忘れてしまったほうが良いのかもしれない

歴史・戦史

これは261回目。これは本当の話です。もう20年近く前のことですが、確か朝日新聞に掲載されていた論評の一つです。編集責任者の1人が、当時の女子大生10人くらいと座談会を開いたのですが、その様子を彼が話題にしていたのです。題目は何であったか失念しました。論評には、そこで彼が経験した信じられない事実が書かれていました。

:::

座談会の話題が、太平洋戦争に及んだ。司会を務めた彼は、どうも女子大生たちが話題についてこれていない、という様子を見て感じ取ったようだ。そのため一応確認の意味で、「これ、太平洋戦争のことだからね」と念を押した。ところが、だ。みな一様に、ポカーンと口を開けたような感じで、それすら意味が分かっていないようだった。

「あのね、太平洋戦争だよ。分かってるよね」。ややあって、「それ、どこの戦争ですか」と聞く者がいた。今度は彼がポカーンである。「え? あの、日本の太平洋戦争だよ。第二次大戦だよ。」そのうちに、彼女らはざわざわと、あれのことだろうか、これのことだろうかと言い合っているのだが、出てくる単語がどれもトンチンカンで的外れなのだ。

「日本が戦争したんですか」。「そうだよ。大変な戦争で、何百万人も死んだんだ。東京なんか焼け野原だ」。そう説明する彼も、実は戦争を直接経験していないのだが。それにしても、一般的な常識としては、ふつう太平洋戦争くらいは、話題になれば分かるはずだ。

「それってえ、日本がどこと戦争したんですか」。「アメリカだよ」。その後がすごい。「ウッソォ~!」と、異口同音に大きな声が部屋中に響き渡った。「日本が、アメリカと戦争するわけない」と平気で彼女たちは言う。

「やったんだよ、本当に」。そのうちの1人が、笑いながら「で、どっちが勝ったんですか」。この質問もすごい。司会者の彼はもう、ほとんど呆れてしまい、「アメリカに決まってるじゃないか」。

だんだん、頭にきたそうだ。それを聞いて、彼女らはみな、「ふ~ん。日本が負けたんだあ・・」と、何か腑に落ちないような面持ちで、黙り込んだそうだ。オリンピックの何かの種目でアメリカに負けたどうか、と同じような次元で見ているのだろうか。

これは、たまたま座談会に集まった女子大生たちの、知的欠落に過ぎなかったのか。それとも、かなりの割合で、こうした若い人が増えていたのか。あれから20年も時が流れて今、このような座談会をランダムにやったら、どういうことになるのだろうか。

日本は自由の国である。教育に至っては、自由を通り越して、ほとんど放任に近い。平等と個性の尊重という大義名分の下に、成績の順番も懲罰もすべてご法度だ。馬鹿げた国になったものである。人間というものを、これほど馬鹿にした教育方法もないだろう。

しかし、お隣の中国でも「6.4(天安門)事件」のことを知らない若者が増えているという。自由を求めて反乱状態となったあの「6.4事件」は、まだ時代が早すぎた。学生主体であり、今のように労働者や農民たちの共感を得るまでには機が熟していなかった。それでも、共産党体制が崩壊するかどうかというほどの動乱には変わりない。にもかかわらず、みな知らないという。

北京のど真ん中、長安路を数珠つなぎになって戦車隊が前進。その前に、勇気ある中国人青年が両手を広げて立ちはだかった。この映像は世界中に流れて感動を呼んだものだが、あのときの青年はその後行方知れずである。そのことを今、中国人のほとんどが知らないということなのだろうか。

教科書はおろか、メディアでも書籍でも、これに関する一切のものが隠蔽(いんぺい)されているのだそうだ。日本とは違って、意図的に「教えない」中国も恐ろしい。そんな国と歴史認識などについて、まともに話ができるわけがなかろう。

ただ、思うことはある。忘れてしまったほうが、万事うまくいくという部分も確かにあるのだ。香港に長年住んでいたころのことだ。香港というのは、当時まだ英領植民地だったが、それでも日本軍に占領された4年間を屈辱としてとらえ、日本兵による乱暴狼藉(ろうぜき)、虐殺がずっと市民の間に根深く怨嗟(えんさ)として残っていた。

ただ、若い人たちは幸か不幸か、香港が英植民地だったため、反日教育が行われたわけではない。せいぜい「知っている」という程度。それどころか、日本のポップスやアニメ、テレビ番組が大流行していたため、「日本=いい国」という単純なイメージが出来上がっていた。反日感情など、およそ影をひそめるようになった。

それで、ふと思ったのだ。昔のことは忘れてしまったほうが、むしろ話は早いのかもしれない。忘れてしまえば、そこで初めて昔何があったのか、という事実についてお互い冷静に向き合うことができるようになるかもしれない。

戦後、太平洋戦争を知らないわれわれ日本人の多くは、マイケル・ジャクソンや、スティーヴン・スピルバーグや、スティーブ・ジョブスのアメリカを嫌いなわけがない。鬼畜米英は化石どころではなく、その残骸すら見当たらない。「取りあえず親近感を持つ」ことは、目くじらをたてて過去の傷を暴きあうことよりも、皮肉なことにずっと前進的なのかもしれない。



歴史・戦史