日本を知りたくば・・・

政治・経済, 歴史・戦史, 雑話

 

これは352回目。

「日本を知りたければ、台湾に行け」という言葉がある。

日本統治時代が長かった台湾には、良くも悪くも、往年の「日本」というものの残照を垣間見ることができる、ということなのだろう。

次第に「日本国民」であった台湾人も、多くは鬼籍に入っており、当時の生き証人は数少なくなってきている。

以前このコラムで、何度か台湾について書いたことがある。日本と台湾の歴史的な関係性は、お互いに最も親和感を抱いている点で非常に特異なのだが、話はもちろんそう簡単ではない。

台湾においても、とくに外省人(戦後、大陸から台湾に逃亡してきた漢民族の子孫たち)の中には、日本を嫌っている人たちが当然のように存在する。それも無理はない。

しかしそれを勘案しても、やはり日本と台湾は特殊な見えない絆があるような気がする。

2014年に公開された台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」という作品がある。日本では15年に公開された。

戦前、1931年の甲子園大会(当時は旧制中学時代)に、台湾地区で優勝した嘉義農林学校野球部が出場し、あれよあれよと日本本土チームを撃破し続け、ついには決勝戦に進み、準優勝で終わったという実話の映画化だ。

台湾でも最弱チームと呼ばれていたらしいが、日本人監督の下で、山岳民族(俗に高砂俗と呼ばれた)、漢民族、日本人の混成チームの成長の過程が描き出されている。

台湾映画だが、当時の時代背景があるため、ほとんどのセリフが日本語(当時の共通語)である。日本人が観ても、ほぼ字幕無しで鑑賞できるくらいだ。

この映画が、封切りと共に、台湾では空前のヒットとなり、社会現象にまで発展したという。

台湾人の監督、台湾の制作会社、多くが台湾人キャストで占められた純然たる台湾映画だが、きわめて史実に忠実に、当時の台湾というものがどういう存在であったかということが活写されている。

九州ほどの面積の台湾は、膨大な質量を持った中国と1949年以来、緊張のまま対峙している。

かつて70年代、わたしが初めて台湾に行ったとき、現地の古老たち(日本時代に青春期だった人たち)からよく言われたものだ。

「なぜ日本は、台湾を見捨てたのか?」

1972年、日本が中国と国交正常化をし、台湾とは国交断絶をしたことを指していたのだ。

わたしは、「すみません」としか言えなかった。

古老たちは、世界情勢のことをよく理解していた。日本にはその選択肢が合理的であったことも彼らは理解していた。

それでもなお、言わずにはいられなかったのだろう。

「なぜ、日本はわれわれを見捨てたのか?」と。

日本人は「怜悧」であるとそしられても、何も反論できまい。

今、両国ともに戦前を知らない世代がほとんどを占めている。戦後の台湾を統治してきた中華民国は、長年国民党支配だったことから、「中国は一つである」という概念が公式にはまかり通っている。

台湾人も、多く誤解していることだが、2%の山岳民族を除けば、あとはすべて漢民族であると思っている。

これも国民党による教育の「成果」だと言えるかもしれない。

しかし、実際には87%の台湾人(自分を漢民族と思っている人たち)が、DNA解析によれば、山岳民族と同じ系統を持っている。

つまり、戦後、蒋介石とともに大陸から逃亡してきた中国人(漢民族)だけが、純粋の意味で漢民族であり、土着の台湾人たちは実は漢民族ではないということが明らかになってきている。

それもそのはず、清朝の時代から、台湾は疫病が多く、化外(文化果つる地)として阻害され、事実上放棄していたのだ。

中国にとっては古来、台湾が海賊(倭寇と呼ばれた)の根拠地になることだけを排除していたのであって、積極統治は避けていたというのが実体だ。

したがって、台湾に移住したその頃の漢民族は、数千人から数万人規模であり、彼らは家族帯同を許されず、男子のみであった。

土着の台湾人との間に子供が生まれていくうちに、結局漢民族の血統はどんどん薄まって行ってしまったということだ。

歴史的にも、DNAからも、台湾人のほとんどは非漢民族であるというのが、ようやくにして現在わかってきた事実である。

戦後台湾に逃亡してきた漢民族やその子孫たち(現在総人口の13%)も、戦後の長い期間を通じて、次第に台湾化していったことだろう。

もちろん、あくまで台湾は中国の一部であり、漢民族だと主張する人たちもそれなりにいるわけで、その意見を無視するわけにはいかないが、全体として台湾が向かおうとしている道があるとすれば、一番自然なことは、やはり台湾という独立国家の模索なのだろうと個人的には思っている。

中国大陸において、今、中国共産党体制が大きく揺らごうとしている。

香港は、「天滅中共、香港独立」(天が中国共産党を滅ぼす)をスローガンに抱える自由・民主化運動に変容しつつある今、ことと次第によっては、台湾が独立という最後のカードを切る日は近いかもしれない。

それが、青天白日旗であろうと、新たに掲げられる旗であろうと、どちらでも構わない。

歴史的経緯や、DNAの真実も、この際横に置いても構わない。

はっきりしていることは、台湾人の総意が独立を志向するものであれば(そうだとわたしは思っているが)、日本はそのときもやはり、中国の肩を持つのだろうか。

1973年の夏、台南の安平古堡の公園。
照りつける熱帯の陽光を避けて、檳榔樹の木陰で将棋を打っていた台湾人の古老たちから言われた、「なぜ日本は、俺たちを見捨てたんだ」という言葉が未だに突き刺さる。

日本は、二度、台湾を見捨てるつもりだろうか。