日本は、朝鮮半島で何をしたのか?

歴史・戦史


これは259回目。どうにかならないのでしょうか。あまりにも、中国と韓国における反日・嫌日・侮日行為や発言が多すぎます。ほとんど処置なしです。あまりにも、理解しがたい先入観、歴史の捏造や一面的な解釈に、正直辟易(へきえき)してしまう自分がいます。

:::

はっきり書いておこう。現在、世界中で、侵略戦争の謝罪や賠償を求めているのは、日本と戦争をしたことのない共産中国(中華人民共和国)と朝鮮半島(朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国)だけなのだ。日本が闘ったのは、アメリカと中華民国(中国国民党政権)だ。

在日韓国人は、母国(韓国)での一連の「常軌を逸した歴史的認識」について、どういう思いをしているだろうか。たいていは眉をしかめているだろう。辛い立場だ。彼らのことを考えると、どうにも現在の朝鮮半島のことを書くのは気が引けるのだが、そういうわけにいかないくらい、現地の反日的な世情というものは常軌を逸している。

こうした母国集団が、世界で笑いものになっている状況を横目に、アウェイの日本で生活をしている在日韓国人たちの、その苦渋を思うとき、個人的には心底気の毒な限りだと思う。

いきがかり上、あるいは前世代の事情や判断で、未だに日本にいる彼ら(とくに三世以降)は、かなり肩身の狭い思いをしているかもしれないが、それには及ばない。一部の心ない日本人はいるにしても、圧倒的多数の日本人は、在日者に対して歴史的経緯に基づくわだかまりなど持っていない。

わたし自身、これまでそう数は多くないが、在日韓国人・朝鮮人の友人が何人かいた。今、どうしているだろうか。そのことごとくが、脱帽するくらい「いいやつばかり」だったのだ。彼らの記憶を大事にしながら、ここで朝鮮半島の本国人たちについて、いささか辛辣な、しかし事実を書いておこう。

私はかつて日本が朝鮮で、あるいは国内で朝鮮人に対して良いことばかりをしたなどと言うつもりはない。ただ、事実は何であったかをはっきりさせたいだけだ。まともに韓国内で事実検証されている様子は、まったく見られない。それが、不愉快なのだ。

一つ一つ挙げていけば、きりがない。たとえば、朝鮮半島に限っていえば、植民地時代、韓国の各道の議員のうち多くを朝鮮人が占めていたことを、彼らは知っているのだろうか。日本人が政治を独占して圧制を強いていたと、頭から信じているのだろうが、歴史の事実を一つ一つ検証するということを、しようとはしないのだろうか。

私の手元に昭和8年の現地新聞のコピーがあるが、そこには忠清道の道議会選挙の結果を報じた記事が掲載されている。当選した議員の80%が朝鮮人である。そのため、朝鮮朝日新聞は、「これでは帝国の政策が、滞ってしまうのではないか」と批判的な記事の内容になっているくらいだ。朝鮮朝日新聞の論調は、「朝鮮は日本なのだから、朝鮮人をのさばらせるな」ということだ。

知事でさえ朝鮮人が多く、その下に100人単位の日本人官僚が働いていたことを、現在の韓国人たちは知っているのだろうか。各地域の警察にしてもそうだ。日本人の上司が朝鮮人であったことは、ごく普通に存在した。

ハングルも打ち捨てられていたものを日本人がわざわざ教科書まで作って教え、普及につとめて文盲率を激減させたこともそうだ。二言目には、「われわれは日本語を強制され、母国語を奪った」と韓国人は言うが、とんでもない話だ。

植民地時代、日本語教科書と、ハングル教科書の二つを日本は用意したのだ。その現物を私はこの目で見ている。韓国人が世界で一番美しく合理的な文字だと誇るそのハングルが、実は彼ら自身の手によって、李氏朝鮮の封建時代に「下等な文字」だと破棄され、ほとんど使われていなかった。日本人がむしろ取り上げて復活させ、全土に普及させたのだ。

李氏朝鮮は、王族・貴族の間では漢文を使用し、一般国民への教育は施されなかった。ハングルが簡便な表記文字であるため、普及させれば、朝鮮一般国民の民度や教育水準は一気に向上したはずだが、半ば奴隷制に近い支配をしていたため、このハングルの採用は闇に葬られたというのが事実である。

有名なところでは、福沢諭吉がこのハングルを知り、多数の日韓の学者を集め、現代朝鮮語の整備・統一事業を始めた。ソウル近郊の朝鮮語をベースに標準語をつくり、地域で意思疎通が難しかった全朝鮮半島で一律に通用するように図ったのだ。日本の朝鮮総督府は、最大5000の小学校を設立し、学校読本というハングル語教育を行なうことで、文盲率の撲滅を目指した。

「日本人はわが国の歴史を否定し、奪った」と言うが、この朝鮮総督府のつくった学校では、朝鮮の歴史を教えていた。当時小学校五年生用の歴史の教科書から引用してみよう。

「膽星台(たんせいだい)は7世紀、新羅時代の構造物であり、総高は29尺( 9.4m)に達し、世界的価値のある東洋最古の天文台である。」

「慶州は新羅の古い都、古くからの山河が無久の平和の地域をなし、994年間の王国の首都として栄えたのは偶然ではない。」

日本が、朝鮮の歴史を侮蔑し、抹殺したなどということは皆無であり、むしろ朝鮮の歴史文物の復権に努め、朝鮮人に自国と自民族の誇りを取り戻させようとしたのだ。

韓国の戦後の近代化は、こうした日本の植民地政策の基礎の上に成り立っている。「日本の統治がなければ韓国はもっと近代化し、発展していた」と韓国人は言うが、事実認識がそもそも間違っている。自力更生が不可能に近い状態であったからこそ、そしてそれがロシア南下の脅威を許していたからこそ、それにいらだっていた日本の帝国主義につけ込まれる隙が朝鮮にはあったのだ。

幕末から明治前半にかけ、中国はすでに西欧列強の植民地と化し、朝鮮も風前の灯であった。にもかかわらず、多くの有為の志士を、李氏朝鮮政府は徹底的に粛清して近代化の芽をつんだ。日本でも同じように、徳川幕府によって志士に対する粛清は苛烈を極めたが、志士の母集団である下級武士の多く、そして一般庶民の多くが、寺子屋などの普及によって、知的水準が高った。

朝鮮半島の志士たちが、いわゆる両班(貴族階級)ばかりであったのに対し、日本の志士たちは百姓町民からも多数輩出していた。この差が大きい。それはこの異常なほど当時のアジア世界にあっては高かった日本の識字率のおかげである。

日本がまさに近代革命をしようとしていた幕末、米国は南北戦争で、欧州はクリミア戦争で、極東の植民地争奪戦に注力する余裕がなかったのだ。この間隙を縫って、日本は焦りに焦って明治維新にこぎつけ、ぎりぎりで近代国民国家としての体裁づくりに間に合わせた。

同じころ、韓国では依然としてその危機感は為政者になく、国内のさまざまな勢力は、ロシアにすり寄り、清国に支援を仰ぎ、日本と連携するなど、ばらばらで、いずれも自身の力で革命を起こそうという動きにはならなかった。

志士は壊滅状態となっていた。国民は奴隷状態に置かれたまま、ただ暗澹たる日々をすごしていたのだ。近代化のきっかけをつかめない状態で呻吟していたというのが事実である。

とりわけ、弱体化していた清国も朝鮮半島には未練があったが、それよりロシアの貪欲な南下政策のほうが日本にとっては遥かに恐ろしいものだった・

朝鮮が、帝政ロシアに取られるくらいなら、日本が取ったほうがマシだと判断した日本の指導者たちの政治判断が間違っていたとは思わない。朝鮮半島がロシアに奪われれば、日本はこの恐るべき帝国主義の大国と、事実上国境を接することになるからだ。世界最強の海軍力を持っていたロシアに日本列島は完全包囲されるリスクが一気に増大するからである。

むろん、今の感覚から言えば、悪しき植民地支配であり、侵略であったろう。しかし、それは今だから言えることだ。当時の世界は、まさに帝国主義の時代であり、食うか食われるかの争いだった。それに対する意識のなさが、朝鮮半島のその後の悲劇の最大の原因だったというしかない。

韓国人は日本の朝鮮支配がなければ、とよく言うが、それでは問う。1868年の明治維新のような近代革命が、なぜ朝鮮半島に起こらなかったのか。日韓併合は1910年(明治43年)である。日本が死に物狂いで西欧列強に伍するため改革を断行し、ロシアの南下侵略を血みどろになって跳ね返した43年間、韓国はいったい何をしていたのか。

英仏による朝鮮半島への黒船は、日本のそれより5年も7年も早くから登場している。西洋列強の脅威が訪れてから、日韓併合に陥るまでの半世紀を、一体、あなたたち(韓国人)は何をしていたのか。そうした自国の歴史に対する反省もなく、「歴史への反省を忘れている」と日本非難を繰り返す人たちと、まともな会話をすることは難しい。

日本人によって、姓名を無理やり変えさせられた、というのも真実ではない。朝鮮では、もともと夫も妻も自分の姓をずっと名乗り続ける。自分の姓をとても大事にする伝統がある。これが彼らの言う本貫(ほんがん=祖先の発祥の地を指す言葉)というものだ。

しかし、それでは国勢調査でも、問題が生じる。そこで、一家に一氏を義務付けた。彼らの伝統習慣の姓はそのままにして、管理上、氏を一家で統一させたのだ。これが創氏改名である。しかも、日本式の氏でなくともよい。実際、当時の朝鮮人議員、日本軍属など、公式の文書には随所に、朝鮮名が堂々と記載されている。これが創氏改名の実態だ。

日本は、朝鮮に連綿と培われてきた、彼らの姓を台なしになどせず、そのままの残したのだ。近代国家として合理的な氏制度を、併用しただけのことだ。しかも、ふつうは朝鮮姓をそのまま氏に転用する人がほとんどであり、それにいちいち目くじらを立てたことはない。戦前の朝鮮における学校名簿や、議員名簿、軍人名簿など一度見てみたらよい。朝鮮式の氏名はざらにある。

慰安婦問題にしても然りだ。あたかも国家的組織的犯罪が行なわれたかのように言うが、まず考えられない。なぜか? 彼女たちはあまりにも高給であったから、強制などする必要がなかったのだ。ただ、農民などをだました人身売買などは横行していた可能性はある。

戦前の日本の警察、内務省などの内部文書が明らかになっているが、それによると朝鮮の婦女子をだまして、慰安婦所に売り飛ばす不逞の輩(やから)が活動しているようだから、徹底的に取り締まらなければならない、としているくらいだ。

1933年6月30日付けの東亜日報の記事がある。「朝鮮人による人身売買組織」が、誘拐した少女を中国人に売り飛ばしていたことが判明。日本警察によって検挙されたことを報じる記事だ。日本でも、朝鮮でもこうした事例はかなりあったと思われる。なぜか? 先述のように高給取りだからにほかならない。そこに巣食う、悪い連中がどうしても出てくるのだ。

当時大学の初任給が約20円という時代に、慰安婦は15倍の月収300円で公募集されていた。もちろん中には、人気があって、それどころではない稼ぎの女性もいたことだろう。実際、文玉珠という女性(自称)は、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万5145円(当時の金額)の預金変換の訴訟を起こしている。この女性は、元慰安婦だという。ざっと現在の価値に直すと、4000万円から5000万円である。3年間で「性奴隷」であった間に貯めていたものだ。「奴隷」がこのような多額の貯蓄を出来ると思うだろうか?

ここに面白い研究がある。米国の学者たちが、こうした慰安婦や朝鮮支配そのものを調査しているのだが、そのレポートでは1936年に朝鮮で行なわれた日本帝国政府の世論調査を引用している。それによると、当時の朝鮮人は、「朝鮮は独立すべし」と8.1%が答え、「朝鮮に有利な時期に独立すべし」が11%、「独立を諦める」が32.6%、「どちらでも構わない」が48.3%である。

別の調査では日本政府への姿勢について、「反日的」が11.1%、「改革を求める」が14.9%、「満足」が37.7%、「無関心」が36.1%だ。この学者は、当時の政府主導で行なわれた調査だけに、その解釈は慎重にすべきだとしながらも、この世論調査から、「朝鮮人民が当時、『つねに独立すべしと考えている』と正直に回答しても身に危険は迫らないと感じていたこと」が見えてくるのであり、「日本側が彼らのこうした回答を記録した点」こそ注目すべきだと指摘する。

現在の韓国人がその民族の衿持として、日本統治を快く思っていなかったとしても、それは当然だろう。ただ、当時の朝鮮人民が、かつての李氏朝鮮時代、あるいは大韓帝国時代に比べれば、遥かに「マシ」だったという感情を抱いていたことは、おそらく間違いないところだろう。

もっとも、この「植民地」という表現も正確ではないかもしれない。明らかに合邦・併合であって、西欧諸国が行なってきた植民地体制とはまったく異なる。なにしろ、英仏などの植民地では、被支配民族はまったく政治に参与できない奴隷状態に置かれていたわけで、朝鮮半島にしろ、台湾、満州にしろ、日本の統治はそうしたシステムとは完全に異質なものであった。むしろ、圧倒的多数の現地人による警察・立法・司法参加によって成り立っていたわけで、西欧的な植民地と言うのは根本的に異なっていたのだ。

こうして一つずつ事実を並べていくと、おのずから日本が朝鮮半島でなにをしてきたのか、その功罪とはなんなのかがはっきり浮き彫りになってくる。それを現在の韓国では、歴史というものをそうした科学としてではなく、国威発揚の道具にしてしまっていることが問題なのだ。これは中国でも同じことが言える。

これが近代以降の歴史のみまらず、もっと古い民族の始祖にかかわる歴史になってくると、ますます話が面妖なことになってくる。

たとえば、古代日本が朝鮮に支配地域を持っていたという伝承は、事実かどうかという話だ。従来は伝承として一顧だにされなかったのだが、どうやら事実かもしれないのだ。

俗に言う「任那日本府(みまなにほんふ)」と呼ばれるものだが、これまで物証がなかったために、ただの伝説だとされていた。韓国人にとっては、笑って取り合わない戯言(たわごと)に等しい。ところが、その韓国で、前方後円墳が発掘されたのだ。ご存知のように、前方後円墳は、日本独自の墳墓形式である。韓国にあってはならないのだ。

現在、前方後円墳が集まる全羅南道を流れる榮山江流域は、墳丘形態と円筒埴輪などの外部施設、甕棺(かめかん)による独特な埋葬法や九州北部でも発掘されている鳥足文土器による副葬から、この地域は周囲とは異なる文化を持つ地域であったことが見受けられる。

このことから、被葬者について、大和朝廷によって当地に派遣された官吏や軍人、大和朝廷に臣従した在地豪族、あるいは倭人系百済官僚であるとする見解や、いずれも倭国と縁のある東城王・武寧王に随伴した倭人有力者とする見解などが出ている。榮山江流域に倭人が住んでいたという説もある。

韓国では、古代文化は朝鮮半島から日本へ、一方的に移動したとする先入観が強い。日本人も案外そう思いがちだ。

さすがに韓国の考古学界でも、近年は前方後円墳を倭人の墳墓(ふんぼ)と認め、倭の軍事勢力が栄山江流域で活動していたという事実を認定した。その上で、百済に服属した倭系官僚がこの地を支配していたと、従来の観念から脱却しつつある韓国人学者も出てきているらしい。

朴天秀氏などは、韓国の前方後円墳が在地首長の墓を避けるように単発的に存在し、石室を赤く塗るものもあり、九州の古墳と共通点が多いことから、その被葬者は九州出身の豪族である可能性を提起している。また、当時の先進文化は韓国から日本に渡ったものであり、前方後円墳もその一つであるという認識が1980年代の韓国にはあった。しかし、それは間違いであり、韓国の前方後円墳は5世紀から6世紀に日本から韓国に伝わったものであると指摘している。

にもかかわらず、公式な発表では、話が捻じ曲げられた。韓国におけるこの複数の前方後円墳が発見された事実について、事態は次のように進展した経緯がある。

・韓国で前方後円墳が見つかった。
・内部調査をすることになり、日韓共同での調査チームが作られた。
・調査が進むうちに、日本の古墳より新しい物である可能性が高くなった。
・埋葬された人物が日本人である可能性が高くなった。
・韓国側調査団がこの事実の発表に待ったをかけた。
・韓国側が、「朝鮮の豪族に仕えていた日本人家臣の墓」として発表。
・内部調査及び発掘品の運び出しが終わり、元に戻される。

つまり、最終的には「なかったもの」として、埋め直してしまったのだ。開いた口がふさがらないとはこのことだろう。捏造や隠蔽、曲解も、ここまできてしまうと、ほとんど笑い話になってしまう。

実は韓国では、前方後円墳が見つかった時点で慌てふためき、どうしたものかと呻吟した結果、「前方後円墳の起源は朝鮮、日本に教えてやったのは朝鮮」としたかったのだろう。苦肉の策で、そういうシナリオを立てたのだ。

ところが、調査するうちに日本のものより新しく、しかも日本人の墓らしい、ということが分かってきた。これはつまり、朝鮮を日本人が支配していたということの証明になりかねない。墳墓というのは、その地の支配者しか造れないからだ。そんなことを発表したら、韓国では大問題になる。韓国にとって歴史研究と言うのは、事実の検証ではない。国威発揚のための裏付けでしかない(この点中国も同じである)ので、韓国に都合の良いことしか発表できないのだ。

しかし、日韓合同調査チームを作ってしまった以上、発表しないわけにはいかない。そこで日本調査チームに発表しないでくれと頼み込み、先に韓国側に都合の良い仮説を発表したというわけだ。そして、何食わぬ顔で調査終了とし、埋め直してしまった。さすがに学者の良心がとがめたのか、破壊はしなかったのだが。

韓国側の解釈は、「日本人の家臣がよく働いたので、朝鮮の豪族が褒美に日本式の墓を作らせてやった」というものだが、これは無茶といっていい。一基だけ出土したのなら、無理してそう考えなくもない。が、その後の調査で韓国には、まだまだ前方後円墳があり、続々と発見されているのだ。

そうなると、韓国側の解釈で言えば、墳墓を造ってもらえる特別重要レベルの日本人家臣がやたらといたことになってしまうわけで、そんな説が通るわけもない。韓国歴史学界は、この問題で頭を抱えているらしい。

そもそも、家臣レベルの人間の墓として、述べ労働人員10万人とも言われる大事業の前方後円墳を、果たして造るものであろうか。明らかに、支配的な地位、王族などの墳墓以外には考えられまい。

いいではないか、歴史的事実は事実だ。肝心なのは、それで今、自分たちはどうなのか、ということのほうだ。日本人は、歴史観においては、まじめな人ほど自虐的に過ぎるが、一方韓国人は、自大主義に過ぎる。

韓国に黒船が来航した1845年(英軍)、1846年(仏軍)まで遡り、そこから日韓併合の1910年に至る、彼ら自身の空白の60余年というものを、まず率直に振り返り、何が問題だったのかを真摯に検証することが必要だろう。過去の事実にまともに向き合えない文化に、けっして明日は来ない。これは、彼ら自身が日本に吐いた言葉だ。

余談だが、最近では韓国で国際部門で、「反日種族主義(李栄薫・元ソウル大教授)」が売れ行きトップのベストセラーになっているそうだ。わたしは読んでいないのでよくわからないが、従来韓国ではありえなかったような歴史認識の修正を求めているようだ。

言わば、歴史認識の壮大にして痛烈な自己批判ということらしい。(読んでいないからよくわからないが、世評を見る限りそういう内容のようだ)もしそうした書籍がベストセラーのトップを走っているとすれば、韓国人が事実を元に物を考え、判断していこうという歩みを始めたということなのかもしれない。そう期待したい。



歴史・戦史