ニュースの読み方~誰がそれで得をするのか?
これは14回目。とにかく、世の中で言われていることはうのみにしないで、疑いましょう。そして事実やデータに基づいて、モノを言いましょう。
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新聞記事やテレビの報道を見聞きするときには、推理小説だと思えば良い、という話がある。「犯人は誰か」を考えるとき、「一体、これで誰が得をしたのか」、と考えれば犯人の目星がつく、というあれだ。世の中の動きというのは、たいてい経済的要因で起こることが多いから、ニュースを読み解くときには、「誰が得をするのか」を、いつも頭で考える癖をつけると、意外に実態というものが見えてくる。
一つの例を挙げよう。一見唐突だが、わかりやすいので南北戦争を取り上げてみる。
南北戦争は、19世紀(ちょうど日本は幕末)に起こった、アメリカの歴史上もっとも悲惨な戦争だった。戦死者数(非戦闘員を含む)を比べてみればわかる。
独立戦争の2万5000人。
米墨戦争(アラモの戦い)の1万3000人。
米西戦争の2400人。
フィリピン植民地戦争の4000人。
第一次大戦の11万6000人。
第二次大戦の40万人。
朝鮮戦争の9万2000人。
ベトナム戦争の5万8000人。
イラク戦争の4400人。
対テロ戦争の6800人。
これに対して南北戦争は62万人である。突出して多い。世に内戦ほど酷いものはないというが、当時の人口を考えても、異常値としか思えないほどの数値だ。
余談だが、南北戦争と、西部劇の時代と、どちらが古く、どちらが新しいと思うだろうか。意外に、こんなのがはっきりしない人もいる。南北戦争が古く(幕末)、西部劇の時代(ビリーザキッドや、OK牧場の決闘などと言えばすぐわかる)は後なのだ。いわゆる西部開拓の時代というのは、日本でいえば、幕末から始まり、ちょうど日清戦争直前までに該当する。
さて、話を戻す。
南北戦争のきっかけは、北部政府のリンカーン大統領が発動した黒人奴隷解放宣言だった。普通そう解説されることが多い。しかし、今でも有色人種に対する差別問題が潜在しているアメリカである。19世紀、それも奴隷制度が厳然として機能していた時代にあって、白人同士が黒人の人権回復のために、4年間も血みどろの戦いをするなどということが考えられるだろうか。ちょっと視点を経済的事情にずらしてみると、ことの実態というものが、浮き彫りになってくる。
実際、戦争が始まって最初の連邦議会で、リンカーン大統領は「この戦争の目的は、黒人奴隷制度を廃止することではない。制度を廃止しないでアメリカを統一することができるのなら、わたしはその選択をするだろう。」とはっきり言っている。
もっと言えば、インディアン(アメリカ原住民)に対するリンカーンの施政は、さらに酷いものだった。有名なダコタ戦争がそうだが、戦争とは名ばかりで、飢餓に瀕したインディアンが暴動を起こし、アメリカ政府によって虐殺されたのが実態だ。
簡単に言えば、インディアンの土地に侵攻し、インディアンと戦争。休戦し、条約を結び、土地を取り上げるが、代金はいつまでたっても払わない。そこで裏切られたといってインディアンが暴動を起こし、政府軍がこれを虐殺する。この繰り返しなのだが、暴動を起こしたダコタ・スー族の殲滅を目的とした軍をリンカーンは派遣し、これを撃破。400人近いインディアンに死刑判決。平和論者の嘆願によって、リンカーンは死刑を38人に減らした「人道主義者」なのだそうだ。この38人は、1962年12月26日(南北戦争の開戦翌年)、ミネソタ州マンカトで、公開一斉絞首刑に処している。アメリカ史の中でも最大の集団処刑記録として知られている。
時代が違うのだから、これをもってリンカーンを、今の時代の感覚で非道な人間だと決めつけるのは問題だ。しかし、わたしたちにとって当たり前の人権主義者だと考えるのも、まったく間違っている。
さて、南北戦争に話を戻すが、一体、白人同士があそこまで殺し合いを4年も続けたのは、一体なにが理由だったのだろうか。少なくとも、黒人奴隷の「人権」を回復するための戦いではなかったことは、はっきりしている。
当時、北部は産業革命の真っ只中だった。欧州大陸向けの繊維商品を巡って、英国としのぎを削っていた時代である。しかし北部は人口の少なさに加え、労働賃金の上昇によって、競争力が低下しつつあった。ライバルの英国はエジプト綿やインド綿など、良質の原材料を植民地から半ば収奪してきたために、海上運賃や保険を加えても、アメリカ製品を圧倒しつつあった。
一方、南部は北部の苦境にもかかわらず、相変わらず黒人奴隷を使って時代遅れの大プランテーション経営による綿花栽培を行っており、機械化も合理化も行われていなかったのである。いわば、グローバル市場では南部の綿花産業は斜陽だったのである。
これに目をつけた北部政府は、安価で大量の黒人労働力を北部の生産加工にシフトさせようと考えた。もめにもめた末、南部の奴隷制度を憲法違反であるとして、奴隷解放宣言に踏み切ったわけだ。安価な労働力を南部に独占させず、北部にも寄こせというわけだ。南部は抵抗し、合衆国から離脱を決意。北部はこれを反乱とみなして、戦争に突入する。
戦後、果たしてほんとうに黒人は解放されただろうか。彼らの人権など実際には回復しなかったのだ。それが真に実現したのは、ケネディ大統領の時代、1960年代まで待たなければならなかった。これ一つを見ても、南北戦争の発端というものの実態が見えてくる。
このように、正論で書かれる歴史というものには、およそ人間の本当の姿が浮かび上がらないことがある。なんでも経済的要因にこじつけるのもどうかと思うが、ニュースを見るときに、「誰が得をするのか」という視点をちょっと使うだけで、また違った風景が見えてくる。教科書や、メディアが言う「綺麗ごと」でニュースや「歴史的事実と称するもの」をそのまんまうのみにはしないことだ。