神や仏の異議申し立てを聞け。

宗教・哲学, 文学・芸術, 歴史・戦史

これは451回目。

非常に不思議なことがある。
昔からこのことが気になって仕方なかったのだ。

天皇というものを考える場合、どういうわけか、天皇=神という公式がほぼ不文律のようにあり、天皇制に対して批判的な見方も常にこの公式に対する批判に終始している。

三島由紀夫の「文化防衛論」なども、大学の頃にずいぶん読み返したのだが、この図式で全学連と1対100の討論を繰り広げている。

どうなんだろうか?

わたしには、まったく片手落ちの議論の応酬にしか見えないのだ。

天皇=神の文化概念というものは、原始大和朝廷(出雲系、スサノヲから饒速日=ニギハヤヒに至る血統)と、平安初期の天皇家、そして明治維新後の「万世一系論」以降だけだ。

その間、1300-1400年というものこそ、日本の精神文化が揺籃し、成長し、成熟していった、一番長い歴史のはずだ。
この長い、それこそ本当の日本という国の形が完成していった長い期間には、およそ誰も(天皇自身も)、天皇=神という単純な認識は持っていなかったのだ。

その間というのは、一体どういう公式だったか?

天皇=神=仏教である。その基底となっていたのは、まごうことなき「密教」である。
これによって、日本の霊性(神道といっても良い)と、外来文化の仏教とが、見事に神仏習合し、あたかも一つの価値観にまで高められていったのだ。

そうなのだ。

天皇というものをいろんな人がいろんなことを言ってきたが、たいていはこの仏教というファクターをまったく無視して議論してきたのだ。
三島にしてそうである。
ほんとうに、彼は日本の精神文化というものを理解していたのか?

いわんや、天皇=神という公式を、目の敵にして批判する戦後の「意識高い派」の人々も、根本的に日本文化の姿というものをまったく理解しないで、空虚で架空の前提を巡ってひたすら批判しているだけのようにしか見えない。
つまり、無駄な議論ということだ。

仏教伝来が538年(日本書紀によれば552年)から、国家神道に意図的に捻じ曲げられていった明治維新(1868年)あるいは、廃仏毀釈が行われるまでの1300-1400年間こそが、本当の日本の自然な姿だったのだ。
その前は、純粋であったがまだ「かたち」が出来上がっていなかった。
その後は、まったく魂のない国家神道という怪物であり、政治の道具でしかない。
ましてや、敗戦後、現在に至るまでは、そもそも日本とはなにかという前提すら、忘れさられてしまっている。

そうなのだ、仏教なくして日本とはもくそもないのである。

天皇ご自身が、1000年以上も、即位灌頂において、印を結び、真言(マントラ)を唱えて、「神仏」の加護を頼んだのである。

考えてみればよい。

茶道もそうである。武士道というものもそうだ。能や歌舞伎などの演芸も、根底には深い仏教的世界観が息づいている。
絵画にしてもそうだ。
日常生活の習慣というものも、その元をたどっていくと、往々にして仏教教義にたどり着くものばかりだ。

つまり、仏教という世界観なくして、日本を語ることは不可能だということだ。

にもかかわらず、この視点が日本の文学にも、社会・経済論においても、天皇制という国体を巡る議論にしても、まったくなおざりにされてきたというのが実情だ。

仏は泣いている。
神は、仏から切り離されて、不自由している。
1300-1400年にわたって、神仏は同体だったのである。
寺と宮は二つで一つのセットだったのだ。
切り離すことなどできなかったのだ。
それが日本文化の実相にほかならない。

それに気づかない日本人というものは、はたして日本人という自覚があると言ってよいのだろうか。

日本人の「ようなもの」でしかなく、だからいつまでたっても、インターナショナルになれない。
いつになっても国際人になれないのである。

日本を知らずに、世界と渡り合っていけると思うほうがどうかしている。

そろそろ日本人は、神や仏の苦悶に満ちた異議申し立てを聞け。