リベラル・エリートを信じるな

政治・経済

これは467回目。
日本ではにわかに大阪を中心としてチャイナ・ウイルスの感染再拡大の様相を呈しはじめている。
大阪ばかりではない。
1年延期となった東京オリンピックですら危ぶまれてきそうだ。

ウイルスへの対処法は、治療薬開発に限る。
にもかかわらず、内外政府はひたすらワクチン開発と国民接種に狂奔してきた。
予防よりまず、今死にゆく人々を救済することのほうが圧倒的に優先順位が高いにもかかわらず、そこにヒドロキシクロロキンという長年汎用されてきた既存薬が特効性を有しているという事実がありながら(トランプ大統領も、感染後これ一発で、3日目に回復している事実を見よ。)、これをひたすら政府・メディアともに封殺してきたのは一体どういうわけか?
治療薬より、ワクチン開発に関係者の利害が絡んでいると疑われても致し方あるまい。

いまだに、メディアでは連日のようにウイルスの問題ばかりを取り上げ、これでもかこれでもかと問題の大きさを喧伝し続ける。
もっと重要なことがいくらでもあるのに。

たとえばウイグルにおける人権弾圧(ジェノサイド)だ。
欧米は相次いで中共に対する経済制裁を始めている。
日本の政府とメディアは及び腰だ。

先日も公明党の山口代表が、「情報収集の能力もないし、証拠がない以上、経済制裁などしては、重大な外交問題を引き起こしかねない」と述べていた。

情報収集の能力がないのであれば、欧米が入手した情報を共有すればいいだけの話ではないのだろうか。一人や二人の弾圧という話ではない。数百万の人間が強制労働や強制不妊手術、生体臓器売買の犠牲者となり、弾圧されているのだ。
生体臓器売買の犠牲者だけでも、一日平均10人はくだらない。毎年でこぼこはあるが、年間3000-4000人の犠牲者数というのは2000年から2006年の「国家統計」から割り出された数字だが、その後もまったく減っていない。どころか増加しているくらいだ。

争点になっているのは、国際的なアパレル業者の対応である。

H&Mは、ウイグル人権弾圧を批判し、これによってアリババ集団などの大手ネット通販から閉め出された。
恐れをなしたZARAは、ウェブサイト上から批判声明を削除した。

無印良品では、日本本社はウイグル人権弾圧を憂慮する旨の声明を出したが(口で言っただけで、なにも行動していない)、中共分店はあいかわらず、ウイグル綿を積極販売している。

ナイキやユニクロなどは、だんまりを決め込み、沈黙を守っている。

これが、企業倫理という鏡に映った各社の対応だ。

話がそれた。
ウイルスの問題だった。
ということで、日本のメディアでは依然としてウイルス脅威論ばかりが炸裂している。

ようやく最近、緊急事態宣言は解除されたものの、夜の営業を長いこと停止させられた業界のダメージは覆うべくもない。
夜の業態(飲食など典型的だが)は不必要で、昼の業態は必要だというのであれば、国民の財産権と職業を選ぶ権利を保障した憲法違反の規制であろう。

アメリカも、日本も、欧州も、政府の規制に従わなければ罰則で報いた。
リベラル(社会主義)がはびこる西欧社会では、因果関係や相関関係の薄弱な「科学的結論」に従うことを強いられている。
その挙げ句が、結局感染者や死者の増加であるから、とんだお笑い草だ。

リベラルというのは、科学に基づいた理想を掲げるだけに始末が悪い。
彼らは、自分たちこそが英明なる統治の資格があり、国民は愚かだという前提に立つ。

だから、彼らと違う反対意見はすべて「非科学的」であり、「陰謀論」であり、「間違っている」とし、議論の余地などない。リベラルが蔓延する社会には、民主主義など育たないのである。

ドイツでは、ロックダウンに不満を持つ市民の抗議活動が絶えない。連邦議会でも、メルケル首相のロックダウンの主張にヤジが飛んだ。
メルケル首相は、「わたしは啓蒙の力を信じている。科学的知見への信仰が支えだ。」と言い放った。
そうなのだ。彼らの独善的な、科学的データに基づかない(あるいは捏造されたデータに基づく)信仰に従えというのだ。
そうだ、信仰である。
リベラルは、自分たちの主張を、国民に対し「宗教のように信じろ」というのである。

フランスのマクロン大統領も同じ。
アメリカのバイデン自称大統領や民主党も同じ。
日本も、悲しいかな、同じである。

怪しい宗教団体となにも変わらない。
それがリベラルの正体である。

リベラルは、一般大衆がロックダウンや緊急事態宣言に協力せず、無責任だと言う。
日本のメディアもその論調だ。

さすがに日本は、欧米ほどの感染者数・死者数がないので、ロックダウンというところまではまだ行っていない。
が、ここから第四波の感染再拡大が押し寄せたら、どうなるかわかったものではない。

ロックダウンは効かないのである。
アメリカでもっともロックダウンが厳しく施行されたカリフォルニアと、もっとも緩いフロリダで、ダメージが変わらないのを見れば明らかだ。
ロックダウンが効くのは、初動も初動、感染流入するかしないかという時点だけである。
一旦感染が流入してしまったら、もはや百害あって一利なしだ。

ロックダウンによって、ますます個人営業や中小企業は不必要に倒れていく。

そんなことより、いわゆるリスクを最小化する「ハーム・リダクション」を採用すべきだという論調は、保守系から出ている。

たとえば、性病感染拡大を抑える目的で、コンドームなどの避妊具を無償で配布するようなことと同じだ。
あるいは、麻薬常用者に、注射針の使い回しを防ぐため、消毒済みの新しい注射針を供与するようなことも同じだ。

マスク着用やソーシャルディスタンスなど、奨励するのはいい。
しかし、もはや規制となると論外である。

経済活動の足を引っ張るような、あらゆる規制は排除されるべきだ。

理性や知性や科学によって救われなければならない一般国民が、それらの狂信的独裁によってむしろ苦しんでいる。

ちょうどそれは、かつて魯迅が『阿Q正伝』で書いた、「国民を救うための革命によって、国民が真っ先に血祭りに上げられていく」という悲劇と同じだ。

リベラル(左翼、全体主義)という専制思想は、国民の犠牲をいとわない。口では国民の利幅のためと口上を述べる。しかし、実体は、狂った彼らの信仰を守るため、自分たちの利益を守るため、そして権力そのものを守るため、かれらはすべてを犠牲にする。

リベラルという専制的全体主義が、なぜ、ワクチン開発にばかり狂奔し、治療薬に同じかそれ以上の資金とエネルギー、支援を行わなかったのか。

その裏の事情がいつの日か明らかになることもあるだろう。
リベラルの大罪が暴かれる記念日となるに違いない。



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