるものってなんぞやって話。
日本料理の核心とはなんでしょう。やっぱ、醤油でしょ。ね、これしかないですよ。
和食(日本食)が、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されるという。足元の日本では和食離れが続いており、家庭料理の和食は絶滅危惧種に指定されてもいいくらいだ。
いったい、食文化の無形文化遺産というのは、どういうことなのだろうか。よく分からないが、和食の中で、これがなければ和食が成り立たないという素材、あるいは料理法こそ、おそらく肝なのだろう。
そう勝手に解釈してみると、果たして和食で不可欠のものとは、いったい何だろうか。それはどうも、醤油らしい。幕末は安政5年(1858年)に、徳川幕府はアメリカと日米修好通商条約を締結した。万延元年(1860年)、この批准書の交換のため、アメリカ軍艦ポーハタン号などに乗って地球を一周した男たちがいる。江戸とワシントンを往復した77名の男たちだ。護衛艦として咸臨丸(かんりんまる)が随伴しており、勝海舟や福沢諭吉なども一緒に渡航している。
船内では早々に日本食が切れてしまい、現地でも食事はひたすら肉ばかり。米が食いたいという渇望が実り、アメリカのホテルでは念願の米が出たそうだが、それはバターで炒めた、いわゆるピラフのようなものだったらしい。全員が敬遠したそうだ。さすがに先方でも気を利かしたらしく、次を期待していたら砂糖を混ぜてきたので、ますます手が遠のいたという。さんざんな目に遭っていたわけだ。
さて帰途、船は再び長旅で喜望峰を回り、インド洋を渡り、オランダ領バタビア(ジャカルタ)に入港したところで騒ぎが起きた。驚くべきことに、長崎から出回った醤油が売られていた。出島とつながっていたためだ。陶器の瓶に木栓をして、味は大丈夫だったらしい。77人の男たちは殺到して買い求めたという。記録によると、一合で20セント。当時の日本円で3朱。現在の価格で2万円に相当するらしい。
この77人の男たちの醤油を巡る狂騒劇に、どうやら和食というものの本質の一つが見えてくる。醤油だ。とにかく、醤油さえぶっかけてしまえば、何でも食えるというわけだ。おそらく、日本食というものの原点がここにあると言ってもいいだろう。
じゃあ、味噌はどうなのだという詰問が飛んできそうだが、これも一緒だと思う。醤油も味噌も、そもそも原料が同じ。どちらでもよいのだ。要するに、大豆発酵食品のカテゴリーであり、ともに保存用途に耐えるという要件を備えている。この派生食品には、納豆も含まれてくるわけだが、納豆は地方によって好き嫌いがあるから省くことにしよう。醤油と味噌なら、誰も文句を言うまい。日本食の本質の一つは、この醤油と味噌に尽きるような気がする。
このようにして、77人の日本人たちは日本食から隔絶された地獄の日々を送ったわけだが、帰国の途中、醤油(あるいは味噌)以外の何を見つけても、あれほどの狂騒劇にはならなかったのではないか。これさえあれば、という究極のものが、醤油や味噌なのではないだろうか。
実際、日本の醤油は早くからオランダ経由で、欧州にもけっこう大量に輸出されていた。とても有名なのは、フランスのルイ14世(太陽王)の醤油好きだろうか。これは美味いといって、隠し味に不可欠な材料となった。18世紀のフランスの百科全書でも、SouiあるいはSoiの項に、「日本人が調理に使用し、アジア人に人気の高いソースの一種である。中国にもあるが、日本の物が遥かに優れている」とある。こうなると、日本人の主食とは米ではなく、醤油や味噌なのではないか、とさえ言ってもいいかもしれない。これさえあれば、すべてが美味い食べ物に早変わりする魔法の媚薬なのだ。
これぞ和食というものを挙げるとすれば、おそらくもう一つは乾物ではないか、と言う意見がある。これも保存食だ。身欠きニシンや棒ダラ、切り干し大根、干し昆布、鰹節、かんぴょう、煮干しなどなど。数え挙げれば切りがない。いわゆる植物繊維やミネラルを大量に含有しており、皆きわめて軽量で、水さえあれば「戻し」て料理に使うことができる。副食として、味噌と醤油さえあれば、どうにでもなる万能の素材たちだ。
味噌や醤油などの大豆を原料とした発酵食品と、これら乾物こそは、確かに日本食の核(コア)と言っても良いかもしれない。和食の主役は刺身だなんだかんだと言っているのは、外国人と同じ目線の人たちで、「分かってないなあ」という感じがしてしまう。
百歩譲って、乾物は世界中で似たようなものが入手できるかもしれない。しかし、味噌や醤油の類は、たとえばアジア圏では多く存在するのだが、和食を作るときには代替が利かない。外国で現地の料理をつくるとき、日本の醤油で代用してもなんとかなるが、日本の料理を作ろうと思ったら、アジアの醤油ではお話にならない。この点が、まさに日本の醤油や味噌の価値、真骨頂なのだろう。だから、やはり和食(日本食)の真髄は、この醤油と味噌に尽きるという結論にしたいが、いかがなものだろうか。