ゲオポリテーク~中国が抱える爆弾

歴史・戦史


これは86回目。地政学(ゲオポリテーク)のことです。疑似科学とも、似非(えせ)科学とも評されますが、まったく根拠のない妄想ということでもないように思います。歴史が、そう教えているからです。

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地政学という。およそまともな学問とは認められていない。その割には、妙に取り上げられることが多く、実際、現実もこれに沿った動きをすることも多い。

もともと、地理と政治・軍事の関連性を研究したのは、古代ギリシャのヘロドトスであると言われる。その著作「歴史」では、民族の命運が地理的環境と深く関係しているということを、ペルシャ戦争の研究で述べている。

より体系的な研究をしたと言われるのが、18世期ドイツの哲学者カントだ。その後、トライチケ、リスト、フンボルト、リッターに継承され、20世期にはハウスホーファー(ドイツ陸軍将校)によって、「国家は国力に相応の資源を得るための生存圏(レーベンスラウム)を必要とする。」といった、大陸国家系の地政学の説を唱えた。

これに対して、英米などでは海洋国家系地政学の系譜がある。19世紀の米海軍将校だったマハンがシーパワー(海上制圧力)理論を打ち出した。日露戦争の高級参謀・秋山真之は徹底して、マハンに直接師事し、海軍戦術を学んでいる。さらにその後、英地理学者のマッキンダーは、ユーラシア大陸の中央部(ハートランド)を制するものが世界を制すると主張して、反ロシアを説くランドパワー理論を構築。

20世紀には、大陸と海洋という二元論で考えるのは、乱暴で単純化しすぎるとして批判が出た。これによって、大陸縁辺部(リムランド)を定義した。実際、この大陸の縁辺部分で、朝鮮戦争、地中海東岸の中東、ベトナム戦争などといった局地的かつ大規模戦争が発生した。

日本でも、昭和のはじめに、小牧実繁が「日本地政学宣言」を著し、いわゆる「大東亜共栄圏」の概念を形成していった。

どうしても、軍事行動に密接にかかわり、利用された経緯があるため、いわゆるアカデミズムではこれを擬似科学として、差別化したいのだろう。現実問題、世界の権力はこの地政学を自己正当化の理論にしてきたし、今も厳然としてそうである。

戦後、日本でこの地政学が一躍脚光を浴びたのは、1985年・昭和52年、亜細亜大学の倉前盛通(もりみち)教授が日本工業新聞社から出版した「悪の論理」だ。ビジネス業界で、ベストセラーとなったが、その内容の凄さは当時まだソ連が厳然として存在していた時期、20世紀中に、ソ連の崩壊を予言したことにある。

当時、ソ連はゴルバチョフ登板の前であるから、経済的には末期的症状をきたしていた。1979年にアフガン侵攻したソ連は、抵抗するムジャヒディン(聖戦を遂行する者、民兵)相手に10年の長きにわたる泥沼の戦争に国力も経済も疲弊しきっていた。

ソ連内部でも、サハロフ、ソルジェニツィンといった反体制知識人が国外の勢力の支持を得て、改革を訴え、ことごとく共産党によって弾圧されていた時代だ。

ところが、倉前の指摘は、経済的困窮や人権弾圧、言論弾圧といったものがソ連崩壊のトリガー(引き金)になりうるとはいえ、根本的には20世紀中に、ロシア人と非ロシア人の人口バランスが逆転することから、おのずと自壊作用を起こし、分裂していくということを予言したのである。

実際、ゴルバチョフ書記長が登板し、「開かれたソ連共産主義体制」は、ものの見事に自己崩壊に拍車をかける結果となり、鉄のカーテンは音を立てて分裂崩壊していくこととなった。「悪の論理」初版の1985年というのは、ゴルバチョフ政権が成立し、ソ連の改革・刷新を掲げ、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を推進した年である。そして6年後に、ソ連が崩壊する。

現在、ロシアがクリミアのロシア編入に執拗な、そして露骨な意図を見せているのも、この地政学的根拠があるからにほかならない。「不凍港確保の願望」というロシアの地政学的遺伝子がそうさせているのだ。

地政学では、「大陸・内陸国家が海洋に進出すると、命取りになる」という原則がある。大陸国家で、海洋制覇に成功したのは、歴史上唯一の例外としてアメリカがあるだけだ。ロシアは、長年これをトライしてはことごとく失敗してきた。

同じことは、中国のような大陸国家にも言える。しかも、中国という地政学上の位置づけは、緩やかな盟主としての君臨支配(作封体制)がその遺伝子であり、その限界域を超えた膨張主義というものは、まず成功確率が無いといってもよい。すでに、自分の自重だけで、共同体を維持するのが精一杯というのが、中国という世界観の歴史的な宿痾(しゅくあ)であった。

習近平国家主席が、以前、オバマ米大統領との会談で、太平洋を米中で二分割しようと切り出して、一笑に付されたこと覚えておられるだろうか。この地政学上の「無理」というものを押し通そうとするとき、それがいかなる事情があるにしても(国内不満を、対外問題にそらしてガス抜きするためのものだとしても)、けっきょく自己分裂・自己崩壊を誘引するという地政学上の経験則がある。

今、世界の金融市場はクリミア情勢に釘付けだが、地政学的には、より大きな危機が起きようとしているのは、すでに一度分裂してしまったロシアではなく、これからその大分裂の危機に直面しようとしている中国のほうかもしれない。

経済や金融は、極端なことを言えば、対処療法で、その場しのぎにせよ、接木(つぎき)をしながら「持たせる」ことができる。相場は循環であるから、時間はかかっても回復するときは必ず来る。それが「日柄」という概念だ。

しかし、そうした対処療法がまったく効かないのが、この複合国家の分裂という地政学的なリスクである。長年にわたるチベットの独立問題に加え、ウィグル族も直接行動に出始めたということになると、少数民族居住区でざっくり線引きすれば、およそ国土の半分が分裂するリスクを内包していることになる。ソ連崩壊後も、ロシアが圧倒的大国で存続したのに比べると、とんでもない過激な分裂が予想されてしまうことになる。

中国という国家概念は、そもそも歴史的に無かったのだ。中国とは、国家ではなく一個の世界観であった。さまざまな国家が中華皇帝の下に予定調和していたのが、作封体制である。朝鮮やベトナムもその体制の中にあった国だ。(日本は、これに組み込まれるのを拒否し続けてきた経緯がある。)

だから、その皇帝が漢民族であろうと、あるいは満州族(清朝)であろうと、モンゴル族(元朝)であろうと、どうでもよかったのである。この中華という世界が、数千年の歴史に終止符を打ちはじめようとしているのであろうか。

人口的には圧倒的多数派の漢民族は、正直なところ、これまで少数民族を甘くみていたフシが無いとは言えない。この問題は、従来わたしたちが懸念していたような、中国経済の失速や、金融市場におけるデフォルト(債務不履行)が多発するのではないかといった問題や、執拗な反日運動など、吹き飛んでしまうほど桁違いに深刻な問題だろう。

しかも、ソ連が崩壊したときには、倉前が指摘したように、人口バランスの逆転という力関係の崩壊が直接的原因だったが、中国が直面している問題はそうではない。むしろ逆である。

そもそも12億とも言う、国家の自浄作用を超えた規模であることが問題なのである。漢民族生存圏自体が、分裂し、大幅な自治権によって施政しなければ、制御不能な規模であるということが問題なのだ。ここでは少数民族問題すら、分裂崩壊のトリガーでしかない。

巨大なダムに今、小さな亀裂が入っているのだろうか。しかし、それは、中国共産党体制にとって、核のボタンに匹敵するインパクトがある。



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