ほんのささいなことに・・・
これは355回目。
実は、何十年もずっと不思議に思っていたことがあるのだ。
ほんのささいなことなのだが。箸の置き方のことだ。大学を出て、中国大陸へ頻繁に出張するようになってから、ふとある日気がついたのだ。
どうして、中国では箸を縦に置くのか?
考えてみれば、学生時代、夏休み全部をつかってグレイハウンドで回ったアメリカでも、ナイフやフォークを、縦に置いていた。
アジアのそのほかの国々を回ったときも、記憶にある限り、すべて縦置きだった。
横置きにしているのは、日本だけかもしれないと思ったのだ。
以来、思い出すごとに、人に聞いたりもしたのだが、満足の得られる回答を聞いたことがなかった。
中国では、大昔は横置きだったという説があるらしい。肉食が盛んになってから、縦置きになったという説なのだが、あまり説得力がない。変化した合理性がわからないのだ。
俗説では、中国では基本、円卓で料理を食するので、自分の手前にある取皿に料理を取りやすいように(箸が邪魔にならないように)右端のほうに箸を縦置きにしているというのだが。
それもなんとなく、わかったようなわからないような感じだ。
ただ、この説が、いわゆる食事をするときの中国人の行動原理に基づいて解釈しようとしていることだけはわかる。
それでも、箸を手前に横置きにしていて、そんな邪魔だろうか? などとも思ってしまうのだ。どうもその理由もしっくりこない。
そんなささいな話なのだが、このつまらない小さな疑問が、ずっと何十年も喉に突き刺さったような感じで、どうにも不快感を引きずって生きてきた。
と、つい最近のことだ。なにで読んだのか、すっかり失念してしまったのだが、はっと気付かされる一文を目にした。
その文章は、日本における箸の置き方が横なのは、「結界」だからだ、という説である。
これは何十年ものわたしの疑問が、一発で雲散霧消した。
そうだ、結界なのだ。
箸の向こう側は、死の世界である。
箸のこちら側は、生の世界である。
生きているわたしは、生き物を(植物であれ、動物であれ)殺して、それを料理して、目の前に置いてある。
そして、わたしは、その生贄に供された「かつて生きていたもの」に対して、申し訳ないと思う気持ちと、ありがたやと思う気持ちを込めて、「いただきます」と呪文を唱えるのである。
その結界が、箸に違いない。
この仮説は、本当かどうか知らない。が日本の精神性の独特な側面を、もしかしたら非常に明快に、鮮烈に示している習慣かもしれないじゃないか。
だから、「いただきます」という表現(呪文)は、世界のどの言語にも無いのだ。
食器を、結界として横におく国がどこにもないのと、これは完全に符号している事実かもしれない。
ほんのささいなことだ。が、そこには意外にその民族の本質が見え隠れしたりするものだ。これももしかしたら、そんな一例かもしれない。