外交のリアリズム

歴史・戦史

これは、267回目。外交というのは、とても非情な論理です。大人の対応をしていたら、とてもではありませんが指導者は責務を果たせません。

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1895年、ときのロシア皇帝ニコライ二世は、民主化を求める世論に対して、こう宣言した。

「朕は、全身全霊をかけて民に尽すとともに、一切妥協せずに専制政治を貫徹する。」

今、プーチン・ロシア大統領も同じ政治理念を継承している。しかも、習近平・中国国家主席も同様である。この永遠にアナクロニズム(時代錯誤)から抜け出せない二つの大国は、過去百年の間、国民をだまし続けたのと同じように、世界をだましつづけてきた。

彼らなりの王道の政策手法というものが、民度が一向に向上しないこの百年のうちに、定着してしまったのだろうか。共産主義か、資本主義かという違いはまったく関係ない。実は、両国に古くからあった前近代的な政治風土そのものが、問題なのだ。

そのステレオ・タイプをつくり、教祖となったのは、言うまでもなくレーニンであり、完璧なまでの組織化に成功したのがスターリンである。

「虚構が繰り返されることで、それは真実として受け入れられる。(レーニン)」

「投票する者は何も決定できない。投票を集計する者がすべてを決定する(スターリン)」。

彼らは常に、自国にあっては内乱を引き起こすことで、政権を転覆する。政敵同士を戦わせ、疲弊したところで権力を簒奪する。同じ枠組みで、海外征服も行われた。大量の工作員をA国の政府、官僚、軍や一般企業にまで潜入させて、もしくはシンパにして、内部からその国の方針を他国との戦争に駆り立てる。B国でも同じ事をし、AとBを戦わせ、両者共倒れになる状況を生み出し、そこに一気に進出する。

この工作活動を一手に行っていたのが、いわゆる国際コミンテルンだった。要するに、スターリンの侵略計画の実行部隊である。これは、「なかったことにしたい真実~ヴェノナ文書」で詳しく書いたことだ。

ロシア(旧ソ連)、その真似をした中共も、同じ路線を歩んだ。スターリンと毛沢東は、国家民族の百年の計に基づいたというより、徹頭徹尾個人的な誇大妄想にとりつかれ、自身の思い描く「帝国」を目指しただけのことだ。その表文句は、これまたあざといくらい徹頭徹尾「人民のため」という虚構だった。
現実に行われていたのは、国内にあっては革命前より酸鼻極まりない専制政治であり、対外的には19世紀さながらの帝国主義そのものであった。

国際社会では、第一大戦の結果、帝国主義的侵略は「非合法化」された。民族自決主義の成立である。しかし、ロシア(旧ソ連)も中共も、そんなことにはおかまいなしだった。国民党の蒋介石も、同じ穴のむじなである。スターリンや毛沢東と、なにも変わりはしない。息子の蒋経国をソ連に留学させ、完全な共産主義者となって帰ってきたことを見れば、一目瞭然である。もっと言えば、ヒトラーとその違いを探すことのほうが難しい。

ことほと左様に、ロシアと中国というのは、誰が為政者になっても発想もやる事も、同じなのだ。この中国を、戦後アメリカは甘くみていた。結論から言えば、アメリカは中国に騙され続けてきていたということだ。

長らく米国において対中国諜報活動に従事してきたマイケル・ピルズベリーが、衝撃的な「100年のマラソン=米国と交代してグローバル超大国になろうとする中国の秘密戦略」を表した。長年、「パンダバガー(親中国派)」人士だったピルズベリーが、中国の本性をすっぱ抜いた本で、各界に反響を呼んだ。

要するにアメリカは、対中諜報活動に失敗して、中国という国を見誤ってしまったということだ。朝鮮戦争では、アメリカに敵対した中国だが、1972年のニクソン訪中を機に「遅れている中国を助けてやれば、やがて民主的で平和的な大国になる。決して、世界支配を目論むような野望を持つことはない」とアメリカの対中政策決定者に信じ込ませた。

ところが、彼らの本当の戦略はまったく違い、中華人民共和国建国から100年に当たる2049年に世界に君臨する「覇」を目指している。それをピルズベリーは「100年マラソン」と名づけた。

中国とソビエト連邦の関係が、53年のスターリン死後に悪化し、60年代に入ると国境付近で緊張感が高まっていた。そうした状況から、中国はアメリカ寄りだと思っていたところに間違いがあったという。

米ソに比べて国力が劣っていた中国は、自らの戦略を見直し、アメリカとソ連がデタント(緊張緩和)だったにもかかわらず、「ソ連はならず者国家なので一緒に戦おう」と近づいてきた。超大国2つを競い合わせながら、一方でアメリカから経済的、技術的援助を受けるという"漁夫の利"を狙ったわけだ。

しかし、近年、南シナ海での人工島建設など強い姿勢に出てきた。周辺国がみな、中国に対し建設の中止を要望していたにもかかわらずだ。

中国側は「近々やめる」と返答したものの実行はしなかった。それどころか、やがて中国は東シナ海を含めた島々の領有権を主張し、公的にも「南沙諸島は古来、中国の領土だった」と発言している。

フィリピンが提訴し、国連海洋法条約に基づくオランダ・ハーグの仲裁裁判所は2016年7月12日、南シナ海での中国の海洋進出を巡り、中国が主権を主張する独自の境界線「九段線」に国際法上の根拠がないと認定した。完全に「中国はクロ」裁定であった。

しかし、中国はこともあろうに、「国際司法の判断など、紙クズだ」と公言して無視。

ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。だれもがそれを黒と思っているにもかかわらず(自身も黒と思っているのだが)、それでも平気で白と100回も言い続ける。それが、ロシアであり、中国である。

以前、日露の経済協議をした岸田外相とラブロフ外相の共同記者会見などは、その典型であろう。2時間半に及ぶ協議の3分の2は、経済協力の前提である(日本側から見た場合)「北方領土問題」に費やされたと日本側は言っている。

共同記者会見では、岸田外相は、「北方領土問題に関して突っ込んだ話ができた、と述べたのに対し、そのすぐ後で述べたラブロフ外相は「北方領土問題については、議題にも上らなかった」と平気で切り捨てた。

さすがの岸田外相も終始憮然としていて、ハタから見ても異常な態度であった。「それはないだろ」ということだろう。これが、ロシアのやり方である。
しかし、中国も同じなのだ。それは、してやられる日本人が甘いのであって、外交とはそういうものなのだ。

それに対抗するには、徹底したリアリズムが必要だということにほかならない。ロシアや中国に、そういうスタンスは止めろ、といったところで、通じるわけがない。歴史的に骨の髄からそういう思考回路になっているのだ。ということは、こちらがもっと上手にならなければならない。

先述の習近平訪米では、さすがにアメリカも、まったく話にならない相手だということを認識したらしい。呆れたのだ。そこでこれまで複数回に及ぶ「航行の自由作戦」を実施したのだろう。

ピルズベリーの論点は、こういうことになる。

「米国側のこれまでの対中観や対中政策がわたし自身の認識も含めて根本から間違っていた。米国の官民は中国に対し「欧米や日本の犠牲になった貧しく弱い国」との認識から始まり、「建設的関与」により中国を最大限に支援してその根幹を強くし、豊かにすれば、国際社会への参加や協力を強め、西側に同調すると考えてきたが、それは巨大な幻想だった。」

「対中関与は協力をもたらす、「中国は民主主義へと向かっている、中国は米国のようになりたいと願っている、という米国の従来の認識はすべて見当違いである。」

これが日本にどういう関係を持ってくるかというと、きわめて重大なポイントがある。ピルズベリーはこう指摘している。

「中国はその世界覇権への野望の主要手段として『現在の日本は戦前の軍国主義の復活を真剣に意図する危険な存在だ』とする『日本悪魔化』工作を実行してきた。アジア諸国と日本国内をも対象とするこの反日工作は日本が米国の主要同盟国として安保と経済の大きな柱である現状を突き崩すことを目的にするという。中国の日本糾弾もその路線に含まれるわけである。」

ピルズベリーの書いたものを読んでみると、アメリカが正義の味方で、公平な国家だという前提にたっている嫌いが強い。自身、諜報活動に従事していたにしては、ずいぶんと手前味噌な物言いのようにも思える。

実はアメリカこそが、キューバの独裁者、フルヘンシオ・バティスタを支えて失敗し、ニカラグアで 43 年にもわたる長期独裁をおこなったソモサ一族を支援し、女性や非イスラム教徒の人権を蹂躙しつづけるサウジアラビアのサウジ王家をこれまで味方につけ、エジプトの軍事独裁政権に肩入れし、ウサマ・ビン・ラディンをはじめとするイスラム聖戦組織という化け物を作り上げたのだ。

アメリカこそは、ロシアや中国どころではない、もっと恐ろしい利権国家だということは間違いない。ロシアも中国も、持ち前の前近代的な政治思想から抜け出せないアナクロニズム国家だが、それに輪をかけて恐ろしいのはアメリカである。

ただ、唯一アメリカが、ロシアや中国とは決定的に違う点がある。自浄作用である。大きな間違いや、乱暴も行うが、必ず反対意見が存在し、世論においても均衡をとろうとするバランス感覚が社会全体に根付いている。それだけが救いといえば救いである。

ロシアにも、中国にもこうしたバランス感覚が機能するだけの、「世論」が無い。かつてその世論が存在したことが無いのである。事実上の「農奴制国家」を悠久の歴史で経験してきた二つの超大国は、地政学的に「世論」が正常に育つということが、とても難しいのかもしれない。

しかも、その「世論」が起きようとすると、指導者は個人的な妄想(彼らにとっては理想)のために、すべて粛清するから、当然育ちようがない。政策は均衡点を模索することができず、膨張を続け、世界的なバランスの霍乱要因にしかならない存在であり続ける。

ふと思うのだが、かつてスターリンや毛沢東がコミンテルンを使って行った「砕氷船テーゼ」と同じく、今縦横無尽に使って謀略をしかけているのは、じつはアメリカなのかもしれない、ということだ。それも、「対外戦争」⇒「内戦転化」というスタイルだとすると、まさにコミンテルンのやり口そのものだともいえる。威勢を張っているロシアや中国こそが、もしかしたらほんとうは戦々恐々としているのかもしれない。

こうした中で、日本はどう泳いだらよいのだろうか。世界にはさまざまな紛争があるが、たとえば中東問題のようなものには関与しないほうが良い。100年越しで当事者や欧米諸国がかかわずらって解決しないのだ。日本がのこのこ出ていったところでどうにもならない。

それより重要なのは、連携をしっかり保つということだ。かつて昭和6年1931年の満州事変では、現在の一般の認識と違い、欧米列強は日本に好意的、あるいは同情的であった。

当時の中国は先述通り、国家の体をなしていなかったから、国民党政府と条約を結んでも、まったく履行されることが無かったのだ。中国に同じように利権を持つ欧米列強は、満州における日本の利権侵害に業を煮やし、とうとう自衛権を発動し、実力行使で権益確保という挙に出た日本を非難していない。そこに謀略があったかどうかなど、どうでもよい。政治はすべて謀略である。なにをいまさらという感じだ。

ただ、東北三省のみならず、満州全土を制圧した挙句、満州国を創設してしまうというところまでいくと、第一大戦で決められた民族自決の原則が揺らいでしまう。さすがに「やりすぎ」ということだ。

従って、国際連盟はリットン調査団を派遣し裁定を下したのだが、それは満州国の存在は認めなかったものの(彼らは、「それはやりすぎだ、」と思った)、日本の満州における権益は正当に承認している。国連は、満州紛争地域における、共同統治を提案しており、日本はこれを呑むべきだったのだ。そこでは、完全に日本が日清・日露戦争で得た権益が保証されるのだ。それを日本は蹴った。

日本ではこの理解が十分されなかったのだ。政府もきちっと国内で説明に努力したと思えない。国内は国連憎しで激昂し、政府もこれに流された。松岡全権大使は、国連で満州国を認めてくれるように獅子奮迅の活躍をしたが、松岡自身は、「国際連盟からの離脱は絶対にしない」方針だった。それがリアリズムである。

ところが、外務省からの訓令は、「脱退」であった。松岡一人で命令違反はできない。本人は、当惑し、また絶望した。一般に、松岡が国際連盟脱退の張本人かのように認識している人が多いが、まったく話は逆である。帰国したとき、松岡は上陸早々、深く国民に対して懺悔、謝罪している。本人は「脱退」が日本の命取りだということを、よく知っていたからにほかならない。

このリアリズムというものが、日本の外交には常に欠如している。満州事変の4年前に、その分岐点が確認できる。蒋介石の国民政府は本格的に北伐を進め、各地の軍閥と合従連衡しながら全土掌握に動き出していたが、昭和2年1927年、北伐軍が南京に入城し、その威勢を駆って(おそらく共産党の扇動があったと思われるが)、反帝国主義を叫ぶ軍兵や暴徒が、南京・上海の外国領事館や居留地などを襲撃した事件がある。

宿泊船の警備をしていた日本海軍兵士が一人、英人3人、米人1人、イタリア人1人、フランス人1人、デンマーク人1人が死亡。行方不明者2人が出た。

日本領事館では、海軍陸戦隊は政府から反撃を、厳重に禁じられていたので、館内の日本人は一方的に暴行掠奪を受けた。

領事館正門で歩哨についていた西原二等兵曹は、暴徒を制止できず、リンチにあって重傷。ここでも「昼行灯と呼ばれた男」で書いた根本博は、当時領事館付の陸軍武官だったが、領事館警察署長の木村とともに、銃剣で刺されて同じく重傷。領事夫人などは、あろうことか暴徒に陵辱されている。「お願いです、助けてください」という哀願にもかかわらず、日本の警備兵たちはどうにも出来なかった。少なくとも、当時南京にいたうち30数名の日本人婦女子は、少女にいたるまで陵辱され、指輪を奪うために、指を切り落とされたものもでている。

この事件は、敢えて外国の干渉を引き起こし、蒋介石を打倒する中国共産党の策謀と言われているが、当然その裏には、ソ連のコミンテルンがいた。各国は、この排外運動が北京に波及するのを恐れ、日英米仏など七カ国外交団が、厳重に華北の軍閥政府に取り締まりを勧告。

そこで、北洋軍閥の首領であった張作霖が、各国大使館区域の捜索を行い、ソ連人23人を含む74人を逮捕。押収された極秘文書の中に、コミンテルンの訓令が発見され、軍閥総司令部(安国軍総司令部)が発表。

その訓令の内容は、外国の干渉を招くための掠奪・惨殺の実行指令、短時間に軍隊を派遣できる日本を各国から隔離・分離させる策謀、在留日本人への危害を控え、排外宣伝は反英運動を中心とすべきだといったものである。しかし、ここでの問題はそこにはない。むしろ列強や日本の対応が問題である。

この南京事件で英米は動いた。下関に停泊中の英米海軍の艦艇は、上海に急行して艦砲射撃を開始。陸戦隊を上陸させて、居留民の保護をした。砲弾は1時間余り、200発が撃ち込まれ、多数の中国の軍民が死傷したようだ。

ところが、肝心の日本は、虐殺を誘致する恐れありとして、砲撃に参加しなかったのである。このとき外務大臣は幣原喜重郎(若槻内閣)である。幣原外交と呼ばれ、戦前、時代がどんどん戦争への道を辿っていった中にあって、これにあくまで抵抗して、宥和・協調外交を貫こうとしたすばらしい外務大臣として、戦後もずっと評価されている。

しかし、わたしには、この幣原こそは、日中戦争・太平洋戦争への口火を切る大きな原因をつくった張本人であるとしか思えず、非常に評価は低い。日本の外交的孤立化を決定づけたのが、このときの幣原の判断だからだ。外交の失敗の本質とは、孤立化にほかならないからだ。それが正義でなくとも、徒党を組んで孤立を回避することが、リアリズムというものだ。

このとき幣原がとった、「革命のために内乱状態にある中国・蒋介石政権に、理解を示す」宥和外交は、英米との足並みを崩したのである。幣原の政治的理想はわかるが、政治はリアリズムである。この幣原外交が、英米と一線を画してしまったことで、英米は「日本はいい格好をしながら、実は裏で中国に取り入り、利権を独り占めしようとしているのではないか」という疑心暗鬼を生んだのである。

この幣原外交に対して、駐英大使だった吉田茂(後の総理大臣)は、強硬に英米とともに、上海に武力介入せよと主張していたのだ。反軍的言動が目立ち、あたかも吉田は戦後の民主主義のヒーローのように扱われたりするが、そうではなく徹底したリアリストだったのである。

もし、日本がこの第一次南京事件で、英米と歩調を合わせて上海に武力介入をしていれば、4年後の満州事変でも、英米は徹底して日本の権益確保に同調したであろうし、(そうでなくとも、おおむねリットン調査団は日本の権益を認めたのだ)、満州において、あるいはその他の地域で日本と英米が利権を分かちあっていくシナリオも可能だったろう。

当時、国際法とは、列強の意志であった。とくに第一大戦の勝者である英米にほかならない。日本は、あくまでもこの英米と同一路線で利権の維持を図るべきだったのが、幣原外交によってこの路線が崩れたのである。つまり、後の日中戦争、太平洋戦争へと突入していく、大きな判断の誤りは、まさにこの幣原外交からにほかならない。この結果、対日不信に陥った英米は、日本と連携して、煮ても焼いても食えない中国に対抗するという道を捨て、彼らは逆に中国への接近を図っていった。その行き着く先が、日本の孤立化と太平洋戦争だったのである。

英米と利権を共有し、軍事行動を常にともに行っていれば、日本が単独で日中戦争に突入し、あろうことか米国と大戦を引き起こすような羽目には陥らなかったはずである。どう考えても、吉田茂の主張に分があるという歴史解釈だろう。

従って、現在世界の問題児となってきているロシアと中国に関しても、日本は単独で両者と融和的な路線をとるべきではない。あくまで英米と連携を保つべきだということは間違いない。とにかく、あの二つの問題児を、封じ込めることだ。

虚偽と捏造を100回繰り返す二国である。正論なら正論を、1万回でも言い返さなければならない。外交に紳士的な対応など無用。「普通の国」であれば、こちらが譲歩すれば、それなりに相手も斟酌するものだが、あの二カ国は、こちらが引けば必ず押してくる。

そして、日本は英米、そしてその他のアジア・オセアニア諸国と利権を共有するという点がなにより外交では重要だ(だから、TPPは絶対に必要なのだ。)。

テレビ朝日のアンカーを務めていた古館氏が、以前、番組中でこんなことを言っていた。

「イスラム国が残虐な集団だということは言うまでもありません。許されるべきではないと思いますが、いつまでも日本はアメリカの言いなりになっているのではなく、ここは腹を割って、イスラム国と直接話し合いをして、少しでも事態の打開を図るべきだと思います。」

絵空ごとである。どういう頭の構造をしているのか、甚だ理解に苦しんだ。それなら、自分が現地に行って見れば良い。いきなり問答無用で首チョンパである。そんなことは百も承知で言っているのだとすれば、偽善である。日本と欧米諸国との連携を分断しようとしている工作員だと疑われてもいたしかたない言説と言える。

いずれにせよ敗戦の原因の一番の大きなものは、外交の失敗であり、それは孤立化であったことは言うまでもない。その孤立化を避けるには、唯一、利害の共有であり、これを超えるものは無いのである。本当の「大人の対応」とはそういうことだ。ものわかりの良いことではない。リアリストであるということにほかならない。



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