近代の超克~選挙の無い国に、発言資格は無い。

歴史・戦史

これは260回目。中国の話です。この十数年、世界は中国に大いに揺さぶられてきました。世界の豚肉の半分を消費するこの国は、一体どうなっていくのでしょうか。

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ヘゲモニー(覇権)の持続期間は百年であると言われている。大帝国の隆盛と衰退の循環だ。

経済・社会・政策の循環は、一番短いキチン循環( 40か月平均の在庫循環)、ジュグラー循環( 10年周期の設備投資循環)、クズネツ循環( 20年周期の建設循環)、コンドラチェフ循環( 50年周期の技術革新循環)とされている。

それを上回る大きな波が、いわゆる覇権=ヘゲモニーだが、これは実際にはさまざまな周期説が説かれている。70-80年周期、120年周期、250年周期、文明にまでステージを引き上げれば、800年周期説など。

どれもそれなりに根拠はあるのだろう。が、百年というと、通りがいいのだ。それだけのことだろう。

この百年という尺度で歴史を計ってみると、たとえば大英帝国の覇権の場合、起点を1815年のワーテルローの戦いに置くことができるかもしれない。ナポレオン帝国の滅亡である。産業革命のスタートをいち早く切っていた英国は、最大の脅威であったナポレオンの打倒に成功したのが、1815年。そこから大英帝国の時代が幕を切って落とす。

栄光ある孤立を誇ったさしもの大帝国も、とうとうその衰退に歯止めがかからなくなったのは、第一次大戦とその後の1929年大恐慌である。結果、1931年昭和6年9月21日、大英帝国はついに金本位制から離脱。覇権は失われた。1815年から、116年である。

この覇権をバトンタッチしたのが、アメリカだった。といっても、大恐慌の発信源であっただけに、ダメージは大きく、ようやく世界の覇権を名実ともに獲得したのは、第二次大戦を終えてからだった。「黄金の50年代」と呼ばれたのが、そのパックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)の起点だ。

とするならば、第二次大戦が終了した1945年が覇権獲得の初年ということも言える。そこから仮にざっくり百年というと、2045年ということになる。大英帝国と同じ116年だとすれば、2061年ということになる。だいたい2050年前後と考えてもよいかもしれない。

ちょうど、この頃というのは、習近平主席がぶちあげている、中国が世界の覇権を握る百年計画とぴったり合う。おそらく、こうした覇権循環を念頭に置いたものだろう。中華人民共和国にしてみれば、1949年の共産革命成功から百年後を見据えたとき、アメリカの衰亡が顕著になっているであろうという仮説に立っている。

ところが、そうは問屋は卸さない。中国の取柄は、ただ数が多いだけである。大きいだけである。数の多さや、面積が広いということは、それだけで覇権獲得の要件にはならないのだ。むしろそれは自身に向く刃となってくる。それが盲点であり、そこが歴史を知らない浅はかさだといってもいい。

中国人は優秀だというのであろうか。民族に優秀性の差など無い。最小国家の一つ、チェコのほうが、中国よりはるかに国家としての自己完結性は勝っているといっていい。

数が多いこと、規模が巨大であること自体が強みであるなら、それなら、小国分立のギリシャが、なぜ世界帝国であったペルシャを打倒できたのか。(マケドニアのアレキサンダー大王然りである)なぜ、大航海時代、オランダのような小国が大英帝国と張り合えたのか。誰も説明がつかないだろう。

ただ数が多いだけ、大きいだけという要件だけで膨張した国家は、モンゴル帝国のように、あっという間に四分五裂し、歴史に一陣の風を残しただけで消えていった。中国もその轍を踏むであろう。

そもそも国民国家と言う近代の産物は、国家が有機的に存続するのに必須の自浄作用が機能している限りにおいて、初めて存在する。この自浄作用が機能の限界を超えた質量を持った国家は、持続性が無いのである。

アメリカは、2010年の推計では3億1000万人。見事に自浄作用が機能して大帝国を存続させているのには、仕掛けがある。それは、きわめて地方分権性が強いということだ。独立国家にしてもまったく不足の無い州制度の連合体が、「合衆国」なのである。しかも、民族・人種がばらばらである。この統一性の無い集団が、単一国家を最強の状態で維持させている最大のポイントだといってもいい。それは、インターネットによって、ほぼ最終型といっていいほどの域に達している。

中国にその真似ができるだろうか。彼らは、それとはまるで逆の中央集権的なベクトルを示した。およそ時代錯誤の共産主義を強調し、あろうことか国家企業・公営企業優先の方針を出し、徹底的な言論統制を敷き、限界を超えているにもかかわらず、さらに海外への膨張政策をとる。自滅への道を歩み始めてしまったといっていい。

それが、近年の共産党大会で明確になったのだ。その選択をした瞬間に、中華人民共和国は、やがて分裂して、ばらばらの独立国家になっていくことがほぼ運命づけられたといっても過言ではない。習主席は一世一代の大きな過ちを犯したことになる。

たかだか3億の人口のソビエト連邦は、共産革命後、わずか74年で解体してしまった。今や、ロシアは国土こそ広大だが、人口は1億4000万人。日本の総人口1億2000万人とさして変わりはしない規模である。だからロシアは今後も残る。もはや分裂は無いからだ。が、中国はそうはいかない。

中国の総人口13億人は、2011年の段階で、いわゆる都市部の人口が、農村部のそれを上回った。歴史上はじめてのことだ。もちろん僅差であり、ほぼ半々といっていい。そして、都市部の人口の3分の1が、いわゆる農民工である。農村部からの出稼ぎ・季節労働者である。

この農民工のかなりの部分がそのまま都市部に定住していった結果が、この人口バランスの逆転を引き起こした。経済学的に言えば、「ルイスの転換点」を超えたのだ。

ソ連の解体の最大の原因は、経済政策の慢性的な失敗(計画経済の破綻)はもちろんだが、国家分裂を引き起こすトリガー(引き金)は、ロシア人と非ロシア人の人口バランスの逆転であった。

中国は圧倒的に漢民族の人口が多いので、これが要因にはならない、と中国の指導者たちはタカをくくっているだろうか。そうだとすると、大きな誤解である。もっと厄介な問題があるのだ。それは共産主義でありながら、かつてソ連ですら発生しなかった、あまりにも激しい貧富の格差拡大が、同民族の間で起こっているという点である。

同じ民族でありながら、極端な貧富の差が、都市部と農村の差になっているのだ。それだけではない。農村出の農民工は、都市部できわめて差別的な待遇に甘んじており、都市内部にも格差の問題が鮮明化してきている。

革命によって裏切られた農民と農民工の恨みは深い。それが異民族ならいざ知らず、同民族間の相克であるから、その怨嗟の念はもっと深い。世に内戦ほど酷いものは無いのと一緒だ。

少数のイスラム系、チベット系の反体制運動より、遥かに恐るべき脅威は、貧しい農村の中国人(漢民族)であるということを、当然為政者は気づいている。中国共産党の現在の姿というものは、私などに言わせれば、一体、革命前の蒋介石・国民党政権とどこがどう違うのか、ほとんど見分けがつかないほど酷似しているように見える。

その国民党政権でさえ(現在は、民進党政権だが)、台湾に独立割拠して、現在の繁栄を築くに至ったのだ。負けた蒋介石の末裔たちは成功した。自浄作用が有機的に機能する適正規模の国家として再出発したからにほかならない。しかも、そのベースとなる社会・文化は、日本統治時代に基礎がしっかり出来上がっていたのだ。

しかし、勝ったはずの中国共産党は、中華民族を真に繁栄させるためには、今習近平主席が敷いている強大な中央集権独裁体制を、捨てなければならないという宿命に直面することになるはずだ。

アメリカという、人類最大の実験室はますます覇権を強化している。このアメリカと言う民主主義と資本主義の最終形態を、中国とはまったく逆の方向から試みているのがEU(欧州共同体)である。

こちらは、独立国家が寄り合って、連合体を築こうとしているから、中国よりはまだ現実味がある。が、しょせん絵に描いた餅である。独立国家が、その国家権力を上部の連合体に委譲するなどということは、ありえないからだ。

結局アメリカのような単一の連合体になりおおせることは、不可能である。どこまでいっても、しょせんその域内で最強の指導力を発揮する国(現在ではドイツ)の、実質的な支配に甘んじることになるからだ。それに気づいた英国は、早々と見切りをつけて、飛び出したのだろう。さすがにアングロサクソンは現実的である。

テキサス人は、テキサスの自主性を譲らないが、同時にかれらはけっしてアメリカ人であることを捨てない。しかし、フランス人は、そしてイタリア人は、自国の独立性を譲らず、しかも欧州人であるという統一概念を持たない。もちようがないのだ。

ヨーロッパというのは、便宜的に総称している一般名詞と変わらない。その言葉には、実体がないからだ。誰も、ヨーロッパ人であるという自覚などないのである。ヨーロッパ人などというアイデンティティは、歴史始まって以来、一度も成立したことがないのだ。スペイン文学はあっても、ヨーロッパ文学など存在しなかったからだ。エスペラント語が世界語にならないのは、当然である。

ただ、それでよいのだ。経済や流通、あるいは関税についてのみ、統合すればよいだけだ。無理に、独立国家が単一国家になる必要など、毛頭ない。自浄作用が機能する、自己完結が可能な単位が、国家なのである。それは、民族・宗教・文化の長い歴史の間に培われた共同幻想があって、初めて可能なものである。

つまり、そうした歴史的な継続性からワープした、人工的な国家の創設は、地球の歴史上、成功した例はたった二つしかない。一つは言うまでもなく、帝国の規模で存在しているアメリカと、もう一つは、まったく反対に最小単位といっていい都市国家として成立したシンガポールだけである。

歴史を引きずっている国家という存在は、決して歴史の呪縛からは逃れられない。その呪縛を、強引に解こうとする中国は、歴史の潮流に対して逆行しようとしている。

西側諸国のほとんどの人が、中国が豊かな国になれば、おのずとその中身は、民主化されていき、自由化されていくと固く信じていた。そのとんでもない例外が、中国だということを、今わたしたちは思い知らされている。

しかし、考えてみれば、人類がいまだかつて経験したことのない巨大な質量を、単体国家として運営していく上で、果たして、選挙制度そのものが実現できるのだろうか。建国以来、一度も選挙というものが行われたことのない中国には、歴史を先導していく資格も、資質もありはしない。あるのはただ、逆立ちしたコンプレックスと、肥大化した傲慢さだけである。

しかも、「中国」というものは歴史的に存在したことがなかった。「中華」という世界観は確かにあった。が、それは、支配層が漢民族であるかどうかとはまったく関係がない。

遼(契丹族)、金(女真族)、元(モンゴル族)、清(満洲族=満州ではない。満州とわざと中国人が書いたのは意図的である。あたかも中国の属州であるかのようなイメージを与えるためだ。本来はまったく別個の民族国家であり、満洲が正しい。)の四王朝、合計600-700年は、非漢民族の「中華帝国」だったのである。

純粋の漢民族支配による国家は、西暦1年以降、たかだか1200-1300年しかない。しかも、近代国民国家の誕生は、1912年の中華民国以降である。わずか100年余りだ。

この人工的な試みが、アメリカに続く壮大な人類の実験であることは間違いない。ただ、それを成功させるためには、「中華」の概念を捨てなければ、前に進むことができないのである。

この「中華」という概念を捨てるという大きな「文化大革命」には、どうしても避けて通れないハードルが一つがる。選挙である。共産党政権成立後、一度として民主的な選挙が行われたことのない国だ。

恣意的な介入があるにしろ、ロシアでさえ、一応選挙が施行されている。が、中国には無い。その隣の国にもない。大陸国家の民意が表に出てくるとき、そのとき初めて中国は、近代を超克したことになるのだろう。

フランシス・フクヤマがかつて、『歴史の終わり』で予言したごとく、世界は民主主義と資本主義という、政治・経済体制としては最終形態にすでに到達してしまっている。アメリカがその実験を生身に見せたのだ。この先に、もう新たな道はない。すべてはしょせんその「調整」に過ぎない。「修正」ではない、「調整」なのである。

だから、習近平主席の夢見る、中華帝国の栄光と世界の覇権支配という未来予想図は、永遠に来ることもない。



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