アニーに騙されるな

政治・経済, 文学・芸術, 雑話

これは423回目。4月11日のこと。

たまたま夕食をとっていたとき、家人がテレビをつけていました。それを見ようとしていたのではなく、ただ流しっぱなしにしていただけなのですが、(4月11日)日本テレビの「世界一受けたい授業」という番組で、大変有名なミュージカル「アニー」を取り上げていたのです。しかし・・・

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なんとなく聞き流していたのだが、だんだん腹が立ってた。「アニー」という演劇自体をくさそうというつもりはまったくないのだ。そこは誤解しないでほしい。

わたしは、ミュージカルというものに昔からあまり興味が無いのだ。一度観れば、いきなりころっとミュージカル好きになるかもしれないが、悲しいかなそういう機会を自分で作ったことがないだけなのかもしれない。

ここで書こうと思ったのは、「アニー」というミュージカルが傑作で、長年大いにファンを増やしてきたものだけに、「ああ、こうやって歴史というものは、無残に捻じ曲げられていくんだな」と痛感したためなのだ。

孤児のアニーが貧困の中で前向きに生きていく感動ドラマなわけだが、時代背景は1929年世界大恐慌による最悪期である。

問題は当時のフーバー大統領がことのほか、貶められているということだ。逆にその後を受けたルーズベルト大統領が偉大な大統領として祭り上げられていることなのだ。

これは、逆だろう。

わたしはそう思ってしまうのだ。もちろん日本人は、フーバー大統領のことはほとんど知らない。だから、「アニー」一つで、彼の評価が決まってしまっているに等しい。

ルーズベルト大統領は第二次大戦でアメリカに勝利をもたらした人物として、日本でもよく知られる。ファシズムの敵、デモクラシーの守護神というイメージであろうか。

こうした致命的な誤解というものは、当のアメリカ人ですら大半がそうなのだから、日本人がまともに「アニー」によってそう受け止められてもいたしかたないのだが、それにしても、こうした歴史認識の誤謬というものは一般人を「すりこむ」大きな効果があると、思い知らされた。

時代背景がそもそもおかしい。原作者のハロルド・グレイによって『アニー』が誕生したのは1924年。「ザ・リトル・オーファン・アニー(小さな孤児アニー)」という社会風刺漫画だったという。

1924年である。大恐慌前ではないか。グレイは亡くなるまで42年間も漫画を書き続けたということだから、その後の時代をすべて網羅していることは確かだが、それにしても、スタートは1924年である。

大恐慌1929年の5年も前ではないか。つまり、空前のバブル景気に突入していった頃である。

にもかかわらず、アメリカ経済の矛盾が貧困層を拡大させていたことがおそらくこの漫画を描いた根本的な動機だったのだろうと思うのだが。

フーバー大統領というのは、不運な大統領だった。大統領というのはブレーン次第である。ブレーンが最悪だったのだ。というより当時のどのアメリカ人も、29年に勃発した大恐慌をコントロールできなかっただろう。古典的、伝統的な経済理論しかなかった時代だ。恐慌に対する政治的免疫性はなかったのだ。だから、ことごとにフーバーは、今から思えば逆の政策を打ってしまった。

マネーの流通量を増やさなければいけないときに、金利引き上げをしてしまった。貿易量を拡大しなければいけないときに、高関税に引き上げてしまった。

ちょうど日本が1989年の暴落後、延々と「バブル潰しだ」などという大義名分のために、金融・経済の収縮にいそしんだのと酷似している。日本などは、未だにその傾向が、官僚社会には瀰漫したままだ。

フーバーの時代、アメリカ全土の金融政策の権能を一手に牛耳っていた連邦準備銀行ですら、(おそらくは意図的に)政権に対して非常に冷たく、「なにもしなかった」のである。

ほとんど放置したといっても過言ではない。落ちるところまで落ちてしまえ、とでも言わんばかりだ。

当時著名なマネタリストのフリードマンに至っては、この連銀の「無為、無策、無能」ぶりこそが、「ただの1929年の株価暴落を、世界的な金融恐慌に導いた」とさえ言っている。

元凶は、フーバー大統領だったというより、あの当時の連銀の、まるで悪意に満ちていたとしか言いようのないほどの、非協力的スタンスだった。

しかし、フーバーという人物はもともと貧しい家庭の生まれで、ディケンズの「デイヴィッド・カッパーフィールド」を愛読していたくらい、孤児の対策に熱心な人物だった。

1900年の義和団事件のとき、夫婦で北京にいた。妻のルーは慈善院で活動をしていた女性だが、北京が義和団暴徒に包囲攻撃されたとき、狙われたのは外国人居留民たちだった。

フーバーはこのとき身を呈して中国の子どもたちが巻き添えを食わないよう、バリケードを築き、暴徒襲撃から守った。

第一次大戦終了、ロシア革命後の欧州の経済混乱では、ソ連やドイツの人々に食糧支援を提供した。共産主義ロシアを助けているのではないかと非難されたとき、フーバーは、「2千万の人が飢えている。彼らの政治が何であっても彼らを食べさせるべきである」と言って支援を強硬した。

そういう人物である。

もともと鉱山技師であるから、経済オンチであった可能性もある。かなりの人徳なのであろう。大恐慌時代の失策で、二期目の選挙ではルーズベルトに敗れ、下野した。しかし、その後も戦後に至るまで、歴代政権から顧問として、アドバイザーとして、特使として頼みとされた人物だ。

戦後はトルーマン、アイゼンハワー、ケネディにいたるまで、その下で働き、歴代大統領はみなフーバーの意見を聞きたがった。ルーズベルトでさえ、「彼の下だったら、わたしは働いても良い」とさえ言わしめたほどの人物、それがフーバーなのだ。

相当評価の高い政治家であるべきだが、先述通り、非常に残念なことに、大恐慌時代の失策が、彼の名を歴史上、最悪の大統領として刻印を押される原因になっている。

ルーズベルトは、フーバーを破って大統領になったが、ソ連を結んで対独戦、対日戦を行ったことで、戦後長きにわたる東西冷戦に道を開いた最大の元凶である。

そもそも、大恐慌下で行ったニューディール政策は、失敗した。よく成功したという人が多いが、間違いである。一時的に景気は反発したが、その後結局、フーバー時代以上に悪化へと落ち込んでいったことを、みんな忘れている。か、見ないようにしている。「偉大な大統領」だからにほかならない。

だからこそ、ルーズベルトはもともと「欧州大陸の戦争には、アメリカは絶対に関与しない」という公約を抱えて大統領になったにもかかわらず、景気回復のために、軍需景気を欲し、積極的に第二次大戦へと突入していった。

それは大恐慌後の景気回復に失敗したからにほかならない。「アニー」はこのことを劇中で表現していない。あくまでフーバーは悪者、ルーズベルトは善玉という、単細胞な評価しかしていないのだ。

景気回復に万策尽きたルーズベルトが日本を挑発し、ドイツを挑発し、強引にアメリカを戦争へと駆り立てていったのだ。それもこともあろうに、資本主義とデモクラシーの仇敵であるはずの共産主義国家ソ連を、真っ先に承認し、これと連携して対日戦・対独戦を行った。

ルーズベルト政権そのものが200人にも及ぶ、ソ連のスパイによって構成されていたことも、「ヴェノナ文書」の公開で公然の事実となってきている。

戦争中、日本人の強制収容所という、ナチスがユダヤ人に対してやったのと同じことをアメリカ国内で実行したのも、ルーズベルトである。

ルーズベルトはスミソニアン研究所に、「日本人を南洋に全員分散・追放して、土人と交配させ、劣等民族にしてしまう方法はないかね」と真面目に問い合わせたような人物なのである。ヒトラーのお株を奪う人種主義者である。

これに対しフーバーは、真珠湾攻撃にさいしては、自国防衛の観点から対日戦には賛成したものの、そもそも日本と戦争をすることに大反対であった。「狂った大統領、ルーズベルトによって、世界大戦が引き起こされ、世界の民主主義が危機に瀕する事態」を憂えたのは、フーバーである。

フーバーは、「太平洋戦争は対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘している。開戦前の在米日本資産の凍結などの経済制裁については、「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語っている。

日本の戦争直後の食糧事情に関しては「日本国民に必要な食糧は、ドイツの強制収容所並みからそれ以下になるだろう」として、食糧援助をマッカーサーなどに進言し、マッカーサーはこれに従い大量の食料を日本に供給し、飢餓を食い止めた。

どうだろうか。

そんな詳しいことは知らないよ、と言われるかもしれない。それは良いのだ。ただ、わたしが昨日の日本テレビの番組をみて、非常に慚愧の念に耐えないのは、ああいう表面的なことだけで、フーバーはとんでもない悪い大統領で、ルーズベルトは素晴らしい理想的な大統領だという固定観念が、一般の市民に「すりこまれて」いくことなのだ。

おぞましい思いさえする。

この「アニー」が初めてブロードウェーで上映されたのはいつだろうか、と確認してみたら、1977年というではないか。この年は民主党ケネディ=ジョンソンによって始められたベトナム戦争がとんでもない泥沼化して、アメリカ社会が戦後最悪期に陥り、挙句の果てには歴史上初の「敗戦」となった後だ。

民主党の名誉挽回のために、「民主党ルーズベルトは善玉、共和党フーバーは悪玉」という「意図的なすりこみ」に、アニーが使われた形跡はないのだろうか。

そういうのはうがった見方だというかもしれない。

しかし、では「アニー」の初の映画化はいつだろうと思って調べてみた。1982年である。前年、共和党レーガン大統領が就任し、空前ともいわれる経済対策レーガノミクスを断行し、民主党によってもたらされたベトナム戦争の痛手から、アメリカは驚異的な復活を遂げていくことになる。

このとき、レーガノミクスをさんざんくさすために「アニー」を映画化させたのではないかと、人の悪いわたしは勘ぐってしまう。

なぜなら、ハリウッドといい、ブロードウェーといい、この興行の世界というのは民主党の強力地盤だからだ。

エンターテイメントという、もっとも理屈抜きで大衆に「ある意図」を「すりこむ」には格好のメディアなのだ。民主党というのはこれを握っている。

こんなことをつらつら考えながら、11日の日本テレビの番組を思い出すにつけ、「騙されるな」という思いを深くするのだ。