そして、彼らは歴史から置き去りにされる
これは363回目。アメリカに挑戦しようとする大国は、ことごとく敗れ去ってきました。中国は、「自分こそがアメリカにとって代わる」という意思を見せた途端、アメリカの逆鱗に触れて、現在の状況に陥っています。数が多ければ、国土が大きければ、世界を支配できるというものではないのです。
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足元で行われている米中協議がいったん合意に達して、アメリカが矛を収めたところで、それは次の注文への休戦期間にほかならない。なぜなら、アメリカは19世紀にフロンティアが消滅して以降、一貫して、太平洋を西を目指した。
それまでの騎兵隊と幌馬車が、航空機動部隊と海兵隊にとって代わり、今またそれはITの知財という先鋒に入れ替わりつつある。ラストリゾートは言うまでもなく、中国という巨大市場であり、そこで利益を享受することにほかならない。
日本はそこで、アメリカの行く手に立ちはだかってしまったのである。その結果が、1945年昭和20年8月15日の敗戦である。
第二次大戦に至るまで、日本の対外戦争のほとんどは(全部とは言わない)、徹頭徹尾、北から迫るソビエト共産主義国家と、中国国内に蔓延しつつあった中国共産主義に対する、自衛戦争以外のなにものでもなかった。それは、マッカーサー元帥が、日本占領から帰国後、連邦議会で行った「日本は、自衛のための戦争を行った」という演説で、明確になっている。
今、アメリカは、かつて日本があれほどこだわった自衛のための緩衝地帯・後背地(ヒンターランド、朝鮮半島と満州)の確保と、同じ道筋を歩んでいる。しかも、皮肉なことに、日本が失った満州、朝鮮半島より遥かに後退した、38度線以南までしか、アメリカは失地回復できていないというのが、現実である。アメリカは、一体あの太平洋戦争で、得をしたのか、損をしたのか。
中国大陸進出をするのに邪魔な日本を撃破したはいいものの、肝心の中国は言うことをきかない共産主義国家になってしまい、大誤算である。おまけに、日本が制圧していた地域すら、アメリカは手中に入れていないのである。
今、もう一度、この中国を「取りに行く」ことを、アメリカは考えている。一度アメリカに標的にされたら最後、中国には自由な選択肢はない。とめどもない後退戦術しか残されてはいない。
日本にとっては、こうした地政学上の大きな転換は、ある意味、改めて日本と言う国と、その歴史を構築しなおすチャンスでもある。アメリカは、韓国がどうにもならないくらい、北朝鮮や中国のただのメッセンジャーボーイに堕落してしまった以上、極東では日本の橋頭保としての位置は、かつてないほど高まってきているからだ。
アメリカが中国・ロシア包囲網において、頼みにしているのは、明らかに、極東では日本、東南アジアではベトナム、そして南アジアではインドである。
これまた皮肉なことに、ベトナムは、日本軍と同じく、さんざん米軍が苦しめられた相手である。そしてベトナムとインドは、アジアでも屈指の親日国家なのだ。
インドの首相が、各国の元首のインド訪問で、自ら空港に出迎えるのは、誰であろうか。ロシアのプーチン大統領や中国の習近平主席が訪印した際には、当然のように出迎えに行っていない。
インドの首相がわざわざ空港までいって出迎えるのは、英国女王、米国大統領、そして日本の天皇皇后両陛下、これだけである。このインドの対応というものが、アジアにおける日本という国家の歴史的な意味を、鮮明に表している。つまり、西洋列強に対して、唯一、武力で公然と戦い、解放に寄与した国家であるということにほかならない。
1840年の阿片戦争、1877年の英領インド帝国成立以来、西洋列強の帝国主義に正面切って戦いを挑んだ国は、日本以外に一つもない。これは、事実である。わたしなどがそう言ったところで、つまらない反論がでてくるだけだ。アジア人の日本というものへの評価を、アジア人の発言によって確認してみよう。
かつて、インドネシアにアリ・ムルトポという将軍がいた。1924年生まれ。インドネシアを大きく経済発展させたスハルト長期政権の水先案内人となった、情報(スパイ)畑の陸軍中将である。(すでに1984年に亡くなっている)
このムルトポ将軍が、1973年昭和48年、マニラで開催された、ASEAN諸国中心の安全保障の国際会議に出席したときの逸話が有名である。
会議が始まると韓国代表が演説した。
「日本帝国主義が三十数年間も韓国を侵略したために、韓国は防衛体制が確立できなかった。その責任は日本にある」。
日本側はこれに何も言わなかった。こういうときに、黙っているのが日本の政治家や官僚の、最悪の欠点である。
するとインドネシア代表のムルトポ将軍は、憤って発言した。
「韓国は日本の庇護の下で日本人として生きてきたくせに、日本が戦争に負けたとたん戦勝国民だとうそぶき、独立戦争を戦ったと嘘を言う。」
第二次大戦後、日本に帰還せず、インドネシアに残留した日本兵2000人とともに、オランダからの独立戦争を戦ったムルトポ将軍は、韓国代表の性根が我慢ならなかったのだろう、立ち上がって韓国代表を糾弾し始めた。このときのムルトポ将軍の長い発言をそのまま引用してみよう。そこにすべては言いつくされている。
「韓国人は自ら戦わなかったのに、責任を日本に押し付けるとはどういうことか。もしアジアに日本という国がなかったと仮定してみよ。1899年の義和団事件以来、ロシアは満州に大軍を駐留させ朝鮮を狙っていた。朝鮮が戦わないから日本が戦ったのだ。これが日露戦争だ。朝鮮は日本が敗けると思って裏でロシアと繋がっていたではないか。もし日本が戦わなかったら朝鮮はロシア領になっていたことは間違いなかった。
ロシア領になっていたのは朝鮮ばかりではない。中国も北半分はロシアが支配し、揚子江以南はイギリスとフランスが支配しただろう。遅れて登場したアメリカはどうやって中国大陸に食い込むか企んでいた。
そもそもアジア混迷の遠因は中国にある。中国はアヘン戦争でイギリスの不当な要求に屈して簡単に降参してしまった。その時中国はなぜ徹底して戦わなかったのか。 “中華”と誇る中国が不甲斐なく敗けたから、日本が大東亜戦争を戦わざるを得なくなったのではないか。この責任は中国にある。
そもそもアジアで戦ったのは日本だけではないか。もし日本という国がなかったらアジアは半永久的に欧米植民地勢力の支配下に置かれていたのではないか。しかも、戦後、アジア諸国は、戦争で大敗したはずの日本から経済、技術、資金でいかに多くの支援を受けたのだ。その事実まで無かったとあなたは言うのか」と言った。
韓国代表は沈黙したそうである。歴史は、やはり修正されなければならないのである。さもなければ、彼らのほうが歴史に置き去りにされてしまうだろう。