賃金さえ上げれば、日本は復活する

政治・経済, 歴史・戦史

これは439回目。

1989年を頂点としたバブル崩壊後、20年にわたる長いデフレに呻吟した日本は、安倍政権の誕生で曲がりなりにも復活の突破口を得た。

その安倍政権が今終わろうとしている。

次の政権に期待がかかるわけだが、安倍政権と同じように日本が持つ宿痾のような社会硬直性が、また立ちはだかることになるのだろう。

日本はこれだけ優秀な人材や深い文化性を持っていながら、なぜ先進各国の後塵を拝し続けなければならなかったのだろうか?

一人当たりの労働生産性は、恒常的に先進7ヶ国のうち最下位である。いわんや新興経済国家とは比較にもならない。

人口減少国家だから、と誰もが判で押したような理由を口にする。それもあるかもしれないが、決してそれは致命的な原因ではない。

なぜなら、人口減少したスウェーデンやフィンランドの隆盛がまったく説明できないではないか。
かつての英国やフランスもそうだ。

人口が減るということは、実は決定的なデフレの要因にはならない。加速要因にはなるかもしれないが、ここに原因を求めていては、日本はいつまでたっても蘇生できはしない。

では、一体なにが原因だったのだろうか。

もちろんさまざまな複合要因はある。が、その中で今わたしたちができる手っ取り早い特効薬、ウルトラCとはなんだろうか。
そういう現実的なことで考えてみよう。
できもしない、長い時間がかかる話は、ここでは横に置いておこう。

結論から言えば、賃金を上げてしまえば、それであっというまに万事解決なのだ。

いささか乱暴に聞こえるかもしれないが、筋論から言ってもそうなのである。

日本を駄目にした最たる業界、銀行のことを振り返ってみようではないか。日本の銀行というものは、バブル崩壊に100兆円の負債・不可動資産を抱えた。これを救済するために、国家はゼロ金利にまでその負担を減らしてやった。

それは、本来国民が得べかりし(預金による金利収入である)利益を奪い、そのまま金融業界の救済に使ったのも同然である。

当然、銀行が2003年の最後の金融危機の後、立ち直ってきた以上、国民に還元されるべきものである。

にもかかわらず、銀行業界はこれを履行していない。それどころか、2008年のサブプライムショック、2011年の東日本大震災、その後の欧州債務危機と、度重なる景気の悪化の波ごとに、貸し剥がしを行った。恩を仇で返すとはこのことだ。

アベノミクスの登場によって、株式市場が奇蹟的な復活を遂げ始めるや、今度は彼らは投資を貯蓄と偽り、国民にはリスク管理を行わせない方法(ファンドを売りつける)で、さらに貴重な国民資産を利用しようとしてきた。
今もそうである。

この業界というのは、一体、義というものがあるのだろうか。

24年度の新しい1万円札には、銀行の生みの親、渋沢栄一の肖像が使われるそうだが、その頃の大義を志ざしたかつての銀行の面影なと、もはや微塵も無い。

銀行だけではない。大企業が溜め込んだ内部留保は実に400兆円を超える。現預金だけでも260兆円はある。

2018年には、上場企業の売上は560兆円と過去最高を記録し、純利益は29兆円、直近5年で3倍に膨張した。

こういう日本を見て、外人たちは実際「呆れ顔」であった。

日本の企業の多くが、この「ためこみ」にいそしむあまり、開発投資にも、構造改革にも、資金投下してこなかったからだ。
この足かけ二年というもの、外人投資家が日本株を忌避し、売り続けた最大の理由はそこにあった。

経営者は、自分が社長でいられる数年間、「なにも変なことがないように、なにもしない」スタンスに徹した。

そうすれば、大枚の退職金を得て、悠々自適な暮らしができるためだ。下手な義侠心から、成長戦略など模索して失敗した日には、目も当てられないというわけだ。

外人は、それを軽蔑したのだ。
「仕事をしていない」と見たのだ。

よく労働生産性が、列国に比べて低いと言う。
事実だ。これにもいろいろ理由はある。

が、しかし、労働生産性が上がったところで、最大の問題をクリアしない限り、内部留保が増え続けるだけで、なにも変わらないのである。

では、その最大の問題とは何か?

賃金だ。

賃金さえ上げてしまえば、この国は勝手に、自由に動き出す。

それが日本の古い頭の経営者たちにはわからないのである。

この賃金を上げてしまえば、(一見矛盾に聞こえるかもしれないが、事実なのだ)廃業する企業は減り、価格転嫁のような悪弊もさほどは発生せず、雇用の減少もなく、それこそ労働生産性の向上に努めるだけで十分対応していけることは、英国の過去20年の歴史が証明している。

これは、仮説でも、逆説でもなんでもない。

だから、安倍政権は大企業に対して、被雇用者の賃金を3%上げろと詰め寄ったのだ。それに応じた企業はごく稀にすぎなかった。
これが、日本の経営の無能・無為・無策の典型的な反応だったのだ。

実は日本経済は、バブル崩壊以降、労働生産性は上がってきているのである。にもかかわらず、デフレから長らく脱却できなかったのは、一重に賃金を下げつづけたからにほかならない。帳消しなのである。

このロジックが、彼らには理解できないのである。
理解できないなら、さっさと若い柔軟な頭脳の世代にその座を明け渡したらよい。

権力と既得権への妄執に取り憑かれるものは、なにも共産主義社会の特権階級だけではない。資本主義社会の経営陣も同じ穴のむじなといっても過言ではない。

逆に言おう。
賃金を引き上げなければ、この国は破綻する。
つまり、企業が破綻するのである。

それが読めないのが、この古い世代の見識にほかならない。

水車は回っていない。
流れが無いからだ。
どうしたら良い?

水車を手で回してしまえば良いではないか。
そこに流れができる。
その流れができているうちに、それが持続的なものとなるように、次の手立てを考えろ。

その「水車を手で回してしまう」ということが、今、賃金を上げるということなのだ。

足元で、にわかに外人投資家は日本株を物色し始めている。
あの著名な米投資家のウォーレン・バフェットが、日本の商社株5銘柄をざっくり買った。
まだ買い増すつもりらしい。

どうした風の吹き回しだろうか。

彼らは今年のパンデミック暴落と、国家権力によるロックダウンによって、いきなり業績が悪化してしまい、キャッシュフローが底をついたのだ。
政府の支援がなければ立ち行かなくなるピンチに陥ったのだ。

今、なんとかそれは克服しつつあるが、彼らとしては「冷や汗をかいた3ヶ月」だったようだ。

ふと横を見ると、これまで自分たちが売り続けてきた日本株が、びくともしない。
それもそのはず、日本企業は過去、「なにもしなかったから」とてつもない内部留保がたまりにたまって、盤石の財務体質になっているのだ。
国民の30年にわたる犠牲のもとに、結果的に日本企業は世界でもパンデミックなどどこふく風というほどの揺るぎない経営を維持できている。
怪我の功名とはこのことだ。

それを外人は、「財務健全性」と誤解してしまっているようだ。無能の結果が、膨大な内部留保という果実を生んだだけなのだが。

ついこの前まで、日本の経営というものは成長を模索せず、ただ金をためこむだけの無能な経営だと罵倒していたはずが、いきなり世界でも最高の経営だという評価に、手のひらを返してしまっているのだ。

こんな外人のいい加減な宗旨変えなどに惑わされ、日本の経営陣がいい気になって、鼻高々でこのままいままでと同じ経営を持続させていくのなら、日本には永遠に明日は来ないだろう。

いったんこの頑迷にして古い経営世代が、一掃されるまで、この国には明日は来ない。

だとしたら、それまでただわたしたちは指を加えてみているしかないのか。

そうでもない。
若年層は、古い世代とはまったく思考回路が異なっている。

俗に言う、ミレニアル世代だ。
彼らは実際、宇宙人だ。

今年、2020年に成人を迎える世代のことを言う。その前後も含めてミレニアル世代と称して構わないだろう。

4歳にして、フェイスブックがスタート。
5歳のときに、youtubeがスタート。
6歳になると、Twitterがスタートしている。
そして7歳のときには、iPhoneが登場した。

体の芯から、骨の髄までデジタル・ネイティブなのである。

戦後の高度成長期やバブル経済をくぐり抜けてきた世代とは、土台、思考回路が異なるのだ。

彼らは、豊かさや満足の尺度が、必ずしもカネやモノだけではなくなってきている。
共感や、環境や、人権や、自分の好きなことなど、もちろん人によって価値観はさまざまだが、そのさまざまの有り様は、かつての世代のようなともすると画一的にして硬直的なものとは、まったく異なる。

古い世代は、このデジタル・ネイティブな世代の多種多様な需要というものに、対応できないのである。

老兵は去るべし。
時代を、明け渡せ。
いつまでも限られたテレビの出演席を、したり顔のコメンテーター面して占有したり、会社の上席にしがみついていないで、ルーキーにその貴重な場所とチャンスを与えよ。

それが嫌なら、せめて賃金を上げることだ。
さもなければ、気がついたときには、誰も想像しなかったような革命が起こりますよ。
あなたがたが、この時代に、現役を退く前にできる唯一の、そして日本の将来に道をひらくことができるウルトラCを、一度くらい見せてみてはどうか。

男を見せろとは、そのことだ。